コウノドリ

□居場所
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数日後、心ちゃんと名付けられた島田さんの赤ちゃんは乳児院に引き取られていった。
奇しくも2年前に同じようにして生まれた矢野さんの赤ちゃんと同じ名前。
あの子は今、どうしているだろうか。
お母さんと一緒に暮らせるようになっただろうか。

そんなことを考えながら屋上で一人、お弁当を広げていたらカップ焼きそば片手にサクラさんが姿を見せた。
私と目が合うとにこりと笑ってこちらへ向かってくる。
『隣、いい?』と聞きながら座る辺り、初めからそのつもりだったのだろう。
勿論、断る理由なんてないのだけれども。



「鴻鳥先生」
「ここにいた」
「もしかして探してました?」
「うん、ちょっとね」
「書類で何か不備がありましたか?」



そうじゃなくてね、と言いながらぽんと頭に手を乗せてくるサクラさんの表情は穏やかで。
胸の奥がきゅーっと締め付けられる。
この人の笑顔はどこまでも優しい。
たまに何もかも捨て置いてこの笑顔に縋り付きたくなることがある。



「どうかした?」
「あ、いえ……あの、何かお話があったのでは……?」
「あぁ、うん。明日の休み、何か予定あるかなって思って」
「明日ですか?いえ、細々とした買い物に行くくらいで特には……」
「そっか、じゃあちょっと付き合ってもらえる?」



付き合う……ってどこにだろう、と首を傾げれば柔らかい表情のまま焼きそばを啜り始めた。
これは教えてもらえないやつかな。
それはそれで楽しみではあるんだけど、服装に悩むからせめて行き先くらいは教えてほしい。



「行き先は僕の実家」
「先生の、ご実家……」
「まぁ実家って言っても家じゃなくて、僕が育った児童養護施設だけどね」
「あ……」
「島田さん……心ちゃんのこと、気にしてたでしょ。だからちょっとどんなところか見たら気持ちも違うかなと思って」
「いいんですか……?」
「きっと皆喜ぶよ」



ふわっと柔らかい笑顔を浮かべたサクラさん。
彼にそんな風に言われると本当にそう思われているような気がした。
































「サクラさん」
「お疲れ様、行こうか」
「あ、はい……!」



『皆喜ぶよ』と言われて帰宅してから何を着ていこうかな、とウキウキしていたけれど。
よく考えてみれば彼にとっては『実家』。
育ての母親、景子ママさんがいる場所。
いや、これってもしかしてご実家へのご挨拶?!と気づいてしまい、そこから落ち着かなくなってしまった。
確かに心ちゃんの行く末を気にかけた私を見かねたサクラさんが提案してくれて、実家に挨拶というよりは見学に行くというのがどちらかと言えば正しい。

それにしても、だ。
気づいてしまったからには頭から消し去ることなんてできなくて。



「ん?どうかした?」
「あ……いえ、」



変な緊張感があるのは仕方のないことで。
いつも彼が帰る前に寄るというケーキ屋さんの前で足を止める。
『シュークリームとエクレア20個ずつで』と楽しそうに店員に話しかけている彼の背中を見ながら、もう心臓の鼓動が早まるのを止められない。
見学だ、見学。そう、見学なのだ。
きっとサクラさんの中で深い意味なんてない。



「桜月?」
「あ、すみません……」
「体調悪い?大丈夫?」
「いえっ、ちょっと、その……緊張、してます」



心配そうに顔を覗き込まれれば素直に打ち明けるしか道はなくて。
俯き加減だった顔から視線だけを上げれば、一瞬驚いた表情から次いで嬉しそうに笑うサクラさんが目に入る。
どうしてこんな嬉しそうなんだろう。
いっそのこと笑い飛ばしてくれればいいのに。
きゅ、とジャケットの裾を摘まめば、大きな手が頭に乗せられた。



「心配しなくていいよ、皆懐っこい子達だから。景子ママも楽しみにしてるって」
「、え」
「うん?昨日、仕事終わりにちょっとだけ顔出してきてさ。桜月の話をしたら楽しみだって」
「そ、そうですか……」



