青い春な文!

□暖かい海
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(志那虎の話/シリアス)










 あんなに騒がしかった合宿所は静かだった。同じく志那虎も静かで一人ソファーに座った。普段なら石松が寝転んでは一人絞めしているソファーだが、その石松もいない。竜児も河井も、もちろん剣崎も今はおらず皆それぞれ用事で出て行っているのだ。志那虎だけは用事がなかった。無理に外に出掛けようと思ったが別段行きたい所もない。

「(こうも静かになるのか…)」

志那虎はソファーに寝転んだ。よく河井がだらしないと石松にしかっていたことを思い出した。今の志那虎を見れば河井はしかるだろうか。想像して小さく志那虎は笑った。この部屋に案内された時はそれはもう竜児も石松もソファーの上でジャンプをし、大喜びしていた。二人ともソファーなんて初めてだと興奮し息を切らしていた。その日で騒がしい一日は終わったかのように思えたが、トレーニングも食事も就寝も話すということは絶えなかった。毎日なにかしら賑やかだった。

「(本当に静かだ…)」

志那虎は目を瞑った。すると、この静けさを何処かで経験したことを蘇させられる。暗く狭い懐かしい場所だ。志那虎の眉間に皺が寄る。

「(そうだ、土蔵だ…)」

腕を痛めたあの日から志那虎のボクシングへの道が出来た。しかし、今みたく仲間もいず一人黙々とトレーニングのため土蔵に引きこもっていた過去。
いつの間にか志那虎は幼少期の姿になっていた。これは夢だ、と感じていても覚めることが出来ない。親しい友人もいず、動かない右手への世間の眼差し、父親への反抗が幼い志那虎に波のように襲い掛かってくる。いや、波だ。暗い土蔵の中に波が押し寄せて来た。しかし、志那虎は逃げることをしなかった。足を踏み込んで立っている。波が顔に掛かっても志那虎は前を睨み付けた。しかし、次にやってきた波は"仲間"だ。仲間と出会った頃が波にのってきた。志那虎の表情は一変する。幼さがある顔は必死だった。足を前へと踏み込む。その波を抱き締めたが、波は引かれていくのだ。志那虎は何もなくなった腕の中を強く抱き締めた。口の中に入った波がしょっぱく感じる。いや、目から溢れているものがしょっぱいのだ。

「(ああ…これは私の、)」

波が再び立ちはだかる。今度は受け止めるんじゃない、呑まれていい。皆のあの賑やかな声が波と共にやって来る。志那虎は足を動かさず両手を広げ、波に呑まれてゆく。冷たくはなかった。暖かい波。居心地が良い波の中で志那虎は安心したように目を瞑る。例えるならそう、それは―。







「ダーンナ、今帰ったぜ!」

ぺちっ。
頬を軽く叩かれ志那虎は目を覚ました。起き上がれば帰ってきたばかりの石松が目に入る。上着も脱がす一直線にここに来たらしい。志那虎は自然と胸を撫でおろした。

「石…」

「珍しいな、こんな所で寝ちまってよぉ」

「眠気に襲われてな…」

目を擦ると手に涙がつく。生理的に出たものかわからない。

「でも元気ねぇじゃねぇか?あ、さては俺がいなくて寂しかったかぁ?」

歯を見せ笑う無邪気な石松に志那虎は言葉が出ない。あの土蔵に光が射したのを志那虎は見えた気がした。

「…あぁ」

ぽつり、と志那虎は素直に答えた。

「ありゃ?」

拍子抜けだ。石松はわざと転けるような振りをする。

「…寂しかったんだ」

志那虎はふと笑う。鼻の奥が痛くなる。目尻は熱を持ち始めた。志那虎は左手で目を隠そうとしたがその前に石松が志那虎を抱き締めた。

「何湿っぽくなってんだよぉ」

そう言っては志那虎の背中をまるで子供をあやすように軽く叩く。自然に志那虎は声を出して笑った。図体がでかい大人を小さな子供があやしている想像をしてしまったからだ。石松はなんで笑うんだよぉ、と口を尖らしていたが志那虎から離れることはなく、志那虎も石松の首に顔を埋めた。おかげで涙が出ることはなかった。抱き締められている間、まだあの波の中にいるような心地良さだった。










暖かい海に呑み込まれて
















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ダンナの小さい頃はどうだったんだろうって思って書きましたが、表現難しいですね!欲しかったものが気づかぬうちに手元にある話がテーマです。
110222

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