甘い空気な文!

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(※第二話 竜河連載/遊郭パロ。死ネタがございます。ご了承した上でお読み下さいませ。)











 もう六年も前になるか。とある花魁の身請けが決まった日のことだ。その花魁は当時最高階級の太夫だった。幼かった竜児は金を貯めて買った簪(かんざし)を持って花魁に会いに行った。部屋は荷造りをしていたのか筒が散らばって、そんな部屋の真ん中にその花魁はいた。いつも髪には豪華な櫛や飾りを付けていたが今日は地味な簪一つだけをつけていた。きっと夫になる人に貰ったものだろう。竜児はそれが分かってしまうと咄嗟に簪を後ろに隠してしまった。竜児は畳に丁寧に座ると頭を下げた。世話になったことを感謝する。すると、花魁は言った。「ここを去るのが本当に寂しいわ、本当に…」一滴涙を流した。身請けが決まったというのに花魁は哀しげだった。すると、突然花魁は竜児を抱き締めた。竜児は頬を赤くしたが耳元にはすすり泣いている花魁の声がした。花の良い香りと共に花魁は名残惜しそうに竜児から離れると綺麗な笑みを見せてくれた。「ありがとう、竜児くん。元気でね」細く綺麗な声を竜児は今でも鮮明に覚えている。渡そうとした簪はその日から引き出しに入れたままとなった。









花桃の送り








「ああ、それは河井だな」

 昼間、団子屋で昨日のことを竜児は石松に話した。二階にいたあの美しい方は誰なのか聞けばあっさりと解決された。石松は喋りが上手いとあってか、これまた色んな話を持っている。あの客はツケが貯まっているだとか、あの花魁は間夫に惚れてるだとか。

「河井?」

竜児は首を傾げた。吉原で働いて数年経つが名前を聞いたことがなかった。石松は団子を頬張った。

「ああ、竜児が知らねぇのも無理ねぇな。あいつは女に嫌われてっから」

どういうことか。女が地位を廻って妬みや虐め、男の取り合いなど竜児は見てきた。最初は酷いと思ってた竜児だが今は当たり前のことになっている。慣れとは恐ろしい。つくづく思う。その当たり前の出来事を石松は言う。竜児の首の傾げる向きは直らない。石松は肩で一息した。

「お前ほんっとわかってないんだな?」

「なにが?」

竜児は茶を飲むと、大きな丸い目を石松に向けた。石松は困っているのかそんな微妙な笑みを浮かべながら言った。

「あいつは男だよ。陰間だよ陰間」

「えっ!?」

驚き過ぎて竜児は後ろに転けそうになった。おっと、と石松が背中を支えてやる。足は着地したが、竜児の湯飲みを持つ手は小刻みに震えている。石松は二本目の団子を食べ初めてから話を続けた。

「下手な女より河井の方が綺麗だ。男に客を取られたら女はそりゃあ落ち込むわ恨むわ妬むわだ」

石松は話終わると、爪楊枝で歯を掃除する。なんでも河井は仕事以外はあの二階にいるそうだ。外にも滅多に出ないらしい。陰間は高額だ。客が連れ出すだけでも料金がいるそうだ。竜児は何もかも知らなかったことに愕然としてから肩を落とした。そんな様子を見て石松は爪楊枝を加えながら笑う。

「もしかして竜惚れちまったか?」

途端に竜児は顔を真っ赤にした。ますます石松の口角は上がる。楽しそうだ。

「え、ち、違うよ!気になっただけで…それに…」

「それに?」

「どこかで見たことがあるんだ…」

竜児は遠くを見る。石松は面白くないと鼻息を荒くした。

「そりゃあ一目ぐらい会ってんだろ。吉原にいんだから」

「違うんだ…もっと昔から…」

へえ、と石松は言った。団子を取ろうと皿に手を伸ばしたが何も掴めない。見てみると既に団子は食べ終わってしまっていた。石松はもっと食べたかったと口を曲げる。竜児はくすりと笑うと、思い出したことがあった。

「あ、そうだ石松。話って何?」

この団子屋に来たのは河井のことを聞きに来たのではない。元々石松から話があるといって団子屋に呼ばれたからだ。すると、突然石松は神妙な顔つきになる。言いにくそうに頭をかいた。最初に話しておけばと石松は後悔をしている。間を置いてから石松は言った。

「貴子おいらんが病で亡くなったそうだ…」

竜児は声も出ず驚いた。あの細く綺麗な声が竜児の頭の中で思い出される。貴子花魁とは菊と竜児のここでの育ての親だった。禿だった菊は貴子に付いていたものだ。貴子は厳しくも美しく、優しくも気高い太夫だった。竜児の胸の内は泣き出したい気持ちが渦巻いたが実感が湧かない。しかし、目尻は熱くなるばかりだ。

