コウノドリ

□一緒に帰ろう
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作業をしているうちにいつの間にか書類の山に紛れてしまったスマホが微かに震えている。振動の長さから言っておそらくメッセージではなく電話による着信。
時計を見れば既に21時を回っていた。
この時間に電話をかけてくる相手なんて限られている。
書類を慌ててかき分けてお目当てのスマホを手に取ってみれば、画面に表示されているのは予想通り、愛しい人の名前。



「もしもし、サクラ?」
『…もしもし、まだ仕事?』



苦笑混じりに聞かれれば苦笑で返すしかない。
そう、こんな時間だがまだ職場にいる。
年中無休で忙しい彼に比べれば忙しい時期が決まっている自分はまだマシである。
……マシではあるが、キツいことには変わりない。



『…桜月?』
「あぁ、ごめん。サクラは?仕事終わったの?」
『うん、今日は帰り際に切迫で緊急入院になった妊婦さんの対応で遅くなったけど仕事はもう終わり』
「そっかー…」


今日の彼の勤務は確か当直でも夜勤でもなかったはず。
お互いなかなか定時で帰れる仕事でもないが、彼は自分以上に忙しい。
電話向こうから聞こえてくるサクラの声の後ろからは車の走行音。
おそらく帰り道なのだろう。
こうやって合間を縫って連絡をくれることに愛を感じ、強張っていた眉間が解れていくのが分かる。



『ねぇ、桜月?…まだ仕事かかりそう?』
「んー…まぁキリがいいところまでは来てるけど……?」
『そう…じゃあさ、』



何となく歯切れの悪い感じを気にしながらあちこちに散らばった書類を整えていく。

あぁ、そういえば夕飯食べてなかったな。
サクラの声を聞いたら気が抜けてしまったし、もう今日のサービス残業は終わりにして帰って軽く夕飯にしようか、
なんて手を動かしながら考えていたら少し言い淀んだ彼が電話越しにふっと息を吐いたのが聞こえた。
表情が見なくてもどんな顔をしているのか想像がつく辺り、付き合いの深さを感じる。



『一緒に帰ろう?』
「……え、?」
『今さ、実は門の前にいるんだ。まだ灯りが点いてるのが見えたから、もしかしてと思って電話したらやっぱりいて…夕飯まだでしょ?』
「あー、うん。食べそこねちゃった」
『やっぱり』



じゃあ待ってるから、と言われて通話終了の音が流れる。
待ってる…待ってる……?待ってるって!?
弾かれたように顔を上げて慌てて窓の外に目を向ければ言われた通り、門の前には見慣れた鳥の巣頭。
逆光ではあるが、こちらが見ていることに気づいたのだろう。
ひらり、と軽く手を振られた。



「っ、……」



どうしよう、嬉しい。
緩む頬を押さえながらバタバタと帰り支度をする。
今日は金曜日。
明日明後日は出勤ではないし、やり残した仕事は家に持ち帰ろう。
片付けと戸締まりをして、荷物を両手に引っ提げて飛び出すようにして職場を後にする。



「ごめ、お待たせっ…!」
「お疲れ様」
「ビックリした…」
「うん、ごめんね。まだ仕事あったよね」
「大丈夫…」



サクラが自分の仕事が終わるのを待っている、なんて。
逆の立場はよくあることだが今の状況はなかなかあることではない。
元々一緒に過ごせる時間が少ないのだ。
例え仕事を持ち帰ることになったとしても、こうして一緒に過ごせるのならサクラとの時間はできる限り優先させたい。
彼がそうしてくれるように。



「荷物いっぱいだね、持つよ」
「え、いいよ。重いし」



両手に提げた荷物を見て苦笑を零しながら手を伸ばしてくる彼。
疲れもあってか可愛くない態度を取ってしまう。
それに自分と同じかそれ以上に疲れているであろう彼に負担はかけたくはない。



