12/20の日記

17:17
たまに目が醒める
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おはよう。

ここに来る自分はいつでもよく似ているが、相も変わらず中はガランドウだね。

この間、私は私を衝き動かそうとしたのだけれど、やっぱりだめだったね。
それもいつもどおり。


昔ある人が名刺大の紙にたくさんの落書きをしていて、死後それを見つけた人の手によって書物化されているものがある。
私たちの時代ではそれは名刺大の紙ではなく、インターネット上のちっぽけなデータなのでしょうね。

吹けば飛ぶようなこの場所がいつまで保つかわかりませんが。
彼の紙と同じです。
見つかるか見つからないかわからない。
誰の手に渡るか、誰が理解するのか。
死ぬまでわからないし、死ねば知る術を失う。

我々は生者であるからこそあらゆる意味を持つのです。

死後に意味を取り付けることができるのはいつだって生者だけで、そこに死者の関与はありません。

だがこの世には死なねば評価されないものが確かに存在する。
大変無意味な価値を得、持て囃されよう。
生者に蹂躙され続けることに意味はあるだろうか。

しかしながら、生者である私がこのような持論を展開するのもまた無意味であることも、聡明なあなたならよくおわかりであろう。

所詮は戯言、落書きと同等。
人間である以上は、人々の共感、反感、何かしらの感情を揺さぶる情報、有益な情報以外は…



香り高い紅茶に淀みの腐った水を1滴入れてみたまえ。
それこそが

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