コウノドリ

□もう少しだけ
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「こ、鴻鳥先生!大変だよ!!」
「小松さん?」
「さっき、事故で、救急外傷で運ばれてきた患者さん、桜月さんだって…!」



穏やかな昼下り。
頭部を鈍器で殴られたような衝撃が走った。



「…え、?」
「サクラ」
「四宮…?」
「行って来い。そんな顔でここにいられても迷惑だ」
「、ごめん…!」



優しくないようで気遣ってくれているのが分かる同期の言葉に背中を押されて走り出す。
怪我?事故?…どうして?

足が震えて力が抜けそうになる。



「で、小松さん。彼女の様子は?」
「シノリン、それ聞いちゃう?」
「小松さんが一緒に行かないなら大したことはないんでしょ」
「まぁねー」
「人騒がせな……」
「まぁまぁ、今日は午後外来もないしいいじゃないの」



僕が飛び出して行ったその後でこんな会話が繰り広げられていたとも知らずに、救命科を目指してひたすらに走った。






























彼女の居場所を聞けば第一処置室にいるという。
ノックもせずにドアを開け放てば、



「桜月?!」
「え、サクラ?……何で?」
「おう、鴻鳥先生。話聞いたけど先生の彼女なんだって?
こんな若い子捕まえて隅に置けねぇなぁ」
「えーと……身体は大丈夫?」



左腕を三角巾で吊ってはいるが、それ以外見た目は元気そうに見える桜月が目に入った。
しかも処置室のベッドではなく椅子に座って加瀬先生と楽しそうに談笑している。



「え、あれ?さっき小松さんに会った時に言ったんだけど…聞いてない?」
「桜月が救急外傷で運ばれてきたってしか……」
「やだ、情報が皆無じゃない。見ての通り元気だよ?」
「ま、念の為今日は入院してもらうけどな」



彼女と加瀬先生の話を合わせて聞けば自転車と出会い頭に衝突して、倒れて手をついた時のつき方が悪く左手首を捻挫、それに両膝と左脹脛の擦過傷。右脇腹から右太腿にかけての打撲。
怪我の範囲は広いが程度は軽い。
自己申告により頭部は大丈夫とのことで検査も異状はないが、衝突した際に彼女が吹っ飛ばされてしまっているので念の為、一泊入院となったそうだ。
命に別状はないと聞き、ここまで全力で走ったのと安堵感で足から力が抜けていくのが分かる。



「サクラ、大丈夫?」
「それは僕の台詞……無事で良かった…」
「何かごめんね、心配かけて」
「おら、イチャつくなら病室行け。
鴻鳥先生、案内頼んだぞ」
「はい……あ、ごめん。桜月、ちょっと医局に連絡だけしていい?」
「もちろん」



ニヤニヤしながら処置室を出て行く加瀬先生。
今度アイスを持って行かないとな……と思いながら院内用のスマホで医局に電話をかける。



『産科、四宮です』
「あ、四宮?鴻鳥だけど…」
『何だ、慌てて出て行ったわりに早いな』
「……小松さんから聞いたんだろ」
『まぁな。午後は外来ないし進行中のお産もないから戻らなくてもいいぞ』
「僕、当直だし。念の為の入院だから落ち着いたら一旦戻るよ。それまで頼む」
『あぁ』



今戻れば助産師と看護師の格好の餌食だ。
それに四宮がいるなら、余程のことがない限り呼び出されることはないだろう。
それならお言葉に甘えて彼女の側にいさせてもらおう。



「ねぇ、見ての通り不便なのは左手首だけだから大丈夫だよ?」
「うん、まぁ今日は落ち着いてるし四宮も大丈夫だって言ってくれたから病室まで送って落ち着くまではいるよ」
「…ごめんね?ありがとう」
「とりあえず、病室行こっか。
必要な物あるなら売店寄る?それとも僕が家に取りに行ってもいいし」
「現時点で何が必要か思いつかないから、病室で考えてみるよ」
「ん、分かった」



