09/10の日記

22:53
そのときのこと
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私は私であり女だということに自信がなかった。
今も自分に自信がある方ではない。

アイデンティティが確立できてない女子には良くあることらしい。女であることを認めない、とかそういうの。
まさにそれだった。
今ですらアイデンティティは確立できてないと思う。

中高生のときはとくに、誰かの真似をすることでそれが自分なのだと思いこんでいた。


私は容姿も良くないし性格も可愛らしくない。そんなコンプレックス的なものも自分が女であるということを認めたくない理由の一つだった。


とくに高校のころは女としての劣等感みたいなもの(?)を強く感じていたかもしれない。私に関わろうとする男の子は絶対にいないだろう、こちらから関わらないようにしよう(むしろ関わり方が分からない、関わって傷つきたくない)という思考はあったかと思う。



それでも(この人とは気が合いそうだな)と心の中で密かに思ってた人はいた。
結局最後までほとんど話しかけなかったし話しかけられなかった。
実はチャンスはいくらでもあったのだが、それは当時の私にはどうしようもないチャンスで、女であることを受け入れられなかった私には理解もできないというか理解しようとしなかったことだった。
私にはよくわからなかった。今でもよくわかっていない。

ただそれが好意の延長にあるものだったとしたら、好意が歪んでいたとしても嬉しいと思った。

もし本当に好意だったとしたら私は女なのだということを認められたのだ。
でも勘違いしているのではないかという気持ちも強かった。だから怖かった。


本当は私は女でありたいと思っていたのだろう。
異性と仲良くしたいなどと思っていたのだろう。


それを認められなかったから、自分の気持ちも歪んでいたから、その歪みを否定拒絶されるのが怖かったから、今も拒絶されるのが怖いからその『チャンス』が何だったのかかけないでいる。かなりぼかしている。
当時の日記を読み返すと、支離滅裂とまではいかないかもしれないが、自己満足な文章しか書けてない。
核心的な部分が書けなかったから。


思い返してみると私は汚い人間だ。
思春期だったから仕方なかったかもしれない。女であることを認められなかったから仕方なかったかもしれない。
それでも私が女だと認められなかったことで歪んだということと汚くなったということは事実といっても間違いではないのではないか。


本当に欲しかったものは未だになに一つとして手に入れたことがないかもしれないな。

だからこそこうやって昔のことばっかり思い出して後悔しているのだと感じる。

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