コウノドリ

□元気の源
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「どうかした?」
「あ……ちょっと、色々考えちゃって…」
「うん?」



オンコールでもなく日勤のはずの彼女が医局に残っている。
仕事が残っているのかと思いきや、彼女の手はすっかり止まっていて、ただぼんやりとパソコンのモニターを眺めているだけだった。
モニターを眺めている、というよりその目には何も映っていないようで。

もし考え事なら中断させてしまうのは申し訳ないが、そういう訳でもない様子。
声をかければその瞳にようやく僅かな光が戻ったように見えた。



「……最近、中絶手術が増えてきてるじゃないですか」
「夏だから、ね…」



コーヒーを二人分淹れて、一つを彼女に渡せばすみません、と頭を下げて受け取る。

夏は青少年、取り分け中高生の中絶手術が多くなる。
夏休みということを考えると理由は推して知るべし。



「……何度、経験して、技術が身についても、慣れないですし…慣れたくはないですね」
「それは僕だってそうだよ。どれだけ回数を重ねても、中絶手術のある日は気持ちが暗くなる」
「………何ででしょうね」
「うん…?」



ふっと息を吹きかけてからコーヒーに口を付ける桜月。
その横顔は儚げで、普段の……少なくとも僕の前で見せる表情とは程遠いものだった。
思わず抱き締めたい衝動に駆られるがここは職場、当直の時間とは言え誰が入って来るか分からない医局でそんなことをするほど若くはない。



「高額な不妊治療をしても赤ちゃんを授かれないご夫婦もいるのに……本当に望んでいる人には赤ちゃんができなくて、中絶手術を選ぶ人のところに赤ちゃんができて、………何かもう世の中不公平」
「気持ちは分かるけど、人それぞれ事情があるから」
「……すみません、失言でした」



若い故なのか女医希望が多く、元より予約が満員御礼状態の彼女は日に日に疲労が蓄積されていっているのが手に取るように分かる。
しかしながら彼女の疲れを癒やす時間がなかなか取れず、現在まで至っている。
先輩としても男としても不徳の致すところである。
普段の彼女からは出て来ないような言葉から察するに限界が近い。
まだこうして吐き出せるうちはいいが、これが黙り込んでしまった時が一番怖い。



「桜月、明日も日勤だよね?」
「え?えぇ、明日の夜はオンコールですけど……」
「じゃあどこか食事に行こうよ、何食べたいか考えておいて」
「…あんまり甘やかさないでください」
「何で?それは僕の特権でしょ?」
「……自分の感情のコントロールくらい、自分でします」



どうやら僕の思惑に気づいたようで、ふいっと顔を逸らされた。
全く真面目なのもいいが、度が過ぎるのは困りものだ。



「それなら僕がご飯一緒に行きたいから付き合って?」
「………その聞き方、狡いです」
「じゃあ、行かない?」
「……行きます」
「明日仕事終わったら連絡してよ。
今日はもう終わりにして帰りな?」
「……はい」



諦めにも似た溜め息を吐いて帰り支度を始める桜月。
これで良し。強引なのは重々承知の上だ。
それでもこれくらいしないと首を縦に振らないのは分かっている。


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