鋼鉄

□一握りの心
2ページ/7ページ



触れた手も、
向けられた眼差しも、全て、

全てが混乱と愛しさに揺れて掻き乱されていく。




目を開けたまま、数瞬、息をするのを忘れた。それを影で見守るものがいることにも気付かずに。

「孔、明…様」

やっと口から絞り出された声は情けなく震えていた。

それは予測しなかった事態への緊張なのか、それとも歓喜する心が震えているせいなのか。混乱しきっている今の頭では、見当もつかなかった。

「聞こえなかったのですか?魯粛。おいでなさい、と言ったのです」

ふわりと、響いた声は今迄聞いたこともないような艶を含んでいた。
寝台の上で微笑む孔明の、その意味が分からないわけではないのに、やはり魯粛は動けなかった。

自分の心は歓喜しているはずだ。今までの自分なら確実に。

しかし、今の魯粛はそれを上手く確かめることが出来ずにいた。
微かな、微かな違和感が、逡巡を呼ぶ。今までの自分だったならば、決して見ることの出来なかったような微かな違和感。

その迷いが魯粛の足を留めていた。

「よい、のですか…?」

「私が誘っているのです」

差し伸べられた手。
無意識のうちに瞳の奥を、探った。

それでも孔明の表情に変わりはなかった。







届かない、と。


心の何処かで分かっていた。

それはこうしている今も同じことで、相変わらず孔明の瞳はその奥を覗かせてはくれない。


.
次へ
前へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