コウノドリ

□落下未遂
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「ありがとうございましたー…」
「お大事に」



ここはペルソナ総合医療センターの整形外科。
松葉杖をつきながら診察室を出て、深い溜め息を吐いてしまった。

仕事中、階段を下りる子ども達の補助をしていた際にバランスを崩した子の転倒を阻止しようとして、逆にこちらがバランスを崩してしまい階段を踏み外してしまった。
幸い子ども達に怪我はなかったがどうも足のつき方が悪かったようで、右足に激痛が走った。
園の看護師に診てもらうが、転んだ直後から相当な痛みと腫れがあり、これは病院に行ってレントゲンを撮るべきと言われて。
午後から早退して一番近い病院、ペルソナ総合医療センターに来ていた。

正直なところ、ペルソナには来たくなかった。
万が一、ここで働いている彼にこんな姿を見られたら……とは思ったが、そんな理由を職場で話せるはずもなく。
しかもタクシーまで用意してもらい逃げ場がなくて、おとなしくペルソナを受診する運びとなった。
ペルソナの整形外科は初診だったし、レントゲン撮影やら、仕事中の怪我なので労災扱いになる為手続きの仕方や病院に提出する書類の説明などで相当な時間がかかってしまい、全て終わった頃には外はすっかり暗くなってしまっていた。

とにかく職場に受診結果を知らせないと。
携帯電話使用可能エリアへ移動して、電話をかける。



「……あ、お疲れ様です。高宮です。
はい、今病院終わりまして……とりあえず折れてはいなかったです。
はい、捻挫でした。無理をしなければ3週間くらいで治るということでした。
そうですね、松葉杖ですね……。
はい、はい…すみません。よろしくお願いします。
また連絡しますので、はい、失礼します」



週半ばということもあり、今週いっぱいは休みでいい、とのことだった。
来週以降についてはまた今週末に相談、という形にはなったものの、おそらく来週は出勤することになるんだろう。
慢性的に人手不足なのだ。
今週いっぱい休みをもらうのも心苦しいものがある。
行けばその分やることはたくさんある。
足以外は元気なのだから、出勤すればそれだけ戦力にはなるはず。

……我ながら思う。



「とんだ社畜根性だわ……」



もはや乾いた笑いしか出てこない。
うん、とりあえず今日は帰ろう。
幸いなことに常備菜はまだ冷蔵庫にたくさんある。
週末くらいまで買い物に行かなくても何とか乗り切れそうだし、いざとなったらネットスーパーという手段だってある。
便利な世の中で本当に良かった。

あとは彼に見つかる前に帰るだけ。
普段ならペルソナからマンションまでは歩いて10分程度。
しかし慣れない松葉杖となると更に時間がかかるだろうし、別な箇所を痛める可能性だってある。
それならば多少の出費も仕方がない。
タクシーを使おう。



「あれ、桜月先生?」
「………………小松、さん?」



不意に背後から声をかけられてゆっくりと振り返って見れば、いつも元気なお団子頭の助産師さん。
できれば会いたくなかった人物その2。
その1は言わずもがな。



「やだ、桜月先生どうしちゃったの?!」
「いや…ちょっと、仕事中に階段踏み外して…」
「えっ、大丈夫?」
「全治3週間の軽い捻挫なので大したことないです!本当に!」
「ちょっとー!鴻鳥先生ー!!」
「…えっ?」



小松さんの声に応えるようにして姿を見せたのは、今最も、誰よりも会いたくなかった…



「サクラ……!」
「小松さん、大きな声出してどうしたんです……うん?
桜月?えっ、その足どうしたの?」
「仕事中に階段から落ちたんだって!」
「落ちてません!踏み外しただけです!」
「でも全治3週間なんでしょ?」
「それは、そう…ですけど」
「全治3週間って、捻挫にしては酷い部類だよ」



あぁ、失敗した。
職場への電話なんて帰宅してからでも良かった。
一刻も早く病院から離れておけば小松さんともサクラとも鉢合わせることなんてなかったはず。

そんなことを言っても後悔先に立たず。
後の祭り。覆水盆に返らず。
とにかくそんな言葉ばかり出てくる。



「すみません、小松さん。僕、帰りますね」
「え、」
「寧ろ帰れ!これでこのまま私達とご飯に行くなんて言い出したら蹴飛ばすわ!」
「いやいや…後帰るだけだし、気にせずご飯行って来て?」
「…………桜月、それ本気で言ってる?」
「桜月先生、その状態を見て気にするなって方が無理だよ」



味方になってくれそうな小松さんからもストップがかかってしまい、観念してサクラに付き添われてタクシーに乗り込む。
完全に失敗した。
こんなはずではなかったのに。



「何があったの?」
「階段下りる補助してて…落ちそうになった子を助けようとして階段踏み外した」
「……子ども達が最優先なのは分かるけど、自分の体も少しは大事にしてよ」
「咄嗟のことでそこまで考えられないよ」
「それはそうだろうけど……」



車という移動手段ならば5分もかからずにマンションに到着する。
半ば強引に支払いを済ませたサクラが私の荷物を持って下りていく。
これはもう素直に付いていくしかなさそうだ。



「よいしょ……ごめんね、荷物。ありがと」
「とりあえず座ってなよ。
…明日の仕事は?流石に休みだよね?」
「あー…うん、さっき電話して今週は休んでいいって。
来週は…たぶん出勤するかな、行ったら行ったで仕事はあるし」
「無理しないでよ、本当に。治りも悪くなるし」
「気をつけます」



帰宅してそのままソファに座るよう促される。
私がソファに座ったのを確認してからキッチンでコーヒーを淹れ始めるサクラ。
何だかいつもと逆だ。



「さっきも言ったけど、子ども優先も大事だけど自分の体も大事にしてよ」
「サクラ、前に言ってたじゃない」
「うん?」
「目の前に助けられる命があるなら僕らは全力で助ける、って。
私の仕事はサクラとは違って生死が関わるレベルの仕事ではないけど、それと同じ。
何かあった時に後先なんて考えていられないよ」
「……そうだね、ごめん」



コーヒーを淹れたサクラがカップを両手にソファに座る。



「……なんて、偉そうなこと言ってるけど、自分でもやらかしたなーと思ってるので、そこはごめんね」
「他に怪我がなくて良かったよ」



サクラがローテーブルにカップを置いたのを確認して、そっと肩に凭れかかればぽんぽんと頭を撫でられる。
あまり心配はかけたくなかったけれど、こうして甘やかされるのは悪くない。

本来なら一緒に過ごせなかったはずのこの時間。
もう少しだけ堪能させて。


*落下未遂*
(夕飯、僕が用意するよ)
(冷蔵庫に色々あるからそれで大丈夫だよ?)
(それは明日以降、僕がいない日に食べて)
(サクラ、大丈夫?無理しなくていいよ?カップ焼きそばでも私は大丈夫だから)
(……そんなに僕って信用ない?)
(指を怪我したら困るから焼きそば食べよう。うん、焼きそば)


fin...


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