鋼鉄
□一握りの心
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触れた手も、
向けられた眼差しも、全て、
全てが混乱と愛しさに揺れて掻き乱されていく。
目を開けたまま、数瞬、息をするのを忘れた。それを影で見守るものがいることにも気付かずに。
「孔、明…様」
やっと口から絞り出された声は情けなく震えていた。
それは予測しなかった事態への緊張なのか、それとも歓喜する心が震えているせいなのか。混乱しきっている今の頭では、見当もつかなかった。
「聞こえなかったのですか?魯粛。おいでなさい、と言ったのです」
ふわりと、響いた声は今迄聞いたこともないような艶を含んでいた。
寝台の上で微笑む孔明の、その意味が分からないわけではないのに、やはり魯粛は動けなかった。
自分の心は歓喜しているはずだ。今までの自分なら確実に。
しかし、今の魯粛はそれを上手く確かめることが出来ずにいた。
微かな、微かな違和感が、逡巡を呼ぶ。今までの自分だったならば、決して見ることの出来なかったような微かな違和感。
その迷いが魯粛の足を留めていた。
「よい、のですか…?」
「私が誘っているのです」
差し伸べられた手。
無意識のうちに瞳の奥を、探った。
それでも孔明の表情に変わりはなかった。
届かない、と。
心の何処かで分かっていた。
それはこうしている今も同じことで、相変わらず孔明の瞳はその奥を覗かせてはくれない。
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