A

□『夢、幻の、その続き』
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*葵様へささげます。




(1)



 阿国はそわそわしたそぶりで囲炉裏の前にいた。
 火の爆ぜる音に軽く火箸で灰を混ぜ、新しい炭を入れる。
「謙信様ぁ」
 灰をつつきながら囲炉裏に背を向けている大きな背中に声をかける。
 返事はない。
 もくもくと手元を動かしている。その様子だけが阿国から見える。
「んもう」
 仕方なく立ち上がり、近くまで行くと、
「謙信様、あまり根をつめると体にあきまへんえ?」
 横顔を覗き込みながら、謙信の隣にしゃがみこんだ。
「……ん」
 答えたものの顔を上げそうにない謙信の手元を覗きこむ。
 小さく水の音がして桶の中から『それ』が引き上げられる。
 冷たい鈍色。その上を水の冷たさで赤くなった謙信の指がすべる。
 刃物の色と言うものはどうしてこんなに背筋がざわめくほど、冷たいのだろうと阿国は身を少し硬くさせた。
「……もうすぐだ」
 囲炉裏の火の光を受けて包丁が赤く光る。
 具合を確かめるように目を細め、頷くとこれも傍らにあったふきんで丁寧に水を拭いて用意してあった箱に入れた。


 先ほどから謙信は、近所の人から頼まれた包丁と鋏と草刈り鎌を研いでいる。
 ただ頼まれただけではなく『謙信が研ぐと持ちがよい』と小遣い程度だが金子をもらっている。
「……眠りたいのであれば先に寝ればよかろう」
 謙信は刃物をしまいこんだ箱を今度は布で包み込む。
 準備を終えるまでは寝る気はないらしい。
 くいっと着物の端が引っ張られた。
「……心配やもん」
 見上げる視線をまともに受けて、謙信はきょとんとした顔で首を捻る。
「……昼寝をした。眠くはない」
「そーいう意味ちゃうやん……」
「……明日までに、と頼まれた」
 包丁と草刈り鎌は頼まれ物、鋏は阿国愛用のものだ。
 勧進の舞の衣装を作るために使っている鋏で、どんな反物でもきれいにきれるように工夫されている。
 しかしあちこち旅に出ていたせいだろうか。
 手入れを怠っていたため、刃の部分は錆びてしまい阿国の力では中々開かない。
 それを謙信はいとも簡単に開いてしまう。
「うまいもんどすなぁ」
「……そうでもない」
 砥石を傍らの桶の中に入れると軽く水がないた。
「……体が覚えているらしい」

 謙信が越後を離れてどれくらい経ったであろう。
 阿国と出雲にやってきた謙信は、意外にも今の生活に適応していた。
 ある日は阿国の傍らで笛を奏で、ある日は近所の寺で留守の住職の代わりを勤める。
 そしてまたある日は、今のように村人から頼まれごとをされて引き受ける。
 越後で闘争に明け暮れていたのが嘘のようだった。
 そのことで何か不満を言うのでは、と思ったがそんなことはなく。
「……せやけど、そろそろ寝よ」
「……ああ」
 謙信は穏やかな生活に『適応』していっていた。




 次の日。
「……行ってくる」
 謙信は研ぎ終わった包丁を持ち、依頼主の元へ出かけていった。
「おはようおかえりやす」
 阿国はそれを見送ると、さて……と作りかけの新しい舞の衣装に手を伸ばした。

「……」
 田舎の道をゆっくりと謙信は歩く。
 すれ違う見知った顔に軽く会釈し(顔は無愛想なままではあったが)、畑の様子を見ながら歩いていく。
 広がる景色はかつて見た越後の風景にもよく似ていて、しかし見上げた空の色は明るい。
「……西、か」
 地域が違うのだからそうなのだろう、と謙信は思った。
 やがて目的の家につく。
「おい、どうする?」
「やるしかないだろ……人を集めよう」
「?」
 と、家の前が何やら騒がしい。
 数人の男たちが深刻そうな顔で話し合っている。 
 一瞬近づいていいものか謙信は立ち止まったが、
「あ、あんたは……」
 一人の男が謙信に気づいて声をかけた。
 その声に他の男たちも謙信を見る。
「……」
 一瞬にして数人の視線を浴びて謙信はやや居心地が悪かったが、気を取り直して
「……届け物を」
 と言って手に持っていた包みに視線を落とした。
「あぁ、ありがとう。わざわざもって来てくれたのか」
 男たちの中に依頼主がいたので謙信はほっとして包みを手渡した。
「言ってくれたら取りに行かせたのだが」
「……かまわん」
 軽く首を横に振る。
「……。あんた、確か刀が使えたな?」
 突然、依頼主の隣にいた男が謙信に言った。
「……はっ?」
「おい、やめろ。こいつは阿国殿の客人だぞ」
 間の抜けた謙信の声と依頼主の声が重なった。
「そうだ!俺、聞いたことがあるぞ!何でもえらい強いお侍だったって言うじゃねぇか!」
「だからって巻き込むつもりか!?」
「客人とはいえ、ここに住んでいる以上協力してもらってもバチはあたらないだろう。何より今は手が欲しい」
 話が見えない。しかしどうやら……。
「……何があった」
 語尾はあがらなかった。
 面々の顔の厳しさから見て、何事かが起きていることに間違いはなかった。
「……世話になっている恩義はある。手伝えることがあるのか」
 無ければないで、それにこしたことはない。
 関係ないと断られても仕方ない。
 そう思い謙信は尋ねてみたのだが……
「……すまない、阿国殿の客人」
 しばらく依頼主はじっと考え込んでいたようだったが、やがて。
「実は……」



「最近は物騒だねぇ」
 野菜のおすそ分けにやってきた近所の壮年の女性が阿国に漏らした。
「何かあったんどすか?」
「いやね、街への道に悪党が出るらしくって」
「悪党……」
「行商人だけでなくお侍も襲われたとかで。まったく嫌になっちまうね」



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