コウノドリ

□自信はどこから
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『はい』
「お疲れ様」
『サクラさん……?』
「今、大丈夫?」
『あ……はい、勿論です』



仕事を片付けた後、彼女の部屋を訪れた。
いつもなら部屋に向かう前に連絡をしていたけれど、今日はアポ無し訪問。
いなかったら待てばいいし、断られたらおとなしく帰ろうと思っていたけれど、インターホン越しの彼女は驚きながらも快く迎え入れてくれた。
合鍵は持っているけれど、何となく彼女が鍵を開けてくれるのを待つ。

少しの間の後で解錠音が聞こえて、不思議そうな彼女がドアを開けてくれた。
驚きながらも半身をずらして中に招き入れてくれる。



「ごめんね〜、急に来ちゃって」
「いえ……驚きましたけど、論文読んでいただけなので。今、お茶入れますね」
「うん、ありがとう」



キッチンへと向かう彼女を見送りながらリビングテーブルの上に広げられたたくさんの論文に目を移す。
よく見なくても分かる。
きっと羊水検査について書かれた論文だ。

一番上にあったものを手に取れば、予想通りタイトルに『羊水検査』。
今日の羊水検査は問題なかったと聞いたし、その後患者が異常を訴えることもなかった。
それでも尚、こうしてたくさんの論文を読み耽っている辺り、彼女の中には何が不安材料として残っているのだろうか。



「あ……」
「勉強熱心だよね、本当に」
「そういう訳ではないです……」



カップを2つ持ってリビングに戻った彼女が僕の手の中にある論文を見て、少し気まずそうな表情をする。
そんな顔する必要なんてないのに。
テーブルに論文を戻して、彼女の手からカップを受け取ってソファに座る。
彼女もゆっくりと僕の隣に腰を下ろして論文を見つめたまま、カップを口元に運んでいる。



「羊水検査、無事終わったみたいだね」
「あ、はい……すみません、伝えてなくて」
「いいよ、もう研修医じゃないんだし。その後も外来あったんだからさ」
「……はい、」



カップを口に運べば、珍しくコーヒーやお茶ではなく、レモンの香りが鼻孔を擽る。
そうか、部屋に入った時から室内に充満していたのはこの匂いだったのか。
アロマか何かの匂いかと思っていたけれど、どうやら飲み物だったらしい。



「この家でコーヒーとお茶類とアルコール以外の飲み物を初めて見たかも」
「ふふ、たまにはいいかと思いまして。ホットレモネードです」



ホットレモネードをもう一口、口に運んだ後でカップを置いてゆっくりと桜月の方に身体を向ける。
それに気づいた彼女もカップを置いて居住まいを正す。



「一つ、……もしかしたら二つかな、聞きたいことがあるんだ」
「、はい」
「桜月は、自分の技術に自信がない?」



以前から、そしてここ最近特に気になっていたこと。
小松さんから聞いた話や四宮と話して明確になったこと、そして僕自身が感じたこと。
全てをひっくるめた結果、こういう考えに至った。
きっと彼女は自分の技術に自信がない。
それ故に些細なことでも確認を取るし、難しい処置になると尻込みしてしまう。

ただ緊急時にはがむしゃらに、持ち得る知識や技術を惜しみなく発揮するからその判断や処置に迷いがない。
そう、彼女本来のもつ力は間違いなく自信をもっていいはずなのに。



「……自信がない、という訳ではないんです」
「うん?」



ぽつり、と呟くように吐き出されたのは想像していなかった言葉。
自信がない訳ではない、というのはどういうことだろうか。
苦く笑った彼女の視線がゆっくりと僕から外れて、テーブルに置かれたカップへと移っていった。



