コウノドリ

□あめふり
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電車に乗っている時から窓が雨を打っていることには気づいていた。
だが最寄り駅に着く頃には小降りになるか止んでいるだろうと高を括っていたが、止むどころか傘がなければ間違いなく風邪をひくレベルでひどくなっている。



「失敗したなぁ…」



病院にいるならば置き傘もあるが生憎今は学会の帰り。
日帰りで近場だから、と必要最低限のものしか持っていない。
当然折り畳み傘なんて物も入れていない。
そもそも今朝の天気予報で雨なんて言ってなかった。
だから少しでも荷物を軽くしようと折り畳み傘も置いてきたのだ。

駅のコンビニには同じような考えの人が既に傘を買って行ったのだろう、傘は一本も残っていなかった。
そしてこの天気だからかタクシーもロータリーに一台もいない。



「うーん……どうするかな」



できればこのまま帰りたい。
自分が濡れるのはまだいいが、今日の資料が濡れてしまうのは困る。
大きい袋でも買うか、ともう一度コンビニに入ろうとした時、スマホから着信音が流れた。



「もしもし?」
『あ、サクラ。お疲れ〜、今どこ?』
「お疲れ様…さっきこっちに着いて駅にいるけど」
『傘持ってる?』
「持ってなくて立ち往生してる。タクシーも拾えないし」
『だと思った。迎えに来てあげたから感謝しなよ』
「えっ?」
『西口で待ってるね』



早く来ないと帰るからね、と言い残して通話が終了した。
迎えに来ている……西口で待ってる…
彼女の言葉を頭の中で反芻した後、人の波をかき分けながら走り出す。

仕事は終わったの?
どうしてここにいるの?
迎えに来てくれたって本当?

色々な疑問が頭を駆け巡る。



「サクラー、お疲れ〜」
「桜月……本当にいた」
「失礼な。アンタの中で私ってどういうキャラよ」
「ごめん、ありがとう……仕事は?」
「今日はオンコールでーす。まぁ春樹が当直だからよっぽどのことがない限り電話はないだろうけどね」
「珍しいね、四宮が当直で桜月がオンコールって組み合わせ」
「下屋先生が夕方から熱出しちゃってね。まぁ食欲あるし大したことないみたいだけど、オンコールは無理だろうということで」
「そっか……桜月もお疲れ様」



西口に回ってきて、彼女を見つけるより先に彼女から声をかけられた。
下屋が熱を出したというのも意外だが、その状況で彼女が今この時間にここにいるというのも驚きだ。
彼女の横顔を見つめ過ぎていたのか、考えていたことが顔に出ていたのか、ぷっと彼女が吹き出した。



「サクラ、見過ぎ」
「あ…ごめん」
「書類仕事はゴロー君に任せてきた」
「え、大丈夫なの」
「押し付けた訳じゃないよ?彼の方から『僕がやるので帰って寝てください!』って言ってきたんだから」
「……まぁ最近また泊まり込んでたもんね」
「春樹もさっさと帰れオーラ出してたし居心地悪かったから出てきたの」



はい、傘と差し出された傘を有り難く受け取る。
彼女の手にあるのは彼女の傘。
渡されたのは病院に置いてあった自分の傘。
もしかして病院から直接来てくれたのだろうか。
定時で上がって来たのなら、かなりの時間を待たせてしまったのではないだろうか。
何事もないようにしているが、確実に彼女は疲れている。
昨日まで隣で見てきたのだから間違いない。



「サクラ、夕飯どうする?」
「えっ?」
「買って帰る、食べて帰る、材料買って帰って作る、さぁどれ?」
「食べて帰ろう」
「あら、珍し」
「買って帰っても多少の片付けはあるし、帰ってから作るのはお互い疲れてるし…なしでしょ」
「もっともね」



たまにはぶーやん以外にしよう、という彼女の申し出を断る理由もなく、少し前に助産師や看護師達が美味しいと話していたトラットリアに行くことにした。
お互いにこの店が美味しいとかあの店のスイーツがどうとかそういった巷の情報に疎いので、よく助産師達の雑談から情報を得ている。
今日のトラットリアは駅からも病院からも近いのでこの雨模様の中、歩いて行くには最適と言えよう。



「今日は呼び出されそうなんだよなぁ…」
「あれ、さっき四宮だから大丈夫って言ってなかった?」
「んー…朝からお産が多くてね。普通分娩5件、緊急カイザー2件…あと進行中が3件だったかな」
「お疲れ様…」
「今夜は新月だしね、当直が四宮でゴロー君が残ってるとしても…ね」
「じゃあ早めに食べちゃおうか」
「ん、何にしようかなー」



メニューを開いて物色している彼女を盗み見れば、やはり横顔からも汲み取れたが今日は疲れているように見える。
疲れていない日があるのかと問われればそれは否定が難しいので、今日はいつも以上にと言うべきか。



「どうかした?」
「あ、うん。何にしよっか」
「それ今言ったばかりじゃないの。とりあえずこのカルパッチョとピザ食べたい」
「うん、美味しそう」



食にこだわりがある訳でもない。
彼女と食事に行く時は大皿で頼んで二人でシェアすることが多い。
付き合うようになってから、というよりは昔からこんな感じだ。
彼女は僕と違って、人生短いんだから美味しい物、好きな物、食べたい物を食べないと損、とよく言っている。



「わ、美味しそう!」
「うん、そうだね」
「いただきまーす!」



早々に運ばれてきた料理を手際よく取り分ける桜月。
彼女が女性らしい、らしくないの問題ではなく早く食べたいから、という理由で飲み会の席でも率先して取り分けるからよく下屋に止められる。
そして今日はオンコールの可能性が高いなら尚更だ。



「んっ、美味しい〜」
「ホントだ、真弓ちゃん達が絶賛してたのも納得だね」
「いいお店教えてもらったわー」



彼女が最後のドルチェまでしっかり食べて店を出ることができた。
進行中のお産があまり進んでいないのだろうか。
それとも四宮がゴロー君と頑張ってくれているのだろうか。
何にせよ何事もなく食事を終えることができたのは感謝しかない。



「うわ、まだ降ってる」
「さっきよりは小降りになってるし…」



店先で並んで傘を開いたが、隣のパールレッドの傘は開いた後で再び閉じられた。
不思議に思って彼女を見れば、ニヤリと悪戯っ子のように笑ったと思えば傘を纏めて僕の傘に入ってきた。



「桜月?」
「小降りになってきたし…たまには、こういうのもいいでしょ?」



傘を持った僕の腕に腕を絡めてくる桜月が愛おしくて。
どうかもう少しだけ、この時間が続くことを願って。


*あめふり*
(…もしもし?うん、…うん、分かった。すぐ行く)
(四宮?)
(うん、さっきの進行中の妊婦さんがみんな進んでるし他にも陣発で来るから手が足りないって)
(僕も行くよ)
(いいよ、疲れてるでしょ)
(この状況で一人で帰れる方が気がかりだよ)
(ありがと、助かる)


fin...


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