新撰組

3件

【蟻通七五三之進 (ありどおしかんご)】
壬生浪士組、新選組の隊士である。よく珍しい苗字からか、蟻通勘吾と間違えられるが、全くの別人である。

文久三年五月頃に入隊し、同月二十五日の「幕府提出上書署名者一覧」に名前を連ねている。同年の八月十八日の政変に参加。しかし、元治元年六月の池田屋事変の際に名がないことからそれ以前に脱走したと思われる。

【馬詰 柳太郎 (うまずめりゅうたろう)】
中国地方出身と言われる新選組隊士。美男五人衆の一人。

文久3年(1863年)9月以前に、父・馬詰新太郎と共に新選組に入隊。

同年9月18日(16日とも)に新選組隊士達が島原へ遊興しに行った際には、屯所で留守番をしていた。芹沢鴨暗殺の日だった。

美男で女好きだったが気が弱く、仲間の隊士達と飲みに行くこともできず、壬生村郷士南部亀二郎の子守女(色黒・短身・ちぢれ毛の醜女)と仲が良かった。女の腹がふくれはじめたため、他の隊士達が歌を作ってからかったと言う。

* 南部の子守のお腹がふくれた 胤(たね)は誰だろ

馬詰のせがれに 聞いてみろ 聞いてみろ

馬詰親子はいづらくなって、ある夜新選組を脱走してしまった。

父・新太郎は45,6歳で、号を柳元斎と称して書が上手い一方、刀の差し方などまるで知らず、隊士達によく使いっぱしりをさせられていたらしい。

【佐々木蔵之助 (ささきくらのすけ)】
壬生浪士組、新選組の隊士である。佐々木蔵之丞とも。

文久三年五月頃に入隊し、同月二十五日の「幕府提出上書署名者一覧」に名前が見られる。同年の八月十八日の政変に参加。元治元年六月五日の池田屋事件にも参戦。褒賞金として十五両得ている。しかし、慶応元年七月迄に離隊している。



[戻る]



©フォレストページ