「今朝方楼主に聞いてな…」

「そうなんだ…」

涙が出そうになった。花を供えてやりたいが吉原を出ることは許されない。竜児は頭を項垂れるしかなかった。





 夜になれば吉原は活気に溢れる。夜見世が始まったのだ。竜児の仕事もこの時忙しくなる。竜児は二階番だ。二階の座敷に客と遊女がいて、呼び出されれば酒を持ってこいなど用件を聞く。さっきは膳を下げて欲しいときた。竜児は空になった膳を持って廊下を渡る。部屋から床についた女の鳴く声がした。しかし、今の竜児の耳には聞こえていなかった。昼のことを思い出していた。二階にいたあのお人が初めて男の花魁がいることを知ったこと。そして貴子花魁の死。竜児は仕事が上の空だ。廊下を歩いていると足を滑らし膳をぶちまけてしまった。
 大引け。遊女も客も就寝している頃だ。この時竜児の仕事は大体終わりを見せる。あとは客が帰ったあと部屋を整理整頓するだけでこれは朝にすることだ。竜児は昼間会いに行った姉の菊にも貴子花魁のことを話した。すると、生けていた花桃を渡してくれた。菊は竜児より前に知っていたらしい。目を赤くさせながら言った。「川に流してやってあげて」墓に行けないがせめて花を送ろうと思ったことからだった。竜児は寝る前に花と提灯を持って橋に行った。いつもは人がおる橋だが誰もいない。そっと竜児は橋の下を覗いてみる。小さな川だ。竜児は持っていた花を川に落とした。桃色の花は流れてゆく。両手を合わせ目を瞑った。頭には貴子花魁と一緒にいた記憶が蘇る。仕事を失敗すれば頬を打たれたこともあったが、優しく、花魁として誇りを持っているお人だった。

「(貴子おいらん…)」

竜児は懐から簪を取り出した。布に包んで大事に引き出しに入れていたものだ。これも川に流そうと思って持ってきた。名残惜しい。けれど、渡す人はもういない。抱き締めてくれることも、声も聞くことも出来ない。涙が溢れそうになる前に、簪を投げようと腕を振り上げたその時だ。

(竜児くん)

誰かが竜児を呼んだ。竜児は動きを止め、辺りを見渡しが誰もいない。あの声は確かに貴子花魁の細く綺麗な声だ。しかし、こんな所に貴子花魁はいない。思い出に浸っていたせいで呼ばれた気がしただけなのかもしれない。竜児は少し残念そうに肩を落とした。すると、ぎしり、と橋が鳴いた。竜児の他に誰かがいる。まさか本当に貴子花魁か。それとも幽霊かと思い竜児は冷や汗をかいた。恐る恐る歩いてみると確かに暗闇には人がおる気配がする。竜児は息を呑んだ。忍び足で近付けば、提灯で分かった影が橋をよじ登り飛び下りようとしているのが見えた。身投げだ。

「あっ!」

竜児が声を上げる。提灯を投げ捨て、血気に走った。竜児は体半分を付き出すと飛び降りた人物の腕を間一髪で掴んだ。確かに人の腕だ。ぐん、と竜児も落ちそうになったが片方の手で高欄を掴んだ。腹がのめり込み苦しい体勢に竜児は呻いた。

「だ、誰か…!」

人を呼んでみるが賑わっている昼と違い夜中は誰も橋を通らない。踏ん張っていた足だが、草履が滑るとあっという間に竜児は橋から落っこちた。

「うわぁっ!」

どぼん、と二人は川に落ちた。焦った竜児だったが、川から顔を出せば一応は助かっていることに気が付く。緩やかで溺れることはなかった。幸い竜児は泳ぎが出来る。落ちた人物の腰を掴んで竜児は必死に泳いだ。堀にたどり着き、よじ登るとそこは昼間行った団子屋の道だった。竜児は流れに勢いがなかったことに感謝した。竜児は落ちた人物の背中を叩いて水を吐かせてやった。

「大丈夫ですか?」

相手は咳をして水を吐いた。良かった。助かった。竜児が安堵したのも束の間、相手が顔を上げる。

「あ…、」

竜児は驚いた。この人を知っている。二階のあの美しい方だ。河井だ。大きな瞳が竜児を捕らえているではないか。

「あの…」

間近で見てもやはり美しかった。肌は白く、目は黒い瞳が大きい。黒い髪からぽたりと水が滴り落ちる。紫の着物がまた妖しさを放っていた。竜児は時が止まったかのように動かない。すると、河井が言った。

「なぜ…」

「え?」

小さな声に竜児は耳を近付けるとなんと平手打ちが飛んできたではないか。竜児は突然のことに驚いた。助けたというのになにがどうなっているのか。

「なぜ死なせてくれなかったんだ!」

河井は立ち上がり叫んだ。立ってみるとやはり男だ。身長は竜児より高く、声は男にしては高いが女より低い。竜児はあっけらかんとした。頬が痛い。昔はよく折檻を受けたがやはり叩かれると痛いものは痛い。竜児は状況が呑み込めぬまま、河井に答えを返した。

「だって、身投げを」

その通りだ。落ちそうな人が目の前にいたら助けるのは当たり前のことだ。河井は唇を噛み締め、竜児を睨んだ。昨日とは違う怖い形相だ。

「僕は死にたかったんだ!姉さんの元に行きたかったんだ!」

「そ、そんな事情を俺は知らないよ!」

竜児も声を張り上げた。助けて頬を叩かれるなんて身も蓋もない。竜児の一声に、河井は唇を震わせると力なくしゃがみ込んだ。すると、綺麗な目からは大粒の涙が溢れてきたではないか。

「ああ…姉さん、姉さんっ…!」

さっきまでの威勢はどこに行ったのか。弱々しい声を上げ河井は疼くまると泣き出した。竜児は叩かれた頬を触った。二階で見た時はなんと儚げかと思ったが今はどうだろう。なんと迷惑なお人だ。ただ竜児は何かを思う。近くで見れば見るほど誰かを彷彿とさせた。そういえば河井は姉さんと言っていた。まさか。

「貴子おいらんの…」

竜児が呟いた所で河井が反応して泣きっ面を上げた。ああ、そうだ、そうに違いない。似ている。貴子花魁の弟だ。竜児が橋の上で貴子花魁の声を聞いたのは強ち気のせいではなかったようだ。












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貴子姉さん故人ですみません。簪って難しい漢字ですね!私読メナカッタヨ!やっと出会い編終了です。次回は少しづつ二人を近づけたいと思いますが、いばらの道…かな!?
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