何だろう、物凄い勢いでハードルが高くなってしまった感じがする。
そう感じているのは私だけだとは思う。
心臓が口から飛び出そう。
こんな思いは四宮先生の帝王切開に初めて前立ちした時以来かもしれない。
あの時はあの時で散々だったけれど、今日はそれとはまた違った、それでも少し似ている緊張感。



「桜月?着いたよ?」
「へっ、あ、はいっ!」
「大丈夫だって、皆いい子だよ」



緊張しているのはそっちじゃないんです、と言いたい。
けれど変に意識しているように思われるのも……いや、事実として意識はしていることには間違いはないのだけれども。
悶々としているうちにあっという間にママの家の前に着いていて。
ごく自然に『ただいま』と扉を開けて中へ入っていくサクラさん。
その背中を慌てて追いかけて扉をくぐれば、穏やかそうな初老の女性が笑顔で出迎えてくれていた。


「おかえり、サクラ」
「ただいま、景子ママ。こちら昨日話した、」
「は、初めまして。高宮桜月、と申します。いつもサクラさんには大変お世話になっておりますっ」
「初めまして、小野田景子です」
「アハハッ、桜月、緊張しすぎ」



笑い事ではない。
さっきから心臓がうるさいくらに動きを速めている。
今、脈を計ったら間違いなく心臓の異常を指摘されるだろう。
あぁ、もうどうしよう。

そんなことを思っていれば、奥の部屋から小さな子ども達が顔を出した。
サクラさんと私の顔を見比べた後で笑顔を見せて、隣にいる彼の元へと駆け寄ってくる子ども達。
あっという間に子ども達に囲まれたサクラさんは、ピアノ弾いて、抱っこして、鬼ごっこしよう、お土産何?と口々におねだりする子ども達の言葉一つ一つに笑顔で答えている。

そんな中、小さな……5歳くらいだろうか、女の子が私の側へやって来てそっと私の手を取った。
しゃがんで視線を合わせれば、どこか寂し気な瞳でまっすぐに私を見つめて、



「お姉ちゃん、私のこと迎えに来たの?」



ぽつり、と呟くようなその言葉は期待と不安と、願いが入り混じった切ない一言。
一瞬、言葉に詰まる。
けれどここで嘘をつくことは絶対にしてはいけないことだと思うから。



「ごめんなさい、お迎えに来たんじゃないの。でも、一緒に遊んでくれる?」
「………うん、いいよ」
「ありがとう」



柔らかく笑った女の子の表情に少し安心。
一緒に行くことはできないけれど、今日この時間だけは一緒にいさせてほしい。



「だから言っただろー?その姉ちゃん、サクラの彼女だってー」
「えっ、」
「……お姉ちゃん、サクラちゃんでいいの?」
「こら」



サクラさんを囲んでいた中の小学生くらいの男の子がからかうように私の目の前にいる女の子に声をかけた。
一度視線を男の子に向けた女の子がもう一度私を見つめて、少し心配そうな表情。

勝手な想像だけれど、ここでの彼は子ども達皆に慕われて兄のような存在だと思っていた。
けれど、どうやらここでの彼も病院と同じで若干イジられキャラらしい。



「、ふふふっ……うん、大丈夫だよ。ありがとう。ふふっ」
「桜月、笑い過ぎ」
「ふふっ、すみません」



子ども達のお陰で先程までの緊張感は少し解れた。
ゆっくりと立ち上がって、サクラさんを囲む子ども達に向き直る。



「高宮桜月です、今日はサクラさんと一緒に遊びに来させてもらいました。良かったら仲良くしてください」
「ほら、これお土産。桜月から皆にって」
「え、」



先程のケーキ屋で買ったシュークリームとエクレアを持ち上げて子ども達に見せてから景子ママさんに手渡すサクラさん。
いや、待って。お支払いをしたのは私じゃない。
『おねーちゃん、ありがとー!』と口々に言われるけれど。



「、サクラさん」
「お姉ちゃん、こっちでお人形で遊ぼ」
「えっと、」
「たくさん遊んであげてよ」
「あ、はいっ」



サクラさんと私の会話を聞いていた子ども達にこっちで遊ぼう、と左右の手を引かれて奥の部屋へと誘われる。
振り返ればサクラさんと景子ママさんが並んで笑顔でこちらを見ていた。

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