鋼鉄
□春風
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「…確かに、こうしてじっとしてると離れがたくなってくるよ」
「おや、それはありがたい。丁度話し相手が欲しいと思っていたところです」
「へぇえ〜…、もしかして、また質問攻めにでもする気かい?」
「なっ…!こ、これはそんなつもりで言ったのではありません!」
――見かけによらず知りたがりちゃんだからねぇ魯粛さんは
湯殿での件を揶揄われているのだとすぐに分かった。そのときの失態を思い出して思わず本気で否定すれば、諸葛瑾が隣でからからと楽しそうに笑い声を上げる。それでようやくからかわれたのだと気付いて、羞恥で顔が上気した。
「み、見掛けによらず意地が悪いのですね…兄上は」
「アンタがからかいやすいのがいけないのさ。アタシのせいじゃないね」
「趙雲みたいなこと言わないで下さい」
ジト目で睨めば諸葛瑾がまた笑う。
――孔明様もこんな風だったら…
穏やかな時間につい本音を口にしそうになっている自分に気付いて魯粛は慌てて立ち上がった。
「お、お茶でも飲みましょう。丁度、好い菓子を公瑾殿に頂いていたのです」
「え、いいのかい?そんな大層なものをアタシが頂いちゃって」
「いいんですよ。公瑾殿は甘いものがお嫌いで私にくれただけなんですから。こういう時に食べておかなければ損です」
諸葛瑾は一瞬訝しげな表情を見せたが、魯粛は気付かなかったふりをしてその背中を押した。
届かない面影を、無意識のうちに探して、心の隙間を埋める。
そんな単純作業が思いがけず居心地よくなってしまって、いつの間にか日常の一環として身に着いてしまったのはいつからだったろう。
「そうかい?じゃあ遠慮なく頂いておこうかね」
しかし、眼鏡をちょいと、指先で押し上げて、おどけたように明るく笑う諸葛瑾はやはり何処までも諸葛瑾で。
それにひどく癒されていることにふと気付いて、魯粛はほんの少しだけ口元を引き締めた。
「有り難う御座います。子瑜殿…」
室内へと歩を進める背中に向かってこっそりと呟いた言葉は本人に届くことなく冷たい春の風に溶けた。
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