コウノドリ

□一緒に帰ろう
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帰り際に切迫早産で緊急入院となった妊婦さんの引き継ぎをして、すっかり暗くなってしまった道を歩く。

仏頂面の同僚の休みを代わってくれないか、と珍しい申し出を二つ返事で受けて急遽明日は非番。
彼女も明日は休みだったはず。
もう帰宅しているだろうか。
この前久しぶりに一緒に食事をした時に忙しい時期で最近帰りが遅いと言っていたのをマンションまで来て思い出した。



「まだ帰ってない、か…」



時間を見ればもうすぐ21時。
普段からこんなに遅いのだろうか。
気づかないうちに眉間に皺が寄る。
もう若くないんだし夜道で襲われるなんてない、と自嘲気味に言っていた彼女の表情が脳裏に浮かんだ。
若くないと言っても自分の後輩、下屋と同じ年。
彼女の仕事柄、彼女の年齢はもう中堅と言えるが世間一般からすれば十分若い。
すれ違いの多くなってしまう仕事ではあるが、側にいられる時はできるだけ一緒にいたい。
今、帰宅したばかりの部屋を出て、彼女の職場へと急ぎ足で向かうことにした。




『もしもし、サクラ?』
「…もしもし、まだ仕事?」



マンションから5分もすれば彼女の職場が目に入る。
門の前から中の様子を窺えば、一部屋だけまだ煌々と電気が点いていて、人影が1つ。
ポケットからスマホを取り出して着信履歴の一番上の番号に電話をかける。

少しの間の後、スピーカーから聞こえたのは疲れたような彼女の声。
苦笑混じりに聞けば苦笑で返された。



「…桜月?」
『あぁ、ごめん。サクラは?仕事終わったの?』
「うん、今日は帰り際に切迫で緊急入院になった妊婦さんの対応で遅くなったけど仕事はもう終わり」
『そっかー…』



語尾の長さが疲れ具合を示している。
いつもなら、もう少しキレのいい返事が返って来るはず。
そういえば一緒に組んでいる同僚が体調崩して休みがちとも言っていた。
人に頼ることを苦手とする彼女のことだ。
その同僚の分も仕事を背負っているのだろう。



「ねぇ、桜月?…まだ仕事かかりそう?」
『んー…まぁキリがいいところまでは来てるけど……?』
「そう…じゃあさ、」



言っても、いいのだろうか。
僕の言葉を待ってくれているのか、電話の奥からカサカサと紙を揃える音がする。
もしかしたらキリがいいというのは建前で本当はまだ終わらないのかもしれない。
けれど、もう目と鼻の先に彼女がいる。
そして明日は思いもよらぬ休み。
我慢する必要は、きっとない。
覚悟を決めてふっと浅く息を吐く。



「一緒に帰ろう?」
『……え、?』
「今さ、実は門の前にいるんだ。まだ灯りが点いてるのが見えたから、もしかしてと思って電話したらやっぱりいて…夕飯まだでしょ?」
『あー、うん。食べそこねちゃった』
「やっぱり」



じゃあ待ってるから、と言い捨てるようにして通話終了をタップする。

嘘は吐いていない。
仕事はさっき終わって、現に彼女の職場の前に来ている。
厳密に言えば一度、部屋に帰ったが桜月がまだ帰宅していなかったようなので迎えに来ただけ。

待ってる、という僕の言葉に驚いたのか室内の人影が弾かれたようにこちらを見た、気がした。
逆光で表情は伺い知れないがきっと僕には気づいてくれたはず。

いいよ、慌てないで。
僕が勝手に迎えに来て待ってるだけだから。
その意味を込めて、軽く手を振った。



「まぁ、あんまり長居すると変質者に思われそうだけど…」



場所が場所だけにアラフォーと呼ばれる年齢に差し掛かった自分が夜遅くに建物の前でフラフラしていては下手したら通報ものだ。
そんなことを考えながら苦笑すると煌々と点いていた電気が消されてパタパタとこちらに向かって駆けてくる人影。
その両手には重そうな荷物。



「ごめ、お待たせっ…!」
「お疲れ様」
「ビックリした…」
「うん、ごめんね。まだ仕事あったよね」
「大丈夫…」



やはりまだ仕事は終わっていなかったか。
両手に提げられた荷物を目にして、申し訳なさがじわじわと溢れて来る。
いつも待たせてばかりのくせに、自分が待つことはできないなんて。
急に一緒にいられることになって嬉しいからと言って、自分の気持ちを優先させたことを後悔してももう遅い。
自分の余裕のなさに苦笑が漏れる。



