コウノドリ

□翻弄
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「凄い、演奏でしたね……」
「ね、凄い人でしょ?!本当にカッコい……うん、凄いよね」
「前に鴻鳥先生が……っと、すみません」



開演前に頭を過ぎった、小松さんと山下ジョージの関係を聞こうと口を開いた時にポケットに入れていたスマホが震えたのに気づいた。
着信は予想通り《ペルソナ 産科》
間違いなくオンコール。見計らったようなタイミングに驚きを隠せない。



「お疲れ様です」
『高宮、戻れる?32週の中川さん、大量出血で搬送されてくる。
たぶんすぐカイザーになるから』
「中川さん……前置胎盤でしたね、分かりました。10分で行きます」



通話を切ってすぐにタクシーを捕まえる。
ここから病院までは10分もあれば着くはず。



「小松さん、すみません」
「一緒に行くよ!今日付き合ってもらったんだしね!」
「ありがとうございます……助かります」



病院に着けば鴻鳥先生の見立て通り、すぐに緊急帝王切開となった。
赤ちゃんは1800gほどだったがNICUでの迅速な処置により今のところは問題ないと今橋先生から連絡が入った。
お母さんも出血は多かったけれど子宮全摘出にならずに済んだ。
無事と言っていいのか、まだ油断はできないけれどとりあえず今は落ち着いたと言っていいだろう。

付き合ってくれた小松さんは誰かから連絡が入ったようで、中川さんの容態が落ち着いたところで足早に病院を後にした。



「お疲れ、コンサートは最後まで聞けた?」
「あ……すみません。ちょうど終わって食事行こうかってところでした」



コーヒーを差し出されて、有り難く受け取る。
最近、コーヒーを淹れてもらってばかりな気がする。
一口、コーヒーを啜れば張り詰めていた緊張の糸が解けたのか途端に胃が空腹を訴え始めた。



「っ……」
「アハハッ、カップ焼きそば食べる?」
「いただきます……」



カップ焼きそばを受け取ってお湯を入れる。
タイマーを3分にセットして再びソファに戻れば、そっと隣に腰を下ろす鴻鳥先生。
何だろう、医局なのに距離が近い。



「どうだった?」
「えっ?」
「山下ジョージのピアノ」
「あぁ……凄かったです。
クラシック出身だけあって上品で優雅で、でも遊び心もあって……日本を代表するピアニストの一人というのも頷けます」
「……そう」



鴻鳥先生の声のトーンが低くなるのが分かる。
けれど、事実。
凄い演奏だった。
品があって心が穏やかになるような、優しい気持ちになる演奏。



「でも私は……BABYのピアノの方が好きです」
「えっ……」
「感情をむき出しにして全てをぶつけてくる、情熱的かと思ったらどこか寂しくて……人の心を震わせる、そんなBABYのピアノが大好きです」
「……桜月は僕を喜ばせるのがうまいね」
「そんなつもりは、ないです」



仕事中だというのに不意に名前を呼ばれて、心が跳ねる。
本当にこの人はわざとやってるんじゃないかと思う。



「ねぇ、桜月?」
「なん……でしょうか」
「キスしていい?」
「ここ、医局です。ダメです」
「嬉しいから感謝の気持ちを伝えようと思ったのに。今日はまだ一回しかしてないし」
「ダメ、です……」



ダメだと言ってもスイッチの入ったサクラさんは止められない。
本気で拒否すれば止めてくれるだろうけど、心のどこかで嫌だと思っていない自分がいることはきっと見透かされているはず。



「っ、サクラさんっ……」
「うん?」
「近い、です……!」
「だってキスするから」
「ダメ……」



唇が近づき、吐息が触れ合う。
ここは医局なのに、当直の時間帯で人が少ないとは言え誰が入ってくるか分からないのに。
でも……抗えない。



ーピピピピピピッ…



「、あ……」
「あーぁ、タイムアップ」
「っ、」



急いで彼から離れる。
全力疾走したように心臓が脈打っている。

今、何を考えた?

キス、したい。
そんな邪な考え、仕事中に浮かぶなんて。



「ほら、麺が伸びちゃうよ」
「っ、!」



いつの間にか背後に来ていたサクラさんの手が伸びてきて、カップ焼きそばの湯切りをする。
一つ一つの行動にすら心臓が跳ねてしまうのはここが病院だからなのか。
ここまで来ると私の反応を見て楽しんでいるんじゃないかと疑ってしまう。



「はい、どうぞ」
「いただきます……」



あっという間に完成したカップ焼きそばを箸と共に差し出されて素直に受け取る。
これを食べたら一度帰るか宿直室で仮眠を取るか。
とにかくこのままでは流されてしまいそうだ。
それもまた良いかもしれない、なんて絶対に言わないけれど。



「続きはまた後で、ね」
「食べたら帰りますっ!」


*翻弄*
(ホント帰っちゃうの?)
(帰ります!また何かあったら連絡してくださいっ)
(仕事中とは言え二人で過ごせるのに?)
(っ、その言い方は狡いです……)
(寂しいなぁ、寂しくて泣いちゃいそう)
(もう、サクラさんっ)


fin...


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