コウノドリ

□おうちデート
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ここ最近、同期の加江が救命に異動してからというもの仕事に忙殺されていた。
医師が一人減った、ということはその分仕事も増えるということで。
完全な休みが減ることは仕方ないと頭では分かっているが、それでもやはり精神的に磨り減るものはある。
オンコールはいつ呼ばれるか分からず遠出はできないが元々出不精な故にその点に関してはあまり不便を感じない。
最低限の買い物ができれば、あとは病院にいてもいい、と思うくらいにはワーカホリックになりつつある。

そんな自分ではあるが、今日のオンコールはできればスマホが鳴らないことを祈ってしまうのは。
そう、久しぶりにできた彼氏……と表現するのも恥ずかしいくらいの、付き合い初めたばかりの人の部屋へ行く。

付き合い初めたばかりと言っても、同じ職場で毎日顔を合わせているのだから新鮮味はあまりない。
が、職場では先輩後輩の立場。
オフとはまた違う。

しかも初めてのおうちデート。
そもそもデートらしいデートが付き合い初めた日を含めると2回目という…少し切ない現実。
ネットで『おうちデート 服装』で検索をかけまくって、悩みに悩んだ結果、白のパーカーに薄いラベンダーのチュールスカートを組み合わせてみた。
……おかしくないだろうか。

先程《今から病院出るから、この前と同じところで待ち合わせでいい?》とメールが入った。
病院から駅前まで歩いて10分ほど。
実はもう既に駅前のカフェにいる。
家にいる時間が長いほど、服装や髪型で悩んでしまうので潔く家を出てきていた。
流石に張り切りすぎだと思われるのも恥ずかしいので《分かりました、こちらも向かいます》と返信をして、待ち合わせ場所へ向かうことにした。



「ごめん、お待たせ」
「お疲れ様です」
「無事に帰れて良かったよ」
「昨日、忙しかったですか?」
「いや…高宮が帰る時に進行中だったお産が2件とも夜に無事産まれたくらい。夜中は静かだったから仮眠も取れたし、そんなにぐったりはしてないかな」
「あ…良かった。先生、朝ごはんは…?」
「うーん、帰る途中コンビニで買って行ってもいい?」
「勿論です」
「じゃあ行こうか」



当たり前のように手を差し出されて、手を重ねれば指を絡められる。
所謂、恋人繋ぎ。
こともなげにこういうことをするから、心臓がもたない。
恥ずかしくて顔を上げられずにいるが、彼が足を向けた方向を見遣れば自分のマンションと同じ方角。



「…先生、こっち方面なんですか?」
「うん、そうだけど……そろそろオフモードに切り替えようか」
「あ……サクラ、さん」
「ん、よし」



無意識だと呼び方が仕事中のそれになってしまうのはまだ付き合い初めて日が浅いからなのか、それともすっかり定着してしまっているからか。
そもそもデートらしいデートもできていないのに呼び方だけ変えるというのは至難の業だ。



「私のマンションもこっちなんですよ」
「あ、そうなんだ?じゃあ案外ご近所さんなのかもね」
「知らない内にお互い前を通っているかもしれませんね」



帰り道のコンビニもやはり自分のマンションからは近くて、寧ろこのコンビニは何度も利用したことがある。
これまで会わずにいたことが逆に不思議なくらいだ。



「僕のところ、ここね」
「わ…本当にご近所。うちのマンション、そこの角を曲がって少し行ったところです」
「まぁ病院の近くで駅のこっち側だとこの辺りになるからなぁ」
「確かに…」



マンションの一室、サクラさんの部屋の前でピタリと足を止める。
鍵を開けようとして手が止まってしまっていた。



「ごめん、ちょっと…5分だけ待ってもらっていい?」
「えっ、あ…はい?」



慌てて部屋の中に姿を消すサクラさん。
何だろう、部屋が散らかっているくらい気にしないんだけれども。
それとも…今日話すと言っていた彼の秘密というものが関係しているのだろうか。

