コウノドリ

□近くて遠い距離
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「と、いう訳で四宮が学会に出ます。
高宮もその手伝いをするので多少皆に負担がいくかもしれないけれど、協力してやってください」
「よろしく」
「よろしくお願いします」
「シノリーン、桜月先生のこと、あんまりイジメないでよ〜?」
「それはコイツの働き次第です」



翌日、朝の申し送りの際に四宮の学会の件をスタッフに伝える。
桜月が手伝いに入ると聞いて、中には驚いた表情を見せたスタッフもいたけれど、彼女の仕事ぶりをよく知る人からすれば当然といったところか。
小松さんが茶々を入れるけれど、それも四宮からすれば織り込み済み。
軽くいなしてメモを桜月に手渡している。
どうやら昨日の当直中に桜月に頼む資料を纏めておいたらしい。
四宮の話を聞きながら真剣な表情でメモを取っている。
あの姿、研修医時代によく見たなぁ……。



「鴻鳥先生?」
「あ、すみません。回診ですね、行きましょうか」



小松さんに声をかけられて我に返る。
仕事中だというのに何を考えているんだ。
四宮から学会の手伝いを桜月に頼むと言われた時から気持ちは作っていたのに。



「鴻鳥先生さ、ちょっと寂しいんでしょ〜」
「何の話ですか?」
「だって桜月先生、四宮先生の手伝いでしょ?
学会は二ヶ月後だし、それまであの二人一緒にいる時間長くなるワケじゃん?」
「仕事ですから。寂しいなんてありませんよ」
「まぁね〜……あの二人がどうこうなるとかは絶対ないけど、いつも『鴻鳥先生、ちょっといいですか?』って来てた桜月先生がシノリンにくっついて仕事するのはなーんか不思議な感じよね〜」



雑念を振り払って病棟回診に向かう。

指導医という立場もあって桜月は確かに研修医の時から僕の後を追いかけてきていた。
それは彼女の同期の下屋も同じで。
ただ彼女の場合は疑問点があれば下屋や他の若手から『怖い』『近づきにくい』と称される四宮にも臆することなく質問をぶつけに行く。
患者のためにできることは何でもする。
そのスタンスは研修医として産科に初めて来た時から、医者として独り立ちした今も何ら変わることはない。
だからこそ四宮も今回のサポートに彼女を選んだのだろう。
地道な作業も多いが、この学会発表の準備は間違いなく彼女の糧となるはずだ。

これまで彼女の成長を見てきた立場としては喜ばしく思えるはずなのに。
こんなにも胸の奥が重苦しく感じるのは、まだ仕事と割り切れていないからか。



「……僕もまだ大人になりきれないな」



一人ごちた言葉は誰の耳に届くでもなく静かな廊下に消えていった。








































「四宮先生、この資料なんですが……」
「これは……」



「四宮先生!頼まれてたデータ纏めておきました」
「あぁ。なら次は……」



「四宮先生ー……」
「……何だ」



学会が近づくにつれて目の前で、基、視界の端で彼女と同期の会話の数が多くなる。
いよいよ学会を明後日に控え、明日は移動日になるため事実上今日が準備最終日となる。
通常の業務にプラスして学会の準備となるとそれはどうしても勤務時間外になるのは致し方ないこと。
当直の日は勿論、そうでない日も遅くまで医局に残って二人並んで学会準備に勤しんでいた。
ここ数日は大詰めということもあって日付が変わってから病院を出ることも多かったようで、いっそのこと当直室に泊まってくれた方が夜道の心配もないのに、と思ったこともあった。

何も疚しいことはないことは重々承知している。
小松さんも言っていたし、四宮本人も心配するようなことはない、寧ろ有り得ないとまで言っていた。
それでもこの二ヶ月随分と我慢を重ねてきた。

肩を並べてディスプレイを覗き込む姿も、
資料室で阿吽の呼吸で資料集めをする姿も、
転寝をする桜月にブランケットをかける四宮の姿も、
四宮にコーヒーを淹れる桜月の姿も、
時折見せる四宮の穏やかな表情にも、
全部割って入りたいと思ってしまった、ザワザワした気持ちを押さえて。



