コウノドリ

□僕のことだけ考えて
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新しい論文と弁当箱を抱えて上機嫌で医局を出て行った桜月が不機嫌な顔で産科の休憩室に入ってきた。
……きっと彼女のこの機嫌の良し悪しに気づくのは僕くらいだろう、と自負している。

それは置いておくとしても、一体何があったのだろうか。
論文は彼女が最近特に力を入れて勉強している分野のもので、先に読んでいいと言えばパッと雰囲気が明るくなったのをこの目で見たのに。



「……高宮?」
「お疲れ様です、お食事ご一緒してもよろしいですか」
「、どうぞ」



いつも以上に固い言い回しに違和感を覚えつつも、断る理由なんてなくて。
テーブルに弁当が広げられると食べかけの中身が視界に入った。



「論文読むの途中で切り上げて来たの?」
「………加江と白川のバカの口論に挟まれまして」
「あぁ……」



『白川のバカ』という言葉の棘が引っかかるけれど、きっとまた白川先生が何か言ったんだろう。
あの二人の喧嘩が始まると彼女は大概聞き流しているのに、こんなに不機嫌そうなのも珍しい。



「………早く、鴻鳥先生に追いつきたい」
「え?」
「患者さんからもスタッフからも信頼厚くて、手術の腕はピカイチで、…先生がいれば大丈夫……って、鴻鳥先生みたいに言われるようになりたい」



四宮や僕を目標にしていることは知っている。
追いつきたいという気持ちがあることも、その為に彼女が努力を惜しまないことも。
下屋とは真逆の彼女が感情を、自分の思いを口にすることは少ない。

そういう部分は四宮に似ている気がする。
勿論、若さ故に不安になったり助けられなかった生命を前に涙したりすることはあるが。
そんな彼女がこういう言い方はしない子なのは、僕だけでなく産科チームの誰しもが知っている。



「……すみません、忘れてください」



深い溜め息の後で顔を上げた桜月は渋い顔をしたまま。
何かあったに違いない。
それが何なのか、読み取るには情報が少なすぎる。
聞き出すにしても硬くなった心を上手く解してやらないと逆効果になる。
少しずつ僕の言葉で彼女の肩の力が抜けていく、その姿がたまらなく愛おしい。

少し前に雑談の流れでそんな話を四宮にしたら『前から知ってたがお前、変わってるな』と言われたのを思い出した。

さて、今日はどうアプローチをかけていくか。



「……お弁当、美味しそうだね」
「え、あ……別にいつもと同じですよ」
「卵焼き、またもらってもいい?」
「…どうぞ」



テーブルを挟んで斜向かいに座っていた桜月の隣に座り直してお弁当から卵焼きを頂戴する。
相変わらず甘めの優しい味で美味しい。



「うん、美味しい」
「…良かったです」



卵焼きをもらうことが目的ではなくて。
それを理由に単に彼女との距離を縮めたかっただけ。
そっと頭に手を乗せれば、一瞬肩を震わせて困ったように眉を下げながらこちらを見上げる桜月。
言いたいことは何となく分かる。



「先生、休憩室ですよ…?」
「分かってるよ」
「誰か来ますよ…?」
「まぁ僕らのことは皆知ってるから」
「それは、そうですけど……」
「僕としてはそんな顔してる子を放っておく方が問題だからね」



ぽんぽんと頭を撫でれば、少し肩の力が抜けたのが目に見えた。
『手当て』という言葉の語源に昔は患部に手を当てて治療したとか、手を当てることで血行が良くなるとかの通説があるが医学を学んだ身としてはあまり信用していない。
実際にそれで治るのならば僕ら医者はいらない訳で。
それでもこうして彼女の体から力が抜けるのを見ると、それもあながち嘘だと言いにくいな、なんて思う。



「……ようやく一人前になったのに」
「うん?」
「やっとスタートラインに立ったと思ったら、鴻鳥先生も四宮先生もずっとずっと先にいて。
どう頑張っても追いつけそうになくて」
「そう簡単に追いつかれても困るなぁ」
「…本当に追いつけるとは思ってませんよ。
私が前に進んだ分、先生方も前に進んでるんですもん」
「それでも、努力を怠らないのが高宮だろ?」



頭を上げて驚いた表情を見せる桜月。
大丈夫、分かってるよ。
差が大きく果てしなくても簡単に諦める子ではないことも、常に努力を惜しまないことも。
この関係になる前からずっと見守ってきたから。



「……はい、白川の戯れ言なんかに付き合ってる暇も落ち込んでる暇もありません」
「うん、その意気だね。
………ちなみに何て言われたの?」
「それ、聞きます?」



せっかく立ち直ったのに、と苦笑する彼女はどこか楽しそうで。
あぁ、良かった。そうやって笑えるなら大丈夫そうだ。



「その……『産科のリーダーで患者さんからもスタッフからも信頼厚くて手術の腕はピカイチ。』」
「さっきのは白川先生の台詞か」
「その後で『あの人が産科医辞めることはないだろうし、高宮が今後、仕事辞めて専業主婦になっても悠々自適な生活送れるだろ』って……」
「あぁ……」
「とりあえず頭引っ叩いて生まれ変わって人生やり直せ、とは言ってやりましたけど、男尊女卑にも程がありますね」
「……結構、白川先生に容赦ないよね」
「アレを甘やかしたら付け上がるだけですから」



ようやく箸を取って食事を再開した彼女の表情は先程よりは少し晴れたもので。
これなら午後からも大丈夫だろう。



「まぁ…僕としては」
「……?」
「桜月が僕の家族になってくれるって言うならいつでも大歓迎だけどね」
「っ、!?ゲホッ、ゲホゲホッ」
「おっと、大丈夫?」



想定外だったのだろう。
思い切り咽る彼女の背中を摩ってやる。
少し落ち着いたところで涙目でこちらを睨む彼女がどうにも可愛くて。
睨まれているのに迫力がなく可愛いとすら感じてしまうのは彼女に惚れている証拠か。



「サ、クラさん…何を……!」
「うん?本心だよ?
まぁ桜月はまだそういうこと考えてないかもしれないけど」



頭の片隅には入れておいてね、と頭を撫でてから休憩室を出る。
寸前に振り返って見れば真っ赤な顔で頬を押さえる桜月の姿。

これで午後、白川先生のことを考える余裕はなくなっただろう。
仕事以外に男の人のことで頭を悩ませるなら自分のことだけにして欲しい。

そんな我ながら情けない考えは彼女には見せられないけれど。


*僕のことだけ考えて*
(あ、いた!桜月探したよー!)
(あぁ…うん、ごめん)
(白川はしばき倒しておいたから!)
(うん、ありがと)
(桜月、大丈夫…?)
(え?)
(顔赤いよ?)
(っ、何でもない)


fin...


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