コウノドリ2

□お久しぶりです
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これは、何という試練なんだろうか。

最近の彼女は、というより僕自身も仕事が忙しかったのは事実。
元々人手不足が否めないうえに倉崎が……というよりユリカちゃんが肺炎を起こして入院。
完全看護だから付き添いは必要ない、と強がる倉崎に無理やり休みを取らせて残りのメンバーで素直じゃない後輩のフォローをしていた。
倉崎が担当している患者さんの中でもどうしても女医を、と希望するという人は桜月に回すしかなくて、
どれだけ医療が進歩しても、この仕事は女性医師を求める声は少なくない。

前に……随分前のことだけれども、彼女の同期の下屋が救命に異動していった時。
あの頃はまだ彼女も若かった。
そんな言い方をしたら怒られるかもしれないけれど、自分のペースを無視して他のことには何一つ目もくれずにただがむしゃらに仕事に向かっていた。
若さ故のがむしゃらさも悪くはなかった。
ただ、それは心身共に疲弊するもので、ボロボロになりかけていた彼女にこの肩を貸したことは今でも鮮明に覚えている。

当時に比べれば彼女も仕事の割り振りの仕方も覚えたし、力の抜き方もペース配分も随分上手くなった。
それでもここ二週間ほどはどうにもマンパワーが足りない。
見える範囲でのフォローはするけれど、僕自身の仕事もあって手が回らない部分もきっと多かった。
今日はそんな彼女を労わるため、という名目で僕が彼女と二人でゆっくりしたくて部屋に呼び出した。
久しぶりにお互いに当直もオンコールも外れている。
お酒を嗜んでもいいし、彼女のためにピアノを弾いてもいい。
このまま彼女には部屋に泊まってもらって、明日は二人で出勤しよう。

そう思っていたのに。



「……寝てる、」



食事を済ませてから帰宅して、お風呂に入りたいという彼女の要望に応えて先に彼女に入浴してもらった。
自分は後ででいい、という彼女に僕を先に入れたいなら一緒に入ってくれないと入らない、なんて言えば素直に先に浴室へと姿を消した桜月。
半分本気だったけれど、こういう時はこうするのが一番だというのは重々承知している。
そそくさと風呂から出て来た彼女の後で風呂に入り、烏の行水と呼ばれるような速さで風呂を出て、冷蔵庫から水の入ったペットボトルを持ってリビングに戻る。
そこには髪も乾かさず、風呂上がりの状態のままにソファで気持ちよさそうに寝息を立てている桜月の姿。
最近の忙しさを考えれば風呂上がりの心地良さで眠ってしまう気持ちもよく分かる。

けれど、久しぶりの二人の時間。
正直に言えば、若干の疚しい気持ちもあった。
病院ではいつでも一緒だけれども、触れようと思えば触れられる距離だけれども、仕事にストイックな彼女に触れることはできなくて。
自身とて公私混同をするつもりはないけれど、ただ二人で過ごす時間が皆無だったここ最近を考えると医局で二人きりになった時にその細い肩を危うく抱き締めそうになったことは何度もあった。
だからこそ今日は何の遠慮もなく彼女に触れられる、そう思っていたのに。



「参ったな……」



こうも無防備に寝顔を晒されると毒気を抜かれてしまう。
少し諦めにも似た溜め息を吐いた後で彼女の眠るソファの、彼女の頭側にそっと腰を下ろす。
座った振動で少し身じろぐがまたすぐに規則正しい寝息を繰り返す桜月。
こうなるときっとしばらく……もしかしたら明日の朝まで目を覚まさないかもしれない。

何度か部屋に泊まりに来て、少しずつ増えてきた桜月の持ち物。
今、彼女が着ている部屋着もそのうちの一つで、着心地が良いから気に入っていると言っていた。
しかし今の僕には目の毒でしかない。
膝上15cmほどのゆったりとしたショートパンツから伸びる白い腿が何とも艶めかしい。
首元から覗く細い鎖骨も、袖口から見える頼りない手首も、全てが僕を刺激する。

しかしながら当の本人はそんな気も知らずに気持ち良さそうに夢の世界の住人で。

彼女がこんなにも無防備な姿を晒すのは僕の前でだけだと思うと喜ばしいとは思う。
人一倍ガードの固い彼女。
その彼女からこんなにも信頼されていると思うだけで何とも言えない充足感を得られる。
けれど反面で彼女が僕の前で見せる少しの隙や、危機感のなさに男としてそれはどうなんだと思うこともあるのは間違いない。
そこに不満があるとは言わないけれど、何よりも僕は彼女と交際中な訳で。



「僕だって聖人君子じゃないんだから」
「……ん、」



眠り姫は王子様のキスで目覚めるなんて御伽話を子どもの頃に景子ママが寝る前に読み聞かせしてくれた覚えがある。
自分が王子様だなんて思わないけれど、もしそれで閉じられた瞼を上げてくれるなら。
そんな願いも込めて、久しく触れていなかった彼女の唇にそっと唇を重ねた。



「……サクラ、さん……」
「おはよう」



そっと唇を離せば、その感触で目が覚めたらしい桜月の閉ざされていた瞼が何度か揺れた後で、ゆっくりと持ち上げられてその瞳の中に僕の姿が映し出された。
珍しく寝ぼけているのか状況が掴めていないのか、緩く首を傾げた後でゆっくりと辺りを見渡している。



