コウノドリ

□桜
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「小松さん、小松さん!もうすぐ桜満開ですよー!」
「それはお花見行こうってお誘いかい?」
「もちろん!皆で行きましょうよー!」



今日も今日とて元気に産科のスタッフステーションに飛び込んできたのは救命に異動していった後輩の下屋先生。
彼女達の会話を背中で聞きながら、通勤途中の桜並木がもうそろそろ見頃を迎えようとしていることを思い出した。
そうか、もうそんな季節。

週末は天気が崩れると天気予報では言っていたし、花見をするなら早いうちがいいだろうと後輩が意気揚々と産科にやって来たのも頷ける。
そこまで考えて、隣のデスクでカルテ整理をしている風の同期の彼をこっそり横目で見れば何を考えているか掴めない表情のままにキーボードを叩いている。



「桜月先生ー!桜月先生もお花見行かなーい?」
「あぁー……ごめんなさい、今週はちょっと予定が入ってて」
「そっか、残念……じゃあ鴻鳥先生は?」



同じ医局内にいるこの状況で話が飛び火しないはずもなく、当然のことのように先輩と後輩は声をかけている。
何なら逃げられないように二人に両脇を固められて。



「あ、あー……すみません、僕もちょっと予定があって」
「ふーん……二人揃って予定が、ねぇ?」
「えー、もしかして二人でお花見行くとか?!」
「お花見じゃないけどね、そんなとこ」



彼氏持ちはいいなー!と一頻りいじられた後で、他のメンツを誘いに行こうと医局を出ていく小松さんと下屋先生。
二人が出て行って、ようやく静寂が訪れる。

隣からは鳴り止むことのないタイピング音。
昔からそうだ。
この季節はどうにも絡みにくい。



「……サクラ」
「うん?」
「そろそろ帰ろっか」
「あぁ、もうそんな時間か」
「二人が戻って来る前に退散しないと、また絡まれるでしょ?」
「アハッ、確かに」



表面上はいつもと変わらない、優しくて穏やかな鴻鳥先生。
けれど内面がそうでないことは私が一番知っている。
それは付き合っているからとか、一緒に暮らしているからとか、そういう理由からではない。

彼の変化に気づいたのはいつのことだったか。
あれは確か……研修医を卒業した辺り?
今と同じ春先の桜の季節、彼と同じ名前の花が咲く頃だったはず。



「お待たせ……桜月?」
「あ……ごめん、ボーッとしてた」



着替えを済ませて、通用口で互いを待つ。
一緒に帰る日は当たり前になったルーティン。
遠い記憶に思いを馳せていれば、珍しく後から出てきたサクラが首を傾げながら顔を覗き込んできた。
どうやら自分が思うよりも深く思考の波に潜り込んでいたらしい。
何でもない、と頭を振って彼の隣に並んで歩き出す。

ふと、目線を先に向ければ先程話題に挙がっていた花が見頃、寧ろ満開を迎えている。



「ねぇ、サクラ」
「うん?」
「ちょっと、寄り道していかない?」
「え?」



彼の手を取り、返事を待たずに桜が咲き誇る公園へと足を踏み入れる。
私の右斜め後ろをついて来る彼からは戸惑いの空気が漂ってくるのは顔を見なくても分かったけれど、今日はどうにも引けない。

だって、彼の憂い顔はもう見たくないから。
この国を象徴する、彼と同じ名前を持つ花。
その花が咲く度に周囲の盛り上がりから少し離れて、どこか物憂げな表情を浮かべる彼を毎年側で見てきた。

どこまで踏み込んでいいものかと考えあぐねいて、気づけば十年以上が経っていた。
長年一緒にいて、阿吽の呼吸なんて言葉では言い表せられないほどに互いの考えていることは分かるのに、この季節の彼だけはどれだけ一緒にいても分からない。



「桜、」
「え?」
「桜、綺麗だね」
「あぁ……うん、そうだね」



足を踏み入れた公園は満開の桜が立ち並ぶ割に人の出は少ない。
平日の夜で、少し気温が低いからだろうか。
足を止めて美しい花々を見上げれば、倣うように隣に並んだ彼も少し目線を上げる。



