甘い空気な文!

□陸の魚
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(凄牙と孔士)







 自分の領域に人がいるのは珍しかった。凄牙の守る門は川だ。足を滑らしてしまえば滝へと落ち、命を落としかねん場所である。そんな場所に一人、かろうじて足の踏み場がある岩の上で誰かが立っているではないか。それも激流の川の真ん中の位置である。凄牙はそれが誰なのか知っている。つい先日やってきた我ら一族の一人だ。

「逃げるつもりか孔士?」

孔士はゆっくりと振り向いた。肩まである髪がなびいている。孔士は無表情だったが、口元は笑みを浮かべた。

「そんな無駄なことをするはずがないじゃないか」

「懸命な判断だな。ここから逃げても死ぬだけだ」

身軽に凄牙が岩を渡って孔士の前にやって来た。身軽さから見てここには慣れているのが見て分かる。

「怖くないのか?」

「慣れれば怖くはない。孔士も時期に慣れる」

それは川のことなのかそれとも。孔士は問いたかったがあえて問わなかった。孔士は影を落とした。察した淒牙は話題を変えることにした。

「凄まじい川だろ?孔士こそよくここまで来れたな」

凄牙は頬をかいた。黙っていた孔士だったが、そんな凄牙を見て微笑んだ。気を使ってくれてるのがわかったからだ。ここに来て初めて感じた小さな優しさだった。

「景色を見たくて…」

孔士の目は遠いところを映した。二人の視線は川の向こうに見える山々に向いた。この川は恐ろしくもある場所なのだが、景色は美しいものだった。その一言に淒牙は孔士を良く思った。

「そんなことを言う奴は孔士が初めてだ。皆はこんな恐ろしい場所をわざわざ通らないからな」

淒牙の目は川が流れてくる方向を見る。確かに危険な川だが景色は最高だ。ただ景色をたしなむものは一族の中で誰もいなかった。

「それは勿体ないですね」

孔士は柔らかく微笑んだ。警戒心を解いたようだ。淒牙にも自然と口元に笑みが溢れる。ここに来た当初の孔士は敵意が剥き出しだった。無理もない。信じていた家族や友人が虚無だ。一瞬凄牙は昔を思い出した。一族に行きたくない、と家族に友人に助けを求めたというのに、手さえ伸ばしてくれなかった。川の流れの音に凄牙は我に返った。

「孔士、ここは危ない。行こう」

孔士は頷いた。とん、と凄牙は軽く飛び岩を渡る。孔士も凄牙に着いて行く。ところが、孔士は岩に足を滑らしてしまったのだ。孔士は目を見開いた。

「孔士っ!」

咄嗟に淒牙が手を引っ張り、孔士を勢いよく抱き締めた。岩が少し削れ、小岩は川に流れていく。滝の音がやけに響いたような気がした。狭い岩の上で力強く凄牙は孔士を抱き締めていた。腕の中にいた孔士は小刻みに震えていたが助かったことに凄牙は安堵した。

「…っすまない」

「…俺は同胞だから助けたまでだ」

その一言に孔士は寂しげに視線を落とした。凄牙も孔士の表情には気付いていたが、何も言わない。言ったことは事実だ。凄牙は孔士の肩を掴みながら共に岩を渡った。陸地に着いた時孔士は咄嗟の凄牙の手を掴むと大きく息をする。安心したようだ。孔士は凄牙に頭を下げた。

「凄牙、ありがとう。君がいてくれて良かった…」

顔を上げた孔士は優しい笑みを浮かべていた。これは同胞として感謝したのではない。"凄牙"として孔士は見ていてくれている。穏やかな空気が流れた。凄牙は唇が震える。
ああ、こうやって手を繋いでくれるだけでも俺は良かったんだ。
凄牙は目を細めた。優しく笑えているだろうか。

「また落ちそうになったら、俺が手を伸ばしてやるよ」

握り合っている手は暖かかった。











陸の魚
















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同胞には優しい凄牙さん。本当はえげつないほど報われない話にしたかった(えっ)。上の最後の台詞は「一族に慣れなくてもいいよ」の同義語のつもりです。
110730

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