コウノドリ

□流行りの歌
1ページ/1ページ


彼女の部屋の鍵を開けて中に入れば軽快な音楽が聞こえる。
この曲、何だっけ。
今流行りの男性アイドルユニットの新曲だった気がする。
彼女がこのアイドルを好きだと聞いたことはなかったけれど、こういうのも聞くのか。



「ただいまー……?」
「わっ、サクラ?!」



リビングのドアを開けてみれば、テレビ画面に映された某アイドルのMVを見ながら一生懸命に振りを真似して踊る桜月の姿。
意外な一面だ。



「いやっ、これは違うのっ」
「別にBABYの曲以外を聞いたって怒らないよ?」
「そうじゃなくてっ」
「うん?」



慌ててリモコンを操作して一時停止をする彼女。
そんなに慌てることもないのに。
意外な一面だが、そんな彼女も可愛いと思う。



「これ、別に私の趣味じゃないから」
「そうなの?」
「……今度、お楽しみ会があって。職員からの出し物で踊ることになって…」
「へぇ、そんなのあるんだ?」
「毎年若手がやる通例なんだけど…」
「うん…あのね、桜月も十分若いからね?」



以前……それこそ知り合ったばかりの頃に言っていた。
自分は中堅で若手の位置ではない、と。
確かに彼女の仕事の世界では中堅かもしれないが世間からすれば十分に若い。
なかなかそこのところのズレが解消されない。



「いや、本当に勤め初めて1、2年目の子がやることが多いんだけど……その、」
「ん?」
「お母さん達から『桜月先生は絶対に出てほしい』って声が多いらしくて……」
「人気があるっていいことじゃない」
「有り難いんだけど、そろそろこういうの卒業したい…」



首に巻いたタオルで汗を拭きながら口元を隠す桜月。
せっかくだから見せてもらいたいものだが、きっと断固拒否されるだろう。



「そもそも私、元々こういうアイドルの曲知らないし、最近は特にBABYしか聞かないし流行りとか分かんないから曲を覚えるのに時間かかってね……」
「上手だったよ?」
「うぅ……」



これはもうきっと今日は踊ってくれることはなさそうだ。
プレイヤーを止めてテレビまで消してしまった。



「…ごはんは?」
「病院でカップ焼きそば食べたよ」
「いつ?」
「20時くらいだったかな?」
「お味噌汁温めるね」
「ありがとう」



キッチンに向かった彼女の背中を目で追ってから、床に鎮座している電子ピアノの電源を入れる。
最近どうにもピアノを弾くことが多くて、ついに買ったと言っていた。
僕のところで練習していいのに、と言ったが下手すぎて聞かれたくないそうで。
その辺りの心境はよく分からないけれど、



「えーと……」



先程の曲、病院の待合室のテレビでも流れていた。
フレーズを頭の中で思い返した後、自分の物とは違う軽い鍵盤に指を乗せて軽く弾いてみる。
うん、普段あまり弾かない曲調だからちょっと楽しい。
うろ覚えなところは適当なアレンジで、1番を弾き終えれば後ろから感嘆の溜め息が聞こえた。



「本当に…すごいね、サクラ」
「うん?」
「だって今の弾いてたの、さっきの曲でしょ?」
「うん、あんまり弾かない曲調だから楽しいよ」
「聞いただけで弾けちゃうんだからなぁ…」



テーブルに軽い夕食が用意されて、席につけば向かい側に座った彼女が両手で頬杖をついて見つめてくる。
そんなに見つめられては食べにくいのだが…。



「指も長いし、ピアノ向きの手だよね……」
「えーと、桜月?」
「羨ましい…」



常々言っている。
ピアノはどうにも苦手だと。
やってできないことはないが、1曲弾けるようになるまでには相当な時間を要するという。
学生の頃はピアノが必須科目だったこともあって、単位取得の為にできるだけ練習していたそうだが、社会に出てからは日々の仕事に忙殺されてピアノの練習までは手が回らない、と。



「誰にでも得手不得手はあるから、桜月は手先が器用だし」
「それは…そうだけど、最近ピアノまで求められるのは何なんだろう……」
「うーん…スキルアップを求められてる?」
「うぅ……サクラ」
「うん?」
「やっぱりピアノ教えて」
「僕で良ければ」



小さな約束。それすらも愛おしい。
ちょっと練習する、と言ってピアノに向き合う彼女が繰り広げる音楽を聞きながら、遅めの夕食を楽しむことにした。



*流行りの歌*
(サクラー…)
(うん?)
(気分転換に何か弾いてー…)
(じゃあ僕の部屋に行こうか)
(…電子ピアノじゃ無理か…)
(うーん、ちょっと鍵盤足りないかな)
(よし、じゃあ行こう)

fin...


次の章へ
前の章へ

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