「あのね、桜月……重いから僕が持つんでしょ?」
「っ…!」



好きな人が重い物を持ってたら代わってあげたいじゃない、と何てことないように言われて、言葉に詰まっているうちに両手の荷物をさっと引き取られる。
その荷物を片手に纏めると右手を差し出してくる。



「はい、じゃあ僕のこと持って?」
「…ん」



こう言い出したサクラが引かないことは短くない付き合いの中で知っている。
荷物を諦めて差し出された右手に左手を重ねれば満足そうに微笑み、指を絡められる。
あぁ、この笑顔にどうにも弱い。
きっと耳まで赤くなっているんだろう。
遅い時間で良かった。この暗さなら顔の赤さに気づかれることもない。
機嫌が良さそうなサクラは、帰ろうか、と笑って帰路に足を向ける。



「夕飯はどうしよっか?」
「この時間だしね…別に私は食べなくても…」
「夜中にお腹すくよ?」
「……じゃあ、あっさりめのスープでいい?
鶏団子、前に冷凍しておいたのがあるはずだから」
「作ってくれるの?」
「サクラに任せたらカップ焼きそばになるでしょ」
「アハハッ」



図星を指され苦笑するしかないようで、疲れてるのにごめんね、ありがとうとまたにこりと微笑む。
別に、とまた可愛くない言葉が口をついて出そうになる。
いつもそうだ。素直に気持ちをぶつけてくる彼と素直になれない私。



「……桜月?」
「、私こそ、迎えに来てくれて、待っててくれて、……ありがと。…嬉しかった」



思わず立ち止まった私の顔を覗きこもうとするサクラに精一杯の感謝を告げれば、一瞬言葉を詰まらせて嬉しそうに破顔するサクラ。
私はと言えば普段口にしない素直な気持ちを吐き出して恥ずかしさで穴があったら埋まってしまいたい。



「あー、もう…ここが部屋じゃなくて良かったよ」
「…何で?」



一層強く絡められた指を持ち上げられ、私の手の甲が彼の口元に引き寄せられる。



「っ…」



部屋だったら間違いなくこのままベッドに連れて行ってたよと、こともなげに言ってのける彼にくらりと目眩を覚える。
この男といるといくつ心臓があっても足りない。
気持ちの表現がストレート過ぎる。



「……明日は休みだったよね?」
「え、あ…うん。先週出勤したから明日明後日は休みだけど…」



それがどうかしたのか、と目線だけで問えば急に視界が一層暗くなり、唇には柔らかな感触。
彼の唇が重ねられていると気づいた時には目の前が元の明るさに戻っていた。
こんな路上でなんてことを、と離れていくサクラを咎めようとすれば、重ねられる思いもよらない言葉。



「っ、サク「明日ね、僕も非番になったんだ」」
「…え?」
「四宮がね、珍しく休みを代わってほしいって言ってきて」
「四宮先生が…?」
「そう、だから明日は一緒にいたいなぁって」



月に1,2回休日出勤はあるが基本的にカレンダー通りの休みの私とほぼ年中無休の産科医の彼の休みが重なることはほとんどない。
休みが重なることなんていつぶりだろう、と遠い記憶を辿りながら手を引かれるまま歩いているうちに気づけばマンションの自室の前。
鍵を開けるために絡められていた指が離されて、思わずその指を追いそうになりハッとして自身の手を引いた。



「ね、仕事持ち帰ってきたみたいだけどさ」
「ん?」



鍵を開けたサクラが先程離した手を再度取って、半ば強引に室内へと引き込まれる。
思いのほか強かったその手に驚き、抱き留められた胸から顔を上げればニコリと笑う彼。
それはいつもの優しいものとは少し違う。



「明日は一日離すつもりないから、ごめんね?」
「……っ、」


そう言って額に唇を寄せる彼からのキスを甘んじて受ける。
本当に、心臓がいくつあっても足りない。



*一緒に帰ろう*
(……おなかすいた)
(そうだね、僕も)
(作るから離して)
(んー、夜食の前にデザート食べてもいい?)
(は…?)
(桜月っていうデザートが食べたいな?)
(っ、馬鹿サクラ!)


fin...


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