コウノドリ
□体温に触れる
2ページ/2ページ
「お疲れ様、吾郎くん」
「お疲れ様ですー、ありがとうございました!」
「落ち着いたから私は帰るね。また何かあったら連絡して」
「もしかして、デート中でした?」
吾郎くん以上に興味津々で近くで聞き耳を立てている人達がいるのは分かっている。
曖昧に笑って余計な詮索をされる前にスタッフステーションを後にした。
時計を見れば時刻は23時を回っている。
流石にライブは終わっているだろう。
今連絡をすれば部屋でお茶をする時間くらいはあるかな、と思いながら通用口を出れば見慣れた笑顔がそこにはあった。
「え、サクラさん?」
「お疲れ様」
「お疲れ様、です……」
「もう終わり?」
「とりあえずは落ち着いたので帰ります、けど……どうしてここに?」
ライブの終了までは予想していたけれど、流石にこの状況は予想していなかった。
驚いたままの私の手を取って『話は歩きながら、ね』と笑いかけられる。
もっともな意見に少し空いていた彼との距離を縮めて隣に並ぶ。
どこか満足そうに笑う彼が歩き出したのに合わせて踏み出せば、繋がれた手に指を絡められる。
美しい音色を奏でるBABYの手。
宝物を扱うように赤ちゃんを取り上げる鴻鳥先生の手。
優しく、時に情熱的に私に触れるサクラさんの手。
そのどれもが愛おしい。
「ライブ、どうでした?」
「お陰様で大成功。誰かさんが途中でいなくなって寂しかったけど」
「すみません……」
「桜月こそ、大丈夫だった?」
「あ、はい。野田さん、回旋異常で……結局帝王切開になりました」
「そっか……大変だったね」
取り留めのない会話をしながらマンションに向かう。
頬を撫でる風が冷たい季節になってきたけれど、それも気にならないくらいに繋いだ手が温かくて。
自分でも気づかないうちに表情が緩んでいたのだろう。
それを指摘されて空いている手で頬を押さえれば、ふふっ、と楽しそうに笑う彼。
「そういえば……」
「はい」
「今日は何で客席に?」
おそらく彼も滝さん同様に気になっていたんだろう。
当然と言えば当然。
曖昧に誤魔化すつもりもないけれど、何となく考えていたことをうまく言語化できるだろうか。
何と言ったらいいか……と前置きをしてから、ふんわりと考えていたことを口にする。
「ステージ袖、BABYの姿は見えるんですけど……お客さんまでは見えなくて」
「うん」
「BABYのピアノを聴いているお客さんの様子が見たいな、と思ったんです」
「成程ね、それでどうだった?」
「すごかったです」
「すごかった?」
もう少し言い方があるだろう、と思うけれど一番に思ったことはそれだった。
お客さん達は皆、BABYのピアノに目を輝かせたり、微笑んだり、涙する人もいた。
こんなにも人の心に響く演奏ができるBABYは凄い人だと、改めて思った。
そして、そんな凄い人の隣にいるのが自分でいいのか、という思いが浮上したところでのオンコール。
「あんなに人を感動させるBABYは、サクラさんは凄いなぁ、って思いました」
「そんなことないよ?」
「そんなことあるんですよ?」
彼は言う。
自分は大したことない、と。
けれど私の知る彼は病院では皆から信頼されて、ステージ上では人々を魅了する。
彼が大したことない人間なら私はどうなるんだろう、と思う。
「だから、私はこのままじゃいけないな、って思うんです」
「桜月?」
「……サクラさん、」
歩みを止めて、彼を見上げる。
産科医の鴻鳥先生でも、ジャズピアニストのBABYでもない、鴻鳥サクラという男性の顔を真っ直ぐに見つめる。
やっぱり私は鴻鳥先生もBABYも全部、この人を形成する全てが好き。
「……………私、もっと頑張ります。サクラさんに負けないくらい」
「桜月、」
「っ、はい……?」
絡んだ視線を不意に逸らして、深い溜め息を吐いた、
と思った急に繋いでいた手を引かれて彼の腕の中に収められる。
「お願いだから物凄く深刻な顔で前向きなこと言うの止めて」
「、え」
急に真剣な表情するから別れ話されるかと思った……と、もう一度深く長い溜め息を吐いて脱力するサクラさん。
突然の彼の行動に心臓が早鐘を打っているのが分かる。
サクラさんといると寿命が縮まりそうだと、たまに思う。
ん……別れ話、?
「あ、ごめんなさい……私、そういうつもりじゃなかったんです。
今日のライブを見て改めて決意表明というか」
「……うん、大丈夫。別れ話されても納得できる理由がない限り別れるつもりないから。
というかどんな理由でも手放すつもりないし、大丈夫」
それは何が大丈夫なんだろう。
元より別れ話をするつもりもないのだけれども。
そうだった、こういうことする子だった、と一人納得しているようなサクラさん。
……確かに勘違いさせるような言動を取ってしまったのは申し訳ないけれど、私だってそう簡単に別れるつもりは、ない。
それが伝わっていないと思うと何だかちょっと悔しい。
「サクラさん」
「ん?、っ」
再度歩き始めたサクラさんの背中に声をかけ、振り返った彼のスーツの胸元を捕まえて背伸びしながらの、キス。
身長差が恨めしい。
背伸びしても彼の協力なしには長い時間、口付けていることが難しいことは分かった。
一瞬触れてすぐに離れてしまった唇。
「私だって、簡単に別れるつもりないです」
「……気が合うね?」
「鴻鳥先生は、指導医ですから」
「後輩に手を出しちゃった僕は指導医失格かな〜」
「彼氏として合格なので、大丈夫です」
ふふ、と笑い合ってもう一度口付け。
今度は少し長い、触れるだけのキス。
*体温に触れる*
(今日は良い日だね)
(ライブ、大成功だったんですもんね)
(まぁそれもあるけど)
(………?)
(桜月からキスされた、しかも外で。滅多にあることじゃないでしょ)
(っ………)
fin...