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□落花
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「……何故、ここへ」

 動き出した時間の中、謙信の表情はたちまち引き締まる。
 瞳は色を変え「上杉謙信」から「軍神」のものへと変わる。

(……変わってもうた)

 心の底から阿国はがっかりした。
 残念だと思った。
 先ほどのような、あんな表情の謙信は見たことがない。

 見たことがない、柔らかで素直な表情。

 ただただ、自分を見つめていたあの瞳の強さ。

 胸がドクンドクンといつもより早く波打つのがわかる。
 先ほどの表情を思い出すたびに、胸が甘く痛む。

(どうして……)

 胸の辺りに手をやりながら、阿国は俯いてため息をついた。

「…………女?」

 不思議そうな謙信の声に、阿国ははっとなる。

「あ……えと、うち……道に迷ってしもうて……」

 しどろもどろになりながらも、やっとのことで答える。

「……そうか」

「あ、あのっ……謙信様、は……?」

「……ここは我の鍛錬場所だ……式神使いの……」

 そうして謙信は鳳凰が飛び立っていった空を見上げ、目を閉じる。

 光を浴びたその横顔にまた、どきりとする。
 その横顔には触れられないような、触れてはならないような……そんな感覚がした。

「……春日山の城下町へ、用か」

 空へ顔を向けたまま目を開いて謙信は尋ねる。

「は、はい……そうどす……」

 どきどきしながらも答え、阿国は謙信の言葉を待った。

「……いいだろう……」

 謙信はゆっくりと顔を阿国に向け、ほんの少しだけ目を細めて静かに言った。

「……来い」

 その言葉は戦場のものとは違い、優しく阿国を招く。

 驚き、息を飲み、そして、

「!……はいっ!」

 阿国は満面の笑みを浮かべ、歩き出す謙信の後を追いかけた。





 あの人の瞳、私だけを見ていた

 いつもならきっと見ない、この私を

 私だけを強く、何よりも強く

 そして私もあの人の瞳を見ていた

 いつも以上に強く、ただただ強く何も考えず



 見つめていたい、と本能的に思った



 あの人の、あの瞳を




 憧れとは違う。

 これが正真正銘の「一目ぼれ」だったのだと気がついたのは、ほんの少し後のことだった。





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