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□猫連れの道連れ
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 ガラシャは孫市の声があんなに冷たいものだとは思ってもみなかった。

 目の前にいるのは変わらない、孫市の姿だというのに。




「……」
「…………おい」
 目の前を行く、大きな荷物を背負い込んだ背中へ孫市が声をかける。
 背中は少しだけ肩を揺らした。
「……どうした」 
 唇の端に小さい小さい笑みを浮かべた謙信が振り返る。
 その顔を見て孫市は自分の疲れが相手にばれてしまったのだと悟り、小さく舌打ちをした。
 が、からからの舌では大した音もしない。
「ちょっと……代わってくれ……」
 自分ではそれなりに鍛えてきたつもりでも、なれぬ山道を人一人背負って歩くのは並大抵ではない。
 孫市は洒落のわかる伊達男ではあっても山道に長けた強力ではないのだから。
「断る。……大体」
 ところが孫市の願いを謙信はあっさりと却下した。
 そう言い、謙信は孫市の背中と疲れきった孫市を交互に見た。
「……その者に触れるな、と言うたは貴様だ」
「う」
 孫市の背中では、ガラシャがすやすやと寝息を立てて眠っていた。



 時はさかのぼり、小一時間ほど前。
 深い山の中、足をくじいて座り込んでいるガラシャを最初に見つけたのは謙信である。
「きれいな蝶々を見つけたので」
 まさか放っておくこともできず、謙信はガラシャに丁寧に挨拶をし傷をみてやることにした。
「……ああ」
 手ごろな石の上に座らせて、草履と脚絆を脱がせる。
 年頃の娘だけに気になったが、おとなしくガラシャは謙信に傷を見せてくれた。
「捕まえようと追いかけていたのじゃ。そしたら……」
 しゃがみこみ、くじいたらしい足首を見ると確かに青くなっている。
「……いっ!」
「……痛むか?」
 青いところに触れると、ガラシャの体が飛び上がった。
「だ、大丈夫じゃ、これくらい!!」
「……」
 それにしてはずいぶん痛そうな顔をしていた、と謙信は思ったがあえて口に出さなかった。
「……雑賀孫市はどうした?」
 確か彼女には連れがいたはずだ。
 三本足のガラスの紋と、種子島を背負った伊達男。
 どこかに水でも探しに行ったのだろうかと謙信は思ったのだが。
「別れた」
 思っても見ない言葉がふってきた。
「……?」
 謙信がゆっくり顔を上げた。
 ぽとん、と一つ雨粒が落ちてきた。
 なるだけ素っ気無く、さりげなく言おうとしたのだろうが声がわずかに揺らいだ。
「……そうか」
 しかし謙信はまた、何を言うでもなく再び足の具合を見る作業に戻った。
 言いたくないのであれば、無理に聞く必要はない。
「……骨は折れては折らぬ」
「そうか……ほっとしたのじゃ」
 ガラシャがふわりと笑った。
 泣きそうな顔で笑わずに、いっそのこと泣いてしまえばいいのに、と謙信は思った。
 ここには誰もいない。
 いつも彼女を心配している父を不安がらせることはないし(おそらくケンカでもしたのだろう)孫市の姿もない。
 けれど彼女は泣くことをよしとせず、小さなしずくを一つこぼしただけで泣くことはなかった。

「……これでよし」
 手持ちの薬で手当てをしてやると、
「ありがとう!」
 はじけるようないつもの笑顔をガラシャは返した。
「感謝するのじゃ」
「……歩けるか?」
「たぶん……」
 そう言い、ガラシャは立ち上がろうとして
「あわわ!」
 思わずよろけ、再びしりもちをつくように座り込む。
「……」
「……」
「……無理のようだな」
 返事のかわりに苦笑いが返ってきた。
「……なれば、抱えるかおぶるしかあるまい」
「そ、それはいけないのじゃ!そこまでしてもらっては申し訳ないのじゃ!!」
 ぶんぶんと首を横に振る。
「妾はしばらくここでじっとしている。もうしばらくすれば、痛みはきっと治まるし……」
「……光秀の子らしい」
 謙信は必死で謙信に気を使い、世話にならないでいようとするガラシャを見て眼を細めた。
「え」
「……強情なり」
 きょとんとした顔で謙信を見返した。
「……なるほど!」
 やがてガラシャがまた笑った。
「確かに、父上もかなり強情じゃ」
「……しかしいつまでもここにいるわけにもいくまい」
 肩を貸すにも体格が違いすぎる。
 抱き上げる、背負うというのがダメならば……
「……肩に担ぐとか」
「それは勘弁してほしいのじゃ」

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