コウノドリ2

□Frustration
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「おい」
「んー?」
「それ、どうにかしろ」
「うん?」



静かな医局に静かな同期と二人。
今日は彼に絡むことなく静かにカルテや書類の整理をしていたというのに。
急なクレームをつけられて心外である。
何のことかと隣のデスクを見ると、大きな大きな……間違いなくわざと聞こえるような溜め息をこちらに向かって吐かれた。



「自覚ないのか」
「だから、何が?」
「飴、さっきから噛んでばかりだろ」
「……うん?」
「はぁ……」



また大きな溜め息。
これは心底呆れているやつ。
悲しい哉、付き合いの長さ故にその溜め息にどんな意味が込められているのか知りたくなくても分かってしまう。
……確かに、飴は噛んでばかりだけれども。
そんなに大きな溜め息を吐かなくてもいいじゃないか。
無自覚に近い、癖のようなもので。
それは今に始まったことではないのは長い付き合いの春樹ならば分かっているわけではないか。
何を今更言うのか、と言いたいところではあるけれど、この静かな医局で聞こえるのはまた別問題なんだろう、な。



「ごめんって」
「ったく……それだけ噛むなら飴じゃなくてガムの方がいいんじゃないのか」
「えー、だって噛み砕くのがいいじゃない」
「飴を噛み砕く前提で話すな」
「あははー」



ごもっともです。
今から仕事が終わるまでの間、少し……ほんの少しだけ気をつけることにしよう。



































「ってことがありまして」
「確かに桜月はよく飴を噛むよね」
「別にわざとじゃないんだけどねぇ……」



帰宅してから今日は夜勤明けだったサクラに昼間の医局での出来事を話す。
食後のコーヒーを淹れながら私の話を聞いていた彼は苦笑いを浮かべながらマグカップを二つ手にリビングへと戻って来た。
付き合いの長さはサクラも同様で、私の癖なんて周知の事実。
いや、確かに静まり返った医局で飴を噛む音は迷惑だったかもしれないけれども、こればかりは急に止めろと言われて止められるものでもない。
強いて言うなら手元に飴を置かなければ良いのかもしれないが、小松さんを始めとする助産師の皆さんや下屋先生、それに産科だけでなく新生児科の先生や看護師さん達までもが『良かったら召し上がってください』と差し入れてくれるのだから、その厚意を無下にするのも失礼な話ではないだろうか。



「はい、コーヒー」
「ありがと」
「あとはほら、よく言うだろ?」
「……何が?」
「飴を噛む話」



渡されたカップを口に運ぼうとしたところで思い出したように声をかけられて顔を上げる。
苦笑い気味な表情のサクラと視線が絡む。
何だその顔は、と口にする前に塞がれる唇。



「突然、何を……」
「飴をやたらと噛むのは欲求不満、って」
「…………それは、ストレスが溜まってる、と言う方が正しくない?」
「口寂しいとか」
「それは単に飴食べる行為自体の話じゃ……」



何か嫌な予感。
良からぬことを考えている時の顔をしている。
付き合いの長さとかそういうものではなく、本当にそういう顔。
あぁ、何か気づかない内に地雷踏んだのかもしれない。
この状況、何とか回避しなければ明日の朝日は拝めない。



「…………あ、欲求不満ね!うん、確かにそうかも!」
「うん?」
「ほら、最近サクラのピアノ聞いてないからさ!
弾いて欲しいな〜っていう欲求がね!
…………ダメ、?」



長い沈黙の後で深く吐かれた溜め息。
我ながら無理やりが過ぎるとは思ったけれど、現状を打破するには物理的に離れるしかない訳で。
苦し紛れながらに絞り出した言葉に納得はしていないながらも『分かった』と返事。
一先ずは回避できた模様。





































定番の『Baby,God Bless You』から始まり、『minor Heart』や『candle』、『for Tomorrow』『Brightness』と私の好きな曲で構成されたミニライブ。
疲れた身体に心地良いピアノの音色が染み渡る。
苦し紛れではあったけれど、忙しくてサクラのピアノを堪能するどころか二人で穏やかな時間を過ごすことすらできなかったのは事実。
産科医の宿命とはいえ、一つ屋根の下で暮らしているにも関わらず寝食を共にすることができないというのは少し悲しいものがある。
寧ろこの部屋で一緒に過ごす時間よりも病院で共にいる時間の方が長いように感じるのは気の所為ではないはず。
そういった意味では確かに欲求不満というのも間違いではないのだろう。
……それを気持ち良さそうにピアノの音色を奏でている彼に伝えたらどうなるかは分からないので今は伏せておくけれど。



