コウノドリ2

□彼の虜
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彼はいつでも言う。
桜月はどうしたいか、と。

どんな時でもそう。
仕事終わり、食事に行く時に何を食べたいか聞けば『桜月は何がいい?』
休みの日に出かける時もどこか行きたいところがあるかと問えば『桜月の行きたいところがいい』
ライブに遊びに行く時には『何かリクエストはある?』

私の意見を尊重してくれるのはすごく嬉しい。
けれど、サクラさんの意見や考えはどうして話してくれないの?



「サクラさん、」
「うん?」
「今日の夕飯どうしましょうか」



今日は彼の非番と私の夜勤明けが重なって、仮眠と昼食を取った後で彼の部屋にお邪魔していた。
論文を読んでいて聞きたかった箇所を質問したり、ゆっくりコーヒーを飲んだり、ここ最近バタバタしていてお互いの部屋でこういった時間を過ごすことも少なかった。
病院ではいつも一緒ではあるけれど、仕事は仕事として割り切っているので恋人らしい空気は皆無なことは言うまでもない。
せっかくだから部屋で二人でのんびり料理するのも悪くないし、デリバリーにして会話の時間を多く設けるのもいい。
外に出て新しい店を開拓するのもまた一つの手、なんて思ってはいた。



「うーん……桜月は何が食べたい?」
「…………」



何となく……いや、十中八九その言葉が出てくるとは思っていた。
けれど、実際にそう言われるとやはり物悲しい感じがするのは仕方のないこと。
マグカップを持ったまま黙ってしまった私のことを少し困ったように覗き込んでくるサクラさん。
そんな顔をさせたい訳ではないのに。
けれども今の私にはそう思う以上に彼への疑問が積もり重なっていて。



「桜月?」
「……して、」
「えっ?」
「どうして、ですか?」



今を逃せばきっとまた聞くチャンスが遠のく。
そう思って意を決してこれまでの疑問をようやく口にすることができた。



「サクラさん、いつもそう言うじゃないですか」
「いつも……僕、何て言ってる?」
「『桜月はどうしたい?』『何が食べたい?』『どこに行きたい?』『何が聞きたい?』って、自分のことは後回しでいつも私ばっかり」
「桜月?」
「サクラさんが優しいのは分かってます。
でも私だってサクラさんの食べたい物を食べたいし、サクラさんが行きたいところに行きたい、サクラさんの弾きたい曲を弾いてほしい、サクラさんのしたいことをしてほしい」
「…………」



こんな言い方するつもりなんてなかったのに。
これではまるで責めているみたいで感じが悪い。
現に彼もすっかり黙ってしまっているではないか。
私ばかり優先するのではなく二人で……二人の時間を楽しみたいと思うのは私の我儘なんだろうか。

そんな考えが頭の中をぐるぐると駆け巡っていたら、手の中のマグカップが彼によってテーブルに移動させられて、代わりに彼の大きな手で両手を包まれた。



「自分を後回しにしてるとか、そんなつもりはなかったんだけど、結果的にそう思わせたならごめん」
「サクラさん、」
「桜月の喜ぶ顔が見たい、っていうのもあるけど僕の気持ちを優先させると、ね」
「…………?」



言葉を濁されたような、そんな感覚。
何か言いにくいことでもあるのだろうか。



「サクラさん」
「僕としては、だけど」
「え、?」



前置きをされた後でぽすん、と背中に柔らかな感触。
目の前には笑顔のサクラさん。
これは一体どういう……。



「食事よりも桜月がいいかな」
「、え」
「だって僕ら、こうやってプライベートで会うの久しぶりだよ?
それなのに論文の質問にコーヒータイムに……まぁ悪くないけどさ。
病院でもできることをわざわざ部屋でしなくてもいいじゃない?」
「そ、れは……そう、です、ね?」



彼の言うことも一理ある。
確かに論文の質問もコーヒーを飲むことも病院でできると言えばできる。
だからと言ってこの体勢は、と思い至ったところで彼の真意が見えた気がして体中の熱が顔に集中した、そんな気がする。



