コウノドリ2

□言ノ葉
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「桜月〜」
「お疲れ」
「私を癒やして〜!」
「どうしたのよ、また加瀬先生に怒られた?」
「また、ってひどい!……そうだけど!」



産科医局で繰り広げられるいつものやり取り。
これは下屋が救命に移る前から変わらない二人の会話。
彼女があんな風に砕けた話し方になるのは同期の二人、下屋と白川先生、あとは後輩の前だけ。
あとは患者さんは勿論、先輩や助産師、立場に関わらず敬語で対応する。
どんな立場であっても姿勢を崩さない彼女の姿には感心することもある。
けれども、



「僕の前でも敬語はなぁ……」
「サクラさん、?」
「うん、ちょっと寂しいかも」



何がですか、と言いたげな表情の彼女。
情報が少な過ぎるのは分かっている。
それでもいつまでも彼女と僕の間に一本の線があるように感じられてしまうのは僕の気の所為だろうか。
外食を済ませ、僕の部屋の定位置に座って論文を読んでいた彼女の肩をそっと抱き寄せれば彼女が不審を抱いていることが顔を見なくても伝わってきた。



「あの……私、何かしましたか?」
「うーん、何かしたというかしてくれないというか」
「、?」



我ながら表現が遠回しにも程があるとは思う。
ただ素直に口にするには少し子どもじみた話。
彼女に他意がないことは分かっている。
気心知れた同期と、気を遣う必要のない後輩に対して敬語を使う理由はない。
それなら、自分は?と考えてしまう辺り、自分に自信がないのか単なる嫉妬か。



「いや、ちょっと考え事」
「…………?」
「こんなに気を許してくれてるけど、桜月は僕に対していつまでも敬語だなぁ、と思ってね」
「それは…………当たり前じゃないですか?」



今更何を言っているのか、と言いたげな表情。
彼女の言わんとしていることも分かる。
お互いを意識する前から先輩と後輩という関係で、そこにはどうしても一線を画す必要があって。
……この際、彼女の同期の下屋は置いておくとしても、だ。

彼女はその辺りは非常に厳格で、下屋とどれだけ砕けた会話をしていたとしても四宮や小松さん、今橋先生を初めとする彼女にとっての先輩と呼ばれる立場の人間が声を掛けるとたちまち背筋を伸ばして仕事モードに切り替わる。
彼女のそういうところは僕自身も見習うべきところだと思うし、何なら下屋には彼女の爪の垢を煎じて飲ませてやりたいくらいだけれども。



「僕としてはもう少し砕けて欲しいんだけどなぁ……」
「それは…………ちょっと難しいですね」



少しの間の後で小さな溜め息と共に吐き出された言葉は予想通り過ぎるもの。
彼女の性格を考えれば当然と言えば当然。
勿論、そういう部分も含めて彼女のことが好きな訳だし、僕がこんな風に言ったからすぐに話し方を変えられる性格でないことはよく分かっている。



「たまにはいいんだよ?」
「サクラさん……急にどうしたんですか、今更そんなこと……」



彼女の発言ももっともである。
付き合い始めたばかりの頃はせめて名前で呼んでほしいと頼み込んだけれど、敬語を止めてほしいとまでは言わなかった。
当時の彼女の姿を考えれば名前で呼ばせることが精一杯だったわけで。

ただ、今はあの時とは違う。
さん付けとは言え今の彼女は僕を名前で呼ぶことに抵抗は全くない。
それを考慮したうえでもう一つステップを上にしてもいいのではないか。
人間とは欲深い生き物で一つ願いが叶うともっと、と思ってしまうのは仕方のないことだと僕は思う。



「下屋と白川先生と吾郎くんが羨ましいなぁ、って思っただけ」
「……変なところでヤキモチ妬かないでください」



少し呆れたような声が聞こえた後で彼女の手にあった論文がテーブルへと置かれる。
一連の動きをぼんやりと眺めていると密着していた彼女の身体との間にスペースが生まれて。
名前を呼ばれて視線を彼女へと向ければ、どこか困ったような表情の桜月と視線がぶつかる。



「サクラさん」
「……うん?」
「サクラさんに対して敬語を使わないというのは、正直難しいです」
「うん」
「だってサクラさんはお付き合いしている人ですけど……それと同時に、私にとって尊敬する先輩で、どこまでも追いかけ続ける目標なんです。
そんな人に気安い話し方はできません」
「……分かった、今回は僕が無理言ったね」



これ以上は譲れない、と彼女の様子から察する。
確かに付き合い始めた頃に比べればプライベートでは名前を呼んでくれるようになったし、こういう触れ合いも照れずに身を委ねるようになった。
第一、こういう彼女のきちんとした性格に惹かれたところもあるのだから、それを捻じ曲げさせるのも何か違う。

そう思い直してから桜月をもう一度抱き寄せれば、腕の中で戸惑った様子の彼女だったが、少しの間の後でおずおずという表現がぴったりなくらいにゆっくりと背中に彼女の手が回された。



「……サクラさん」
「ん?」
「すみません」
「どうして謝るの?」
「ご要望にお応えできなくて……」



彼女らしい返答に思わず吹き出せば、何を笑っているのか、と聞きたげな表情でこちらを見上げる桜月。
その表情がどうにも愛おしくて引き寄せられるように口づけると茹でダコのように真っ赤になる。



「サ、サクラさんっ」
「いいんだよ。全部僕の言いなりになる必要はないし、僕は桜月のそういうところが好きなんだから」
「サクラさん……」



彼女が僕を好きでいてくれる。
それは紛れもなく、揺るぎない事実で。
言葉遣いがどうとか気にすることはなかった。
まぁ……彼女の同期達に対して羨ましいとか思うことはあるけれど、こうして彼女が腕の中で僕にしか見せない表情を見せてくれるだけで今は良しとしよう。


*言ノ葉*
(あぁ、でもたまに敬語じゃなくなる時あるよね)
(えっ?)
(ほら、ベッドの上で)
(そ、れはっ……!)
(そっか……)
(あの、サクラさん?)
(とりあえずお風呂入ってベッド行こうか)
(今日は帰りますっ!)


fin..


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