「荷物いっぱいだね、持つよ」
「え、いいよ。重いし」



忙しいと言っていた彼女が自分の我儘のために時間を割いてくれた。
せめてもの償いに荷物を持とうとするが、こともなげに断られる。
まぁ、その回答は予想できていた。



「あのね……重いから僕が持つんでしょ?」
「っ…!」



好きな人が重い物を持ってたら代わってあげたいじゃない、と付け加えてから桜月の両手から荷物を攫う。
その荷物を片手に纏めて右手を彼女へと差し出した。



「はい、じゃあ僕のこと持って?」
「…ん」



半ば諦め気味に左手を重ねられ、思わず笑みが漏れる。
そっと指を絡めれば、おずおずと握り返されて自分でも笑みが深くなるのが分かる。
彼女の一挙手一投足が僕を魅了して止まない。
帰ろうか、笑いかけて帰路に足を向ける。



「夕飯はどうしよっか?」
「この時間だしね…別に私は食べなくても…」
「夜中にお腹すくよ?」
「……じゃあ、あっさりめのスープでいい?
鶏団子、前に冷凍しておいたのがあるはずだから」
「作ってくれるの?」
「サクラに任せたらカップ焼きそばになるでしょ」
「アハハッ」



図星を指され苦笑するしかない。
疲れてるのにごめんね、ありがとうと返せばいつもの悪態が飛んでくるかと思いきや黙り込んでしまう桜月。
何か気に障ったのだろうか。



「……桜月?」
「、私こそ、迎えに来てくれて、待っててくれて、……ありがと。…嬉しかった」



思わず立ち止まった桜月の顔を覗きこめば思いもしない言葉が返ってきた。
一瞬言葉に詰まるが滅多に見られない彼女の姿に僕の顔は緩みっぱなしだ。



「あー、もう…ここが部屋じゃなくて良かったよ」
「…何で?」



心からそう思う。
不思議そうに首を傾げた彼女の指に一層強く指を絡めて、その柔らかな手の甲に唇を寄せる。



「っ…」



唇が触れたことで体を強張らせる桜月に気づかない振り。
部屋だったら間違いなくこのままベッドに連れて行ってたよ、と間違いなく怒られるであろう言葉を投げかける。
何か反応がある前に別な問いを彼女にぶつける。



「……明日は休みだったよね?」
「え、あ…うん。先週出勤したから明日明後日は休みだけど…」



それがどうかしたのか、と目線だけで問われる。
その姿はどうにも埋められない身長差から上目遣いで見つめられているようにしか見えず、先程からチラチラ姿を見せ始めていた彼女にもっと触れたいという欲が煽られた。

正確には、煽られて気づけば彼女の唇に唇を寄せていた。
こんな路上でしかも夜とは言え職場の近くでなんてことを、と咎められそうで見開かれた瞳が動き出す前に言葉を紡ぐ。



「っ、サク「明日ね、僕も非番になったんだ」」
「…え?」
「四宮がね、珍しく休みを代わってほしいって言ってきて」
「四宮先生が…?」
「そう、だから明日は一緒にいたいなぁって」



ほぼ年中無休状態の産科医。
休みであってもお産の手が足りなければ駆り出される。
重なった休みもそうやって潰れたことは数えたら両手でも足りない。
そもそも休みが重なること自体が奇跡に近い。
一度は帰宅したマンションの自室にまた着いて、名残惜しいけれど鍵を開けるために絡められていた指が離す。
そっと伸ばされた手が一瞬で引かれたことを見逃さなかった。



「ね、仕事持ち帰ってきたみたいだけどさ」
「ん?」



鍵を開けて今しがた伸ばされた手を再度取って室内に引き込む。
思いもしない僕の行動に目を丸くしながら見上げてくる。
だから、その顔ダメだってば。
沸々と湧き上がる熱はもう止められない。



「明日は一日離すつもりないから、ごめんね?」
「……っ、」



そう言って額に口付けると目を閉じて受け入れてくれる。
あぁ、今夜は止められそうにない。


*一緒に帰ろう*
(ねぇ…本当に……おなかすいた)
(うん、僕もかな)
(作るから離して)
(もう少しだけ、ダメ?)
(さっきからそればっかり!)
(だって久しぶりだよ、休みが重なるのも体を重ねるのも)
(〜〜〜っ!)



fin...
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