「これで、よし」
「お疲れ様でしたー……!」
「終わった?」
「あぁ、細かい修正込みで全部終わりだ」
「そっか、お疲れ様」



一週間前には九割方完成していたとは聞いていたけれど、細かい直しや発表練習もあってようやく全ての準備が終わったという。
四宮にしては珍しく準備に手間取っていた。
それだけ多岐に渡る膨大な資料が必要だったということか。
彼女をアシスタントにつけた今橋先生と四宮の判断は間違いではなかったようだ。



「サクラ」
「うん?」
「返す」
「、え?」



キャスター付きの椅子に座って背伸びをしていた桜月。
四宮に背もたれを押されて、コロコロと音を立てながら四宮の隣から僕の近くまで転がされてきた。
伸びをしたまま固まってしまう桜月。
僕も四宮の予想外の行動に二の句を継げずにいる。



「高宮」
「はいっ?!」
「当直代わってやる。今日はもう帰れ」
「え、でも、四宮先生は明日から学会ですし……」
「明日は移動だけだから問題ない。さっさと帰れ」



ディスプレイから目を離さずに淡々と言葉を紡ぐ四宮。
桜月は困ったような表情を見せるけれど、それが四宮なりの気遣いだということが僕には分かる。
その証拠に一瞬上げた目線は桜月を通り越して僕へと向けられて。
これは早く連れて帰れ、と暗に示しているのだろう。
彼なりの、分かりにくい優しさなのだ。
所謂ツンデレのデレの部分というか。

こういう時はなかなか引けない桜月。
まだ何かと言っているのを制するために肩に手を乗せれば、少し困ったような表情。



「サ……鴻鳥先生、」
「四宮、じゃあお言葉に甘えるよ」
「早く帰れ」



まだ物言いたげな桜月の帰り支度を手伝って足早に病院を後にする。
普段なら病院の前に停まっているタクシーの姿は既になく、歩いて帰るしかないようで彼女の手を取ってマンションへと急いだ。



「サ、クラさ、……速い、ですっ、」
「あ……ごめん」
「もう、サクラさんも、四宮先生も、勝手、過ぎ……!」
「うん?」



半ば駆け足の状態で部屋へと飛び込めば、息を切らした桜月が少し怒ったように見上げてくる。
一度視線を落として弾んだ息を整えてからゆっくりともう一度顔をこちらへと向けた。



「サクラさんは、学会準備が始まったら変に遠慮して仕事中も声かけてくれないし、部屋においでとも言ってくれなくなるし」
「いや、だってそれは……」
「四宮先生もそれを分かっててどんどん仕事投げてくるし」
「桜月?」
「ごめんなさい……ちょっと、いえ……かなり寂しかったんです」



そう言ってジャケットの裾を控えめに掴む桜月を、考える暇もなく腕の中に収めた。
久しぶりに抱き締めた温もりは少し小さくなっただろうか。
そういえば昼休憩の時間も落ち着いて食事をしている姿をあまり見なかった気がする。
夜も遅くまで残っている後ろ姿をよく見かけて、その度に彼女の腕を取って連れて帰りたくなったことが何度あったことか。



「サクラさん……?」
「僕は、妬けたかな」
「え?」
「二人で並んで画面覗いて、何も言わなくてもお互いに必要な資料分かってて、四宮に毛布かけてもらって……これまでは僕の役目だったのになぁ、って」
「それは、……少し拗ねてたのも、あります?」
「そうかも」



少し身体を離せば柔らかい表情でこちらを見上げている彼女。
抱えていたモヤモヤを見透かされた気がして何となく恥ずかしい。
これ以上彼女と目を合わせるのが居たたまれなくなって、久しぶりにその唇にキスを落とせば背中に腕を回される感触。



「サクラさん」
「ん、?」
「全部教えてください」
「何を……?」
「この二ヶ月、何考えてたか」
「……一晩で足りるかな」
「二晩でも、三晩でもお付き合いします」



そう言って笑う桜月の顔はこれまで見てきた中で一番優しく笑っていて。
彼女に触れずにいた期間の心のしこりが緩やかに溶けていく感覚。
やはりもう彼女なしではどうにも息ができない。


*近くて遠い距離*
(サクラさん)
(うん?)
(とりあえず、中に入りませんか?)
(あぁ……そうだね、玄関のままだった)
(ふふ、でも嬉しい)
(ん?)
(だってサクラさんがこうして感情表現してくれるのは嬉しいです)
(……こんなことで良ければいくらでも)


fin...


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