鋼鉄

□尊敬の名
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今の寒さを何かに喩えるのなら、これ以上不快な事はない。



嫌な夢を見た。



馬鹿なくらいびっしょりと冷や汗をかいて飛び起きたはいいが、起きてからというものまた同じ夢を見るのが恐ろしくてどうにも眠れない。

基本的に暖かい気候の呉の地はたとえ冬でも雪など降らず凍え死ぬ者もいないというのに、今は肌に張り付いた薄い夜着の隙間に吹き込む夜風が恐ろしいほどに冷たかった。

「…………」

そうやって真夜中に飛び起きた陸遜は遂に寝ることを諦めて、ひっそりと窓辺に佇んでいた。

本当は今すぐに何処か出歩いて気分を変えてしまいたいのだが、生憎陸遜の閨は部屋の一番奥に位置している。下手に出歩いて皆の閨の近くを通れば、気配に敏感な武将だ。確実に誰かの目を覚ましてしまうであろうと予測できた。

それに、こんな嫌な気分のまま出歩いていたら自分の足は確実に師のところへと向いてしまいそうで。
いくら師弟の契りを交わしているとはいえ、こんな夜更けの突然の訪問は不敬にあたる。


「我が師よ…」


それでもこの気持ちをどうにかしたくて、不安定に揺れた心のまま、名を呼んだ。
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