手を取って歩きたいところだが、白衣を脱いでいるとは言え、一応職場なので彼女の荷物だけを手にして処置室を出る。
腕を吊っている三角巾に目が行きがちだがよく見ると両足も包帯が巻かれていて、命に別状はないのは分かっているが痛々しいその姿に胸が痛む。



「サクラ、そんな顔しないの」
「…ごめん、桜月が怪我してる本人なのに」
「見た目ほど痛くないし、折れてる訳じゃないからすぐ治るよ」
「……明日、当直明けたら迎えに来るよ。一緒に帰ろう」
「もー、心配しすぎ」



本当に大丈夫だよ、と笑う彼女。
事故に遭ったと聞いた時は心臓が止まるかと思った。
僕の人生の中で、誰かを失うことがこんなにも怖いと思う日が来るなんて、考えてもみなかった。



「……ふふっ」
「今の会話で笑うところあった?」
「ごめんごめん、いや…こうやって心配してくれる人が近くにいるのはいいなぁって思って」
「ん?」
「さっき処置室入ってきた時のサクラの顔、写真に撮っておきたかったなぁ」
「…桜月?」
「ごめんってば、怒らないで。
………正直、相手が自転車だったとは言え、気持ちがまだ落ち着いてなくて、強がってないとちょっとしんどい」



彼女の言葉にハッとして顔を見れば、顔色が悪い。
病室の前まで来たのでドアを開ければちょうど個室。
病室内に彼女を入れてベッドに座らせて脈を測る。



「気持ち悪いとかない?」
「ん……平気」
「ごめん、気づかなくて」
「サクラ」
「うん?痛む?」
「ちょっとでいい、抱き締めて」



下ろしていた視線が真っ直ぐに向けられて縋るように見つめられ、それを拒む理由なんてなかった。
怪我に響かないようにそっと抱き寄せれば彼女の体が緊張状態なのがすぐに分かった。



「…ごめん、仕事中なのに」
「気にしなくていいよ、四宮からは戻らなくていいって言われてるくらいだし」
「……当直でしょ?」
「夜はちょっと無理かもしれないけど、今は大丈夫だから…今は桜月の側にいるのを優先したい」
「ん……」
「こういう時、側にいられるのは僕の、彼氏の特権でしょ?」



全身の筋肉が強張っているのではないかと思うくらいに体に力が入っている。
緊張が少しでも解れるようにそっと背中をポンポンと叩けば、少しずつ心のガードが溶けていくのが分かる。

ポーカーフェイスが上手なのは社会人としては大切なことだけれども、自分の前では弱いところも見せてほしい、というよりも自分の前でくらい強がらずにいてほしい。
彼女が僕の心の拠り所であるように、僕が彼女の拠り所になりたいと切に願う。



「サクラ…」
「ん?」
「来てくれてありがとう……嬉しかった」
「小松さんに感謝しないとね」
「うん…明日退院したら小松さんにお礼言ってから帰る」
「そうだね」
「……ごめんね、思ってたより大丈夫じゃなかった」



もうちょっとだけでいいからこうしてて、と無事だった右手でスクラブの裾に控えめに縋る彼女。
軽度な事故だったとは言え、大きな病気や怪我などしたことがないと言っていた彼女にとっては体よりも心のダメージの方が大きいのかもしれない。




「大丈夫、桜月が落ち着くまで側にいるよ」
「ん…」



そっと髪を梳けば肩に頭を預けてくる桜月。

ごめん、四宮。
もう少しだけ時間が欲しい。
不器用な優しさをもつ同僚に後でジャムパンと牛乳を奢るから、と心の中で謝罪して彼女の額に唇を寄せた。



*もう少しだけ*
(小松さん、押さないでくださいよ!)
(だって見えないんだもの!)
(あっ、鴻鳥先生がデコチューした!)

(……下屋、小松さん、何してるの)
(えっ、あっ…下屋先生まで?……お久しぶりです…)

fin...


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