「……昔からなんですけどね、学校でもバイトでも慣れて少し気が緩むと必ず大きなミスをするんです」
「そうは、見えないけど……」
「これまでは多少のミスも許された。
けど今は一つのミスがお母さんや赤ちゃんの命にに関わるから……」
「だから、羊水検査も予定帝王切開も、怖い?」
「……バレてました?」
「僕だけじゃないよ、四宮も小松さんも心配してる」



すみません、と頭を下げる桜月だけれども謝って欲しい訳ではない。
自信がないのかと思っていたけれど彼女のこれまでの経験がそうさせていたのか。



「自分を過信するつもりはないんです。
ただ……私のミスが、見逃し一つが誰かの命を危険に晒すと思うと、怖い」
「お祈りは?」
「え?」
「小松さんが言ってた、外来の前にお祈りしてる、って」
「外来の前…………あぁ、あれは自分に戒めを込めているというか」
「戒め?」



普段聞き慣れない言葉に眉が寄るのが分かる。
苦笑した彼女がもう一度カップを手に取り、ゆっくりと口へ運ぶ。
その表情がどこか儚げで消えてしまいそうで、



「油断大敵、油断禁物」



こくり、と喉が上下して口元からカップが離れる。
小さく息を吐いた彼女から零れるように落ちた言葉。



「油断大敵、油断禁物、って毎日自分に言い聞かせてるんです」
「……油断大敵」
「まぁ一人でぶつぶつ言ってる姿は確かにお祈りしてるように見えるかもしれませんね」



明日から気を付けます、と笑う彼女。
その手からカップを取り上げテーブルに置いた後で消え入りそうな笑顔を腕の中に閉じ込めた。
不思議そうに名前を呼ばれて返事をする代わりに腕に力を込めれば、おずおずと控えめに背中に腕が回ってくるのが分かる。



「これまで、どんな失敗をしてきたかは分からない。
でも、少なくともペルソナに来てからの桜月が人一倍勉強してきたことや努力してきたことはずっと見てきた」
「サクラさん……」
「確かに僕らの仕事は一つのミスが命取りになる。
でも、これまで得た知識や経験は絶対に裏切らない。
桜月は患者さんの為にたくさん努力を重ねてきた。間違いなく良い医者だ、それは俺が保証する」



そう、彼女の努力している姿はずっと……付き合う前からずっと見てきた。
人一倍努力家で勉強熱心で、お母さんの為に、赤ちゃんの為に、知識を得て、経験を重ねてきた。
それは間違いなく彼女の中に蓄積されているはずで。



「……ふふ、」
「笑うところじゃないよ」
「すみません……でもサクラさんが『俺』って言うくらいに感情的に言ってくれるなら、私も少し気を緩めてもいいのかな、って思って」
「え、」



思わず彼女から身体を離せば、驚いたような表情が目に飛び込む。
次いでふふふ、と笑った彼女の顔には翳りは見当たらなくて。
少しの安堵を覚えた。



「サクラさん、たまーに言いますよね」
「……無意識だよ」
「だから私、好きなんです。サクラさんが自分のこと『俺』って言うの」
「どうして、?」



どことなく嬉しそうに笑う彼女に首を傾げれば、ふふふ、とまた声を漏らす。
表情が柔らかいものに戻ったのはいいけれど、そんなに笑われることだろうか。



「だって、素のサクラさんって感じがするじゃないですか。
勿論、いつもの『僕』も好きですけど……何となく距離が近い気がして」
「……そういうものかな」
「そういうものなんです」



言っていて恥ずかしくなったのか照れたような顔で笑った後、少し勢いをつけて僕の胸に顔を埋める桜月。
彼女のツボがよく分からないけれど、少し肩の力が抜けたなら今日のところは良しとしよう。


*自信は貴方から*
(今日、泊まっていってもいい?)
(勿論です)
(じゃあ今日は俺って言おうかな)
(それ、自分で言います?)
(昔は俺って言ってたし……それに、)
(………?)
(ベッドの上なら自然と『俺』になるだろ?)
(っ………!)


fin...


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