甘い空気な文!

□トリアイナを持つ者
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(志那石)










「海はな、俺のもう一人のかあちゃんだ」

 夜の海だった。石松に連れられ、広大な海を見る。電気もないのに明るかった。月明かりと星空のおかげだろう。その光が海に反射して眩しくも見えた。どちらが空なのか、海なのか。水に濡れない位置に座り、足は波によって何度も濡れる。しかし、心地が良い。暖かい。

「どういう意味だ?」

俺は石松が言ったことを聞いた。海が母だと言う。生き物は海から生まれたり、母なる海だとかいろんな話を聞いたことはあるが石松はそれらの理由で言ったのではないだろう。石松もわかってくれたようで、白い歯を見せ説明してくれた。

「海に育てて貰ったってこと」

「あぁ、なるほど」

「泳ぎも、闘い方も、それと美味い魚がたくさんいるとことか教えて貰ったもんだ」

浸していた足を石松はばたつかせた。

「たまに嵐で恐ろしい顔をしたり、こんな風に穏やかだったり、表情があってよぉ。どうだ、今日は暖かいだろ?」

「そうだな」

俺は目を閉じた。確かに暖かい。現実に言えば海の温度が高いからもあるが、穏やかな気持ちだ。波の繰り返しに鬱陶しさはない。この穏やかさに浸っていると、横にいた石松が立ち上がった。

「いまから泳いでくるぜ」

「おいおい、大丈夫か?」

「あったりめぇよ」

石松は親指で鼻の頭を掻くと、勢いよく走って暗い海に飛び込んだ。漁師の息子だから心配はないと思ったが、本当に海の底は真っ暗だ。これで泳げるのかと不安になるほどだ。石松が潜ってから数分が経ち、石松の頭は見浮かんでこなかった。急に心拍数が上がったような感覚に、思わず胸に手を置いてしまった。

「おい、石松…っ」

俺は立ち上がると、掻き分けるように海に入った。足元は暗くて見えない。その足が何かに掴まれ、海に引きづりこまれた。焦りは最初だけだった。すぐに足を掴んだのは石松だとわかる。体を浮上させると、俺は大きく息を吸った。あとから石松も顔を出し同じように空気を吸っている。

「心配したじゃねぇか」

「おっ?心配してくれたのかぁ?そいつはすまねぇな」

口ではそう言っているが反省している様子は微塵もない。にかにかと笑っている。俺も怒る気はなかった。石松なら大丈夫なはずだった、なのに俺が勝手に心配しただけのこと。はあ、と溜息だけをつけた。

「だんなも泳ごうぜ?」

「俺は…」

遠慮すると言いたかったが、石松に手首を掴まれ海に引っ張られる。やはり暗闇しかなかった。ただ、暗いというのに石松が目を細めにやりと笑っているのが見えた気がした。この手を放されると俺は浮上出来ないかもしれないと考えてしまった。そして手を放されることはなく、海から顔を出す。星空が先に目に入り、そのあとに普段の石松が目に入った。

「良い気持ちだったろ?」

石松は一人、俺の周りを背泳ぎする。俺は腕で顔を拭う。海は相変わらず穏やかで、暖かい。しかし、俺の心中は違うようだ。

「どうだろうな…、いや気持ち良かったのかもしれん」

「だろ?」

石松は泳ぎをやめると立ち泳ぎに切り替える。石松が笑っていたが俺の様子を見て笑うのをやめた。俺は笑っても怒っても泣いてもいない。きっと真面目な顔をしているのだろう。
あの暗闇の中、海に、いや、石松に支配されていた。鼓動も、目も、命さえも、すべてが―。
石松の顎を掴むと俺は口を付けた。唇は潮の味がした。

「しょっぺぇ」

石松は眉間に皺を寄せ、舌を出した。ただ照れくさいのか少し頬が赤い。

「なんでしたんだよ?」

関係があっても口付けなんて俺たちの中では滅多にすることがない。しても本当に数えるぐらいだ。ただ今回は衝動にかられたようだ。

「ん?そうだな…悔しかったんだ」

「どういう意味だ?」

俺は気恥ずかしくなって、小さく笑って誤魔化すことにした。













トリアイナを持つ者




















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恋愛に無頓着な志那虎が思わず独占したいとか思っちゃう話でした。トリアイナは三又銛(トライデント)のことです。
120608

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