「ねぇ、サクラ」
「うん?」
「桜の花、嫌い?」
「…………」



きっと回りくどく聞いたところでのらりくらりと躱される。
それならば直球ど真ん中に聞く方が飾り気のない、彼の本心が聞ける、はず。



「嫌い、ではないよ」
「じゃあ何で毎年そんな顔するのよ」
「……桜月には僕の母さんの話はしたよね」
「サクラの生みのお母さん?」
「うん……母さんは桜が好きだったみたいでね」
「だから、サクラ……なんでしょ?」



サクラの出生について詳しく聞いたのは付き合い始めてからだった。
身寄りがないことは知っていたけれど、彼が生まれてすぐに母親を亡くしたこと、加賀美先生や景子ママさん達に育てられたことなどは長い付き合いの中で初めて知った。



「たまに……特にこの季節は、母さんが好きだった花が町中に咲いてるのを見ると思うんだ」
「……何を?」



桜の花から彼へと視線をずらせば、私の視線に気づいたらしい彼が少し困ったように笑った。
あぁ、そんな顔させるつもりはなかったのに。
きゅっ、と絡めた指先に力を込めれば優しく握り返されて、何故だか鼻の奥がツンと痛くなった。



「僕は母さんが命を落としてまで、生まれてきて良かったのか、って」
「っ、」



心臓を鷲掴みされたような痛みが走る。
何で、そんなこと言うの。
ずっと……ずっと、産科医をやってきた人間が、どうしてそんなことを口にするの。



「サクラ……」
「ごめん、」
「謝らないで」



俯いて謝罪の言葉を口にするサクラがいたたまれなくて、傍らのベンチに彼を座らせてから逃げられないよう退路を断つようにして彼の前に立ち塞がる。
俯き加減の顔、両手で頬を包んで顔を上げさせれば、彼もまた痛みを感じているような表情に胸が痛くなる。



「私は、妊娠も出産も経験がない」
「…………うん」
「でも、産科医として十年以上やって来て、少なからずお母さん達の気持ちは理解してるつもり」
「うん、」



どうしたらいい?
どうやって言葉にしたら彼の心に届くのだろう。

考えて言葉にするよりも、私の感情をそのままぶつければいいのだろうか。



「サクラが生まれて来ちゃダメなんて、絶対に有り得ない。
だって、それはお母さんが望んだことでしょ?」
「それは……そうだけど、でも」
「私は今、サクラの隣にいられて幸せだよ?」
「、桜月……」
「確かにサクラのお母さん……幸子さんは自分の命と引き換えにサクラを産んだけど、どんなお産も命懸けなのは変わらない」



そう、どんなに医療が進歩しても絶対に安全なお産なんて有り得ない。
これまで産科医として生きてきて重々身に沁みている。
それは彼も間違いなく同じはずで。



「お母さんが生まれて来て欲しいと思った。
だから、サクラはここにいていいの」
「桜月……」
「第一、サクラがいなかったら私、もっとずーっと前に産科医辞めてたよ?」
「え……」



ふ、と少しおどけて言えば、先程までの緊張した空気がほんの少し和らぐ。
彼自身、私の言葉は予想外だったのだろう。

でも、それはそうだ。
こんなこと、長い付き合いの中で初めて言ったのだから。



「まぁサクラが好きだとかそういうのは関係なしにしても、あの辛い研修医時代にサクラと……あと、春樹も?
いてくれなかったら私、絶対挫けてたからね」



だから、側にいてくれてありがとう。

そう伝えてから彼の背中に腕を回せば、少しの間の後でぎゅうぎゅうに抱き締められる。
少し苦しい気もするけれど、これもまた幸せな痛み。



「……桜月」
「ん?」
「ありがとう」
「んー?どういたしまして」



ふふふ、と笑って身体を離せば、いつもと同じ笑顔で笑うサクラがいる。
少しだけでも彼の心のトゲを取り除くことはできただろうか。
するり、と頬に手を滑らせてから触れるだけのキスを落とす。



「ここ、外だよ?」
「知ってる。もうしない」
「それは残念」



驚いた表情の彼に軽口を返せば、彼からもまた同様の軽口が返ってくる。
どうやらいつもの調子が戻ってきたようで少し安心。

きっと今すぐに取り除くことはできない心に刺さったトゲ。
貴方が不安になるなら何度でも言葉にしよう。
誰よりも大切な、貴方の為に。


*桜*
(そろそろ帰ろ、お腹すいちゃった)
(食べてから帰る?)
(んー……テイクアウトか帰って作る)
(ちょっと意外な答えだったなぁ)
(今日は二人でのんびりしたい気分)
(それは……そうかも)
(でしょ)

fin..


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