「なんてね」
「えっ」
「お腹すいたのは間違いないし、とりあえずご飯食べに行こうか?」
「あ……は、い」



その前にこれだけ、と軽い口付けを落とされればもう何も言えなくなってしまう。
このサクラさんは、あれだ。
普段あまり出てこない、ちょっと意地悪なところが見え隠れしている、気がする。
そんなことを考えていたら体を起こすのが遅くなってしまい、不思議そうに彼に覗き込まれた。



「どうかした?ホントに食べちゃっていい?」
「ちょ、ちょっとボーッとしてただけですっ!」
「そう?それならいいけど」



クスクスとどこか楽しそうに笑いながら出かける準備を始めるサクラさん。
火照る頬を押さえながら、彼の背中を追いかける。
外に出れば日が落ちていて頬を撫でる風が心地良く、変に上昇した体温を落ち着かせてくれた。
ふぅ、と小さく息を吐いていたら右手が大きな温もりに包まれる。



「サ、サクラさん?」
「うん?」
「あの、手……」
「嫌?」
「そう、ではないんですけど……」



この辺り……サクラさんのマンション、というか私のマンションもだけれども、病院に近いこともあって患者さんと遭遇する確率が割と高い。
隠す必要もないのだけれども、夜遅い時間でない限りはマンションの近くで手を繋ぐことはなかった。
それは話し合ったというよりはどこか暗黙の了解に近いもので、決して疚しい関係ではないけれど変な噂で病院の評判を落としたり、患者さんに誤解を招いたりしないようにと思っていたのだけれども。



「さっき言っただろ?僕のしたいことをしてほしい、って」
「言いましたけど、いいんですか……?」
「逆にダメな理由を教えてよ。
桜月も僕も独身で、合意の上で付き合ってるのに」
「でも、鴻鳥先生の立場とか威厳とか」
「アハハッ、僕の威厳なんてどこにあるの」
「……えーと、」
「自分で言っておいて言葉に詰まらないでよ」
「すみません……」



これも僕のしたいことだから、と指を絡められながらふわりと柔らかい笑顔を向けられればそれ以上は何も言えなくて。
何だか調子が狂う。
いや、私から言ったことではあるけれど、こうも彼のペースで進められると嬉しいやら恥ずかしいやら複雑な気分。
けれども、それが嫌だとは思わない。
寧ろ心地良いとすら思ってしまう辺り、私自身彼に溺れてしまっているのかもしれない。











































「美味しかったね」
「はい、とっても」
「あの店、また行きたいなぁ」
「他にも美味しそうなお料理たくさんありましたね」



食事を済ませて再び彼の部屋へ。
出かける前に帰宅前後に沸くようにタイマーをセットしていったお風呂はちょうど沸いたばかりのようで。
今日は元よりお泊まりの予定。
食事の余韻も楽しみたいけれど、せっかくだから沸いたばかりのお風呂にも入りたい。



「サクラさん、お風呂先に入りますか?」
「うん、じゃあ一緒に入ろうか」
「えっ……」
「だから、一緒に入ろう?」
「いや、あの、それは……その、ですね」
「嫌?」
「嫌というか、あの、」
「僕は一緒に入りたいんだけどなぁ……?」



ここで確信犯、という言葉は誤用だということは重々承知している。
それでも今の彼の言動はまさにその単語がぴったりで。
あぁ、もう。
あんなこと言わなければ良かったなんて、覆水盆に返らずとはこのことを言うのだろう。
数時間前の自分の発言を撤回したくなる。

ころころ、ころころ。
すっかり彼の手の上で転がされている気分。

けれどそれすらも愛おしいだなんて。
きっと私は、


*彼の虜*
(ほら、お風呂お風呂)
(私、後で入りますっ!)
(えー、遠慮しなくていいよ?)
(遠慮してませんっ)
(うーん、僕が一緒に入りたいから後で入るは却下かな)
(私は後で入りたいです!)
(じゃあ先輩命令ってことで)
(そんな命令、セクハラです!)

fin...


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