「わ、たし、寝てました……?」
「うん、ぐっすりと」
「起きて待ってるつもりだったのに……」
「いいよ、最近忙しかったから疲れてるだろ」



会話をしているうちに少し意識もはっきりしてきたようで目元を擦りながら体を起こす桜月。
その背中を支えれば少しの間の後、珍しく彼女の方から肩に寄りかかってきた。
思いがけない桜月の行動に一瞬固まるが、そこは得意のポーカーフェイスを駆使して平然を装いながらそっと彼女の肩を抱く。
元よりこの姿勢で表情が見えることもないけれど、少しくらい年上としての矜持を保ちたい。
……正直なところ、彼女の前でそんな矜持など無意味であることも十分に分かってはいる。



「……珍しいね?」
「こうして、二人きりになるの久しぶりですもん」
「医局でも何度かあったけど?」
「仕事中はノーカウントです」



やっぱりあの時、触れておかなくて良かった。
そんなこと考えていたら知らず知らずのうちに頬が緩んでいたらしい。
薄く笑った音が聞こえたようで不思議そうにこちらを見上げてくる桜月。



「サクラ、さん……?」
「あぁ、ごめん。やっぱり桜月らしいな、と思って」
「…………?」
「さて、と……」



先程、冷蔵庫から出したのはいいが、すっかりぬるくなってしまったペットボトルの蓋を開けて口に運ぶ。
嚥下する前に彼女に口付けて、口内よりも少し温度の低い液体をゆっくりと彼女の口へと流し込む。
予期せぬ出来事に驚いたようで、肩を跳ねさせた彼女の動きを制して水分を全て彼女へと移してから、形の良い唇を軽く吸ってゆっくりと離れた。



「、サクラ、さん……」
「ごめんごめん、ちょっと零れたね」
「それは、いいんですけど」



口の端から零れて濡れた顎を指先で拭う。
彼女の視線が痛いくらいに刺さっているのが分かる。
当然と言えば当然だ。
こんなこと、した試しがない。



「あ、の……?」
「ちょっとね、キスしたくなっただけ」
「、え」
「あ、『だけ』はちょっと語弊があるかも」
「……サクラさん?」



言葉の中の含みに気づいたらしい彼女が一瞬腰を引きかけたけれど、そこは逃がすつもりはない。
その前に彼女の細い腰を引き寄せて柔らかい温もりを先程よりも密着させれば途端に朱に染まる頬。
何度となく見ているこの表情だけれども、何度見ても飽きることなんてない。
寧ろ見る度に愛おしい気持ちが増していく。



「もっと桜月に触れたいかな」
「…………」
「ここ最近忙しかったし、キスだけじゃ足りない」
「っ……」
「勿論、無理にとは言わないよ。
桜月が嫌がることはしたくないしね」



彼女だって疲れている。
そこで自分の感情を押し通すほど子どもでもない。
一つ言うならば、彼女の無防備な姿に当てられて少し抵抗されたくらいでは我慢できそうにないことを付け加えておこう。
そんなことを考えていたら腕の中の桜月が意を決したように顔を上げて、彼女との距離が急にゼロになった。



「っ、はしたない、って思われるかもしれませんが」
「うん?」
「私だって、足りない、です」
「え、」
「サクラさんに触れたいし、触れてほしい、です」
「………………参ったな」



予想外、というよりは予想以上の返事にクラクラする。
少なくとも断られるとは思っていなかったけれど、まさかこんな大胆発言が飛び出すなんて。

本当に、困る。
普段は恥ずかしがってキスをするだけで顔を真っ赤にすることだってあるのに。
こんな風に突然彼女からキスされて、挙句の果てには誘惑とも取れるような言葉を投げられて。
これを躱せる男がいるのだろうか。否、こんなお誘いを断るなんて男が廃る。



「据え膳食わぬは、って言うしね」
「え、?」
「こっちの話……じゃあ、お言葉に甘えようかな」
「っ、ちょ……サクラさん?!」
「うん?」



寝室へ行こうと彼女を抱き上げれば、身を固くしながらも僕にしがみついてくる桜月。
そんな姿も愛おしい。
……なんて、きっと今は思っていることが顔に出てしまっているんだろうな。
自分でも頬が緩んでいるのが分かる。



「あの、これは……」
「お姫様をベッドに連れて行くのに歩かせるのは悪いかなって」
「……お姫様なんてキャラじゃないです」
「でもほら、さっきはキスしたら起きたし」
「それはっ……」
「はい、ストップ。とりあえずおとなしくベッド行こっか」



もう一度口付ければ、言葉通りおとなしくなる。
彼女の反応に満足して、今度こそ寝室へと足を向けた。


*お久しぶりです*
(っ、ん……)
(ふふ、)
(な、んですか……)
(いや、今日はいつも以上に反応がいいなぁと思って)
(だ、って……久しぶりで、)
(うん、だから僕もそろそろ限界)
(っ、サクラさ……っ)
(狡いなぁ、そんな声で呼んで)
(ダメ、ですか……?)
(駄目じゃないよ、加減できなくなるだけ)

fin...


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