気にはなっていた。
産科医としての彼の姿は近くで見てきたが、プライベートな部分はほとんど知らない。
付き合いの長い四宮先生や小松さんは何か知っているようだが、四宮先生以外は彼と自分が交際していることを知らない状況で小松さんに聞くのは危険な気がする。

今日、どうやらそのプライベートな部分を教えてくれるようで、少しの緊張と大きな期待が入り混じった状態だ。



「お待たせ」
「何か…すみません」
「いや、誘ったの僕だしね。色々散らかしたままだったから、それだけ片付けたよ」



ドアが再度開けられて、半身をずらして中に迎え入れられる。
お邪魔します、と扉をくぐれば想像よりも広い部屋。
2LDKって言ってたけど広くない?ヤバくない?
グランドピアノまで置いてあるよ、この部屋。
ピアノが弾けるのは知っているし、一度病院で弾いている姿を見たこともあるがまさか自分でグランドピアノを所有しているとは。



「お客さんなんてしばらく来てないからスリッパもなくて…ごめんね、今度買いに行こう」
「あ、いえ…」



散らかっている、と聞いていたがどこが散らかっているのだろう。
というより物が少なくて、少なすぎて驚いた。
ミニマリストなのかと思うほどだが、たぶんそうじゃない。
病院にいる時間が長くて、物を置いたところで使う頻度が少ないから置いていないだけ、そんな気がする。
それにしても生活感があまりないのが気になる。



「そんなに見ても楽しいことないよ?」
「…サクラさんのプライベート、初めてなので興味しかありません」
「アハッ、なるほどね」



じゃあ今度は桜月の部屋にお邪魔させてもらおうかな、なんて言いながら先程コンビニで買った袋からペットボトルが出された。
私が病院でいつも飲んでる無糖の紅茶。



「お客さん用のカップとかもないからこのままでごめんね。
今日、後で色々買いに行くのもありかな」
「あ…いえ、先生当直だったんですし、そんな気になさらないでください」
「ほら、また名前」



あ、と口を押さえれば苦笑を浮かべるサクラさん。
これはもう癖だ。どうしようもない。
サクラさんに促されて、ソファに座れば間を空けずに隣に座るサクラさん。
……近くないですか?



「うーん、僕は結構普通に呼べるんだけどなぁ……桜月って」
「だ、だって…」
「恋人らしいことでもしたら、呼び方変わるかな」
「え、」



腰を引き寄せられてサクラさんの温もりに包まれた。
昨日のスクラブから香った消毒液などの病院の匂いとは違う、サクラさんの香り。
一瞬で全身が熱くなる。



「っ、ちょっ…サクラさんっ……」
「あれ、嫌?昨日は大人しかったのに」
「嫌とかでは…」
「じゃあ、いいよね」



嫌ではない、が恥ずかしい。
先程もそうだったが、こともなげにこういうことをするのだから心臓が痛いくらいに早鐘を打っている。
少しでも空間を作ろうとサクラさんの胸に手を付いて押してみるが、びくともしない。
これが男女の差なのか。



「アハハッ、桜月真っ赤だよ」
「サクラさんの、せいですっ…」
「ごめんごめん……ねぇ、キスしてもいい?」
「っ、聞かないでください…」
「ダメってこと?」
「い、意地悪っ」



腕の力が少し緩められて、顔を覗き込まれた。
頬にかかった髪の毛を優しく避けられて、そっと口付けられた。
触れるだけの、優しいキス。



「っ、……」
「そんなに緊張しないでよ、僕もドキドキしてるんだから」
「うそ…つかないで、ください」
「嘘じゃないよ、ほら」



そっと手を取られて脈を取るよう促されれば、確かに私と同じくらい早く脈打っている。
そんな風には全然見えないのに。
ポーカーフェイスが巧すぎるのもこちらとしては困りものだ。



「ね?」
「鴻鳥先生はいつも余裕そうに見えるけど、実は内心緊張したり不安だったりすることあるんですね」
「そりゃ勿論」



顔を見合わせれば同時に笑いが込み上げてくる。
穏やかな時間。
こんなにも心が穏やかになるなんて、いつ以来だろう。


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