コウノドリ

□近くて遠い距離
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「学会、ですか……」
「出るのは四宮先生なんだけど、大きい学会だから準備も大変そうでね。
高宮先生に手伝ってもらいたくて。頼めるかな」



午後の外来が始まる前。
産科医局を訪れた今橋先生に『ちょっといい?』と呼ばれた。
断る理由なんてあるはずもなく、その背中を追いかければデスクトップパソコンのモニターの向こう側に座っていた先輩も同様に立ち上がったのが視界の端で見えた。
単に同じタイミングで席を立っただけかと思ったら、背後をついてくる気配。

……私、何かしたかな。
そんなことを思っていたら、今橋先生がミーティングルームの扉を開けて中に入るよう促された。
頭を下げてから中に入って扉側の椅子に座れば、反対側の席に今橋先生と四宮先生が並んで座る。
やっぱり何かやらかしたんだ、とお叱りを受ける覚悟を決めれば思いがけない言葉が今橋先生から投げかけられた。



「お手伝いは大丈夫なんですが……私で、よろしいんでしょうか……?」
「四宮先生が高宮先生にお願いしたいって言ってるんだよ」
「研修医に頼めるレベルの学会じゃない」
「足手まといになりません?」
「なると思ってる人間には初めから頼まない」
「……分かりました、私で良ければお手伝いさせてください。
四宮先生の発表のお手伝いなら私も勉強させていただくことが多いと思いますし」
「じゃあよろしくね」
「はい」



このまま軽く打ち合わせしていって、と先に退室する今橋先生。
打ち合わせと言ってもこの後私も外来があるし、四宮先生も病棟の回診がある。
そんなにゆっくりしている時間はない。
ちらりと怖いと称される先輩を見遣れば、考えていることは同じようで既に席を立っている四宮先生の姿。



「サクラにはもう話してある」
「え、?」
「学会の話が来て手伝いが必要と分かった時点で、高宮に手伝いを頼むつもりだとサクラには伝えた」
「私がお断りするということは……」
「お前の性格上、ないだろ。明日から色々資料集めとか頼むから今日のうちにお前からもサクラに話しとけ」



おそらくこの病院で彼の次に私の性格を知っているはずの先輩。
確かに断る理由もなければ逆に四宮先生の手伝いなら是非、と思ってしまったこともきっと見透かされているはず。
お付き合いをしている彼にはどう話そうかという考えには先手を打たれていた模様。
話を円滑に進めやすくしていただきありがとうございます、と頭を下げてミーティングルームを後にする。

腕時計で時間を確認すればもうすぐ午後の外来が始まる時間。
外来前に話す時間はなさそうだな、と思っていたら白衣のポケットに入れておいたスマホがメールの受信を伝えるため短く振動した。
メールの送り主は先程話題に挙がっていた彼。

『今日、時間あれば部屋においで』

全て察してお膳立てしてくれる彼には頭が上がらない。
定時で上がってお邪魔させてもらいます、と返信をして慌ただしく外来診察室へと向かった。










































仕事を終えて定時を過ぎること30分。
デスクに重なった書類を明日の自分に託して病院を出る。
本当ならば明日以降は通常業務に加えて学会の準備も入ってくるので、今日できるところまで片付けるべきなのは分かっている。
それでも今優先すべきなのはたぶん仕事ではない。
以前の私が見たら、何を言っているのか、と呆れるだろう。
それでも外来を終えて医局に戻った時に顔を合わせた彼のどこか寂しそうな笑顔が頭から離れなくて。
着替えながら送った『今から行きます』というLIMEが既読になったことにほんの少し安堵を覚えながら彼のマンションへと急いだ。



「サ、サクラさんっ……」
「おかえり、お疲れ様」
「遅くなって、すみません……!」



厳密に何時に行くと約束していた訳ではないけれど、定時きっかりに帰っていった彼はきっと私がこの部屋を訪れるのを待っていたはず。
その証拠に部屋のドアを開けた時に聞こえてきたピアノのメロディは穏やかな曲調ではなくて、テンポがいつもよりも少し速く奏でられていた。
彼の心持ちがどこか落ち着かないのが分かる。



「先に食事にしようかと思ったけど……その様子だと話を先にした方がいいかな」



そう思ったのは私か、彼か。
リビングに戻るサクラさんの背中を追いかければ定位置に座るよう促される。
サクラさんが腰を下ろしたところで彼に正面を向けるように座り直せば、それに倣うように彼もまたこちらを向いて居住まいを正した。



「サクラさん、私……」
「四宮から大体の話は聞いてる」
「何の相談もせずに受けてしまってすみません」
「謝ることはないよ?
もう一人前なんだし、取捨選択は自分で考えることだから」



先輩として、指導医としてもっともな言葉。
それでも、先程彼が見せた笑顔が本心はそうではないことを物語っていた。
何と言えばいいのだろう。



「そんな顔しない。
四宮の手伝いするからって全く一緒にいられる訳じゃないんだし」
「サクラさん、嫌な気持ちになりません?」
「うーん……お互いにそういう気持ちが全くないのは分かってるし、間違いなく桜月の勉強にもなるよ。
だから僕のことは気にしなくていいから」
「……はい」



そこまではっきりと言い切られると逆に少し寂しい気もするけれど、確かに私自身の勉強になることは間違いない。
サクラさんもこう言ってくれているんだし明日から頑張ろう、なんて決意を新たにしていたら彼の優しい手がそっと私の頬を撫でた。



「……?」
「明日から構ってもらえなくなる分、今日たくさん構ってもらおうかな」
「、え」
「食事は後でいいからお風呂入ろっか」
「えぇー……」



にこりと笑ったサクラさん。
どうやら私に拒否権はないようです。


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