鋼鉄

□お酒の利用は計画的に
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「あ、あの…し、子龍…」

ぶふーッ、

趙雲が酒を噴き出す瞬間なんて、そうそう見れるもんじゃないと思う。

呼んでしまったはいいけれど、果たしてこの後どうしようかと魯粛は内心物凄く焦っていた。罰ゲームなんです、なんて馬鹿正直に言ったらやはり機嫌を損ねてしまうだろうか。

「え、何…、今なんて言ったの?」
「い、いえ…あの、その」

さあ、どうする?
急遽開かれた呉の臣下のみを集めた小さな宴会の席で周瑜や張昭らと前後不覚になるくらい飲んだのはまだ一昨日のことだ。
どんな流れでそんな話になったのか、もう定かではないが、言い出したのはやはり人をおちょくるのが好きな諸葛瑾だった。律義に実行する自分も自分だが、ちゃんと事後報告してよね魯粛さん、なんて言葉と共に、幼少期孔明が使っていた簪だよ、なんて物品を目の前でちらつかされてしまえば無視する訳にもいかないのが実情で。

(け、決して物で釣られたわけでは…!)

とかなんとか心の中で言い訳しながら、嘘の報告で諸葛瑾を騙せるかどうか、一晩きっちり悩んだ。
悩んだ末に、自分にそんな技能はないという結論に達し、私邸で採れた桃を使って出来た酒を口実にこうして趙雲を呼び出してみたりしたわけだったのだが。

どちらに転んでも相手が悪過ぎた。

いかんせん相手はあの趙雲なのだ。自分がいきなり字を呼ぶなんてどう考えてもおかしいし、趙雲だってまさか呼ばれるだなんて今の今まで思いもしていなかっただろう。魯粛自身、まさか一生のうちでその字を口にする日が来ようだなんて予想だにしなかった。その証拠に素晴らしいまでのさり気なさで口許を拭った趙雲の表情に浮かんでいるのは驚愕。さっき貴重な酒を盛大に噴き出した事実はなかったことにしたらしい。

「その、たまには…、呼んでみても…いいかな、と…」

言ってみて直ぐに後悔した。無理だ、やはり駄目だ、どう考えてもおかし過ぎる。

「…へえー」

痛いくらいに注がれる視線は間違うことなき疑いの視線だった。酒のせいだけじゃなく、顔が真っ赤になっているのが自分でも分かる。感情の読み取れないその声に、顔を上げることが出来ない。

やはり駄目だ、何か言わなくては…

しかし、そう思うのにまったく言葉が出てこない。沈黙の合間を縫って冷たい夜風が首筋をさらうが、頭を冷却する効果はまったくもって得られなかった。俯いている後頭部辺りに趙雲の視線を痛いくらいに感じる。たったそれだけのことなのに、見られていると思うだけで心臓が五月蠅いくらいにドクドクと脈打つ。

お願いだから何か言って欲しい。沈黙だけは嫌だ。いや…やっぱり何も言わなくていい。いっそなかったことにしてくれても…いや、それはそれで複雑なんですが…!



「ねえ、」

不意に落とされた声と共に趙雲の指先が頬に触れて、ぐるぐると回り始めていた思考が一気に寸断される。

びくっ、と身体が震えると同時に喉の奥で声がひくついて止まった。

「それ、誰に言われたの」


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