「……ふぁ…………」



おっと、いけない。
せっかく私の為のライブだというのに日頃の疲れと彼の奏でる音色とが相まって心地良い空気感……気づかないうちにざわついていた心の内が穏やかになり、急激に眠くなってきた。
自分からピアノを弾いてほしいと言っておいて眠りこけるなんて、なかなかに酷い。
それは分かってはいる。
ただ生理現象は止められないもので、今の私にできるのは欠伸を噛み殺すことくらい。

…………眠い。
一つ言い訳をするなら今日も非常に忙しかった。
大潮とか、新月とか、低気圧のせいだとか何かと小松さんは言っていたけれど、カルテ整理の穏やかな時間の後は怒涛のお産ラッシュで。
あまりの穏やかな時間に今日は定時で帰れるかも、なんて淡い期待は脆くも砕け散った。
それでも深夜と呼ばれる時間まで病院に居残ることがなかったのは、ひとえに優秀な同期のおかげと言えよう。
あぁ、春樹ありがとう。おかげでこんなに素敵な時間を過ごせています。
今度牛乳とジャムパン奢るから。

そんな、取り留めのないことをつらつらと考えてしまう辺り、もう意識はピアノに集中できていない。
自分から言い出したのに気持ちが向かないのは、きっと眠気のせい。
いやいや、眠気のせいなんて言っている場合ではない。
せっかくBABYのピアノを独り占めできるというのに。



「……桜月?」
「、はぁい?!」
「限界そうだけど、寝ようか?」
「…………ごめん」



曲の合間に不意に声をかけられて、変な声を上げてしまった。
こちらに背中を向けていたというのに、どうして私の眠気を察知してしまうのか。
そういえば随分前に同じようなことがあって、理由を聞いた気がする。
その時は『桜月のことは何でも分かるよ』なんてはぐらかされたけれど、私が思うにピアノを弾く時のサクラは感覚が研ぎ澄まされていて部屋の空気感全てを敏感に感じ取ってしまうのではないか。
それ故に背後で私がうたた寝をしていても気づくことができる。



「あ、そうだ」
「え?」



寝る準備のためにピアノ部屋を出ると何かを思い出したように歩みを止めたサクラ。
何か忘れ物だろうか。
そんなことを思っていたら、キッチンのカウンターに置いてある小さなカゴの中の私の飴を一つ手に取る。
今から歯を磨くというのに飴?
そんな疑問が浮かび上がる。



「サクラ?」
「…………うーん……」
「うん?」



止める間もなく包みを開けて飴玉を口に放り込んだ。
いや、別に止める理由はないのだけれども……何となく。
当のサクラは、と言えば飴を口の中でコロコロ転がして何やら思案顔。
一体何をしたいのやら。
私はこの隙に歯を磨いてこようか。
そんなことを考えているうちに、ガリッと飴を噛み砕く音。



「、え?」
「あ、いけた」
「何?どういうこと?」



行動の意図が読み取れない。
自分でも分かるくらいに怪訝さが滲み出ている表情でサクラを見上げれば、後頭部を引き寄せられて口づけられる。
甘い。
香りも、味も。



「っ、?!」



割り込まれた舌先から滑り落ちてきたのは、先程彼の口内で噛み砕かれた飴の欠片。
舌先で欠片が転がされ、ついでとばかりに舌を舌先でなぞられる。
それだけでぞくりと肌が粟立つのが分かった。

一旦体勢を立て直すにもいつの間にか頭どころか腰までしっかりホールドされていて逃げ場がない。



「ちょ、っと……サクラ?」
「アハッ、ごめんごめん。ちょっと苦しかった?」
「それは……大丈夫、だけど」
「僕も欲求不満でね」
「……はっ?」



事もなげに爆弾発言を投下しないでほしい。
というか何を突然、と口に出す前に先程の会話を思い出した。
いやいや、そういう問題ではない。
……というか、え?ちょっと待って。
この状況でこの発言。
それを意味するのは……?



「サ、サクラ!」
「うん?」
「わっ、私!そろそろ寝る!」
「うん?僕もベッドに行くよ」



寝るなら歯を磨きたい!と言葉を発する前に抱えられてしまって。
やけに機嫌の良さそうなサクラと共に寝室へ。
違う、そうじゃない。
と、反抗の意味を込めて肩を叩けば、笑顔が返ってくる。
嗚呼、きっと日付が変わるまで離してもらえないのだろう。

それが分かっていながらも本気で拒否できないのは、私は彼の言う通り欲求不満なんだろう。


*Frustration*
(ちょ……もう、舌ヒリヒリするから、ほんと、むり……)
(こうしておけば飴食べる気も無くなるだろ?)
(何言って……?)
(口寂しいとか、欲求不満とか、僕以外の前でモーション起こしたお仕置き、かな)
(……ばかサクラ)


fin...


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