Serial-月は全てを黙視する-

□満月の訪問者
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季節が冬へと向かい始めた頃合いに、榎本の口利きで伊庭が入社した。
その伊庭も世の人目を忍ぶヴァンパイァの一人だ。
自分と同じく現代に適応し生きる同族へ住み易い環境を提供するために、榎本は融通の出来る自分の元に引き込むことがあった。
そして伊庭は榎本の昔馴染みでもある。伊庭が駆け出しのヴァンパイァの頃から知っていた。
よく紅い目を自在に隠せず苦労していた。
それを思い出話しに語ると、毎日カラーコンタクトを嵌めていると自慢されたから、どうやら今でも彼は眼を隠すのは苦手らしい。

ただ榎本は知らなかったのだが、伊庭は土方とも昔馴染みの仲らしく。彼がヴァンパイァだということも、土方は知っていた。
それで、初めて吸血行為をしたときに土方は、自分がヴァンパイァであることに驚いていたが、異形の存在には動揺してなかったことに合点がいった。
伊庭の報せを聞いた土方は素直にそれを喜び、伊庭を歓迎した。

「トシさん久しぶり!」

「よぉ、元気してたか?」

「ああ」

皆への紹介の挨拶が終わった後に、改めて榎本の執務室で顔を合わせると、伊庭は大袈裟なまでに再会を喜び、土方に飛び付いた。
土方も苦笑いしながら伊庭の背中を叩く。人懐っこい伊庭の性は相変わらずだ。
土方にとっては例え何百年と伊庭のほうが年上だろうが、まだ成人を向かえたばかりのような見た目に、気の置けない気楽な性格に、弟のような存在だった。

「しっかしトシさん、色男なのも変わんねーけどよ。相変わらず旨そうさねぇ」

「うゎっ、バカ!まったくお前ぇって奴も、いつまで経っても変わらねぇー」

飛び付かれたまま、しみじみと二の腕を触られ、土方は焦って身体を捻る。昔馴染みとあって伊庭は土方に容赦が無い。
伊庭も例に漏れず類いまれない役者のような美形だ。優男が2人ソファーで笑い合っているのは、目を潤すような光景だ。どこか他人が入り込めない雰囲気すらもある。
まあ、この一見テレビに出ても何も違和感が無いような二人の気性が、実は相当荒いのを知っていれば恐ろしくて入れないと言うこともあるのだろうが、
それを知っていながら榎本は、絶世の色男を2人も前にして目を細めるでもなくソコへ割り込み。両者の肩をぐいっ、と引き離した。

「ちょっと君っ、ここには魔族を知らない人間だっているんだからね、そういう悪ふざけは禁止っ!」

「へぃへぃわかってらァ。先輩には世話になるわけだし、オイラも一営業マンとして精一杯精進するさ」

伊庭はニシシと白い歯を見せて笑った。
少々性格に難があるけども伊庭は賢い。榎本はそれもとっくに承知しているからそれ以上は言わなかった。
かれこれ土方に痛い目に遇わされているから、どうも見た目がいい男に苦手意識を抱くようになってきた。
端から見れば、榎本もその分類に入るが、本人はそれをあまり認識していない。
周囲に土方やら伊庭やら、あの黒田とか松平なんかもいるし。
その中じゃ男にしては肩幅も身長も少ない自分は劣る。と本人は思っているから仕方無い。土方が聞けば、無くていい。と一喝されること請け負いだろうが。
因みに、松平も伊庭と同様に榎本が声を掛けた異形の一人だ。正体は人狼である。今のところ登場が割愛されているが補足しておく。



「今夜はオイラの歓迎会だってなァ。久し振りにトシさんと呑めンの楽しみにしてっからぁ〜っ