コウノドリ

□体温に触れる
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たまには客席から聴いてみたいんです。
そう我が儘を言えば、分かった、と笑顔を返された。
ただし、滝さんの側にいることとライブが終わったらすぐに楽屋に戻ることを約束する。

いつもはステージ袖の椅子に座って聞かせてもらっているBABYのピアノ。
普段と違う場所で聞いたらどんな音色なんだろう、と少しワクワクする。

客席の、バーカウンター席の端に腰を下ろす。
ライブ前の客席にいるのは初めてかもしれない。
今日もチケット完売ですよ〜、と滝さんがご機嫌だったのを思い出す。
皆、BABYのピアノを聴きに来てる人達なんだよね……。



「桜月さん、これ良かったら」
「あ、滝さん……ごめんなさい、お酒はちょっと……」
「今日オンコールなのは聞いてますよ。
大丈夫、ノンアルコールカクテルだから」
「すみません、ありがとうございます。いただきます」



気遣いに感謝しつつカクテルグラスを手に取る。
綺麗な色。
口に運べば、ふわりといい香りが鼻に抜ける。
甘さ控えめで美味しい。



「美味しいです。すごく好きな味」
「サクラさんから甘いの苦手って聞いたから、これならどうかなって思ってたけど喜んでもらえて良かった」
「ふふ、ありがとうございます」
「でも珍しいですね、桜月さんが客席で聞きたいだなんて」



もう一度、グラスを傾けたところで『どんな心境?』と聞かれる。
どんな心境……何と言えばいいんだろう。
いつもはBABYの、サクラさんの近くで彼のピアノを聴くのが当たり前だけれど、少し離れた場所から聴いたら違うのかな。
単純にそう思っただけ、というか。
あとはお客さんの様子を知りたかったというのもある。



「オンコール、ないといいね」
「最後まで聞けたらいいですけど……お産に休みはないですからね」
「サクラさんと同じこと言ってる」
「指導医ですから」



そんな会話で笑っていたら、定刻になりステージ袖からBABYが姿を現した。
客席を見渡して一礼。
顔を上げた彼と目が合って笑いかけられた、気がした。
『今日はBABYもご機嫌そうだな〜』とこれまたご機嫌な声が後ろから聞こえた。










































自惚れてもいいのだろうか。
今日のセットリストは私の好きな曲が散りばめられている気がする。
しかも1曲1曲がキラキラしていて、ライブハウスの中まで煌めいているような、そんな印象を受ける。
この眩さはステージ袖では感じられなかった。



「桜月さんがお客さん側にいるから気合入ってますね」
「そう、なんですか……?」
「もうラブパワー全開って感じじゃないですか〜」



どの辺りがラブパワー全開なのかは分からないけれど、確かにいつもと違う気はする。
もし彼の演奏に私が良い影響をもたらすことができているなら、それは純粋に嬉しいと思う。



「………あ、」



そんなことを考えていたら、鞄の中でスマホが震え始めた。
着信を確認すれば『ペルソナ 産科』の表示。
残念だけれど、ここで退席しなければいけないようだ。
『すみません、オンコールです』と滝さんに断ってから出口へ向かう。
扉をくぐる前、ステージを振り返ればちょうど曲が終わったところでこちらを見ているBABYの姿。
軽く頭を下げてから後ろ髪を引かれる思いでライブハウスの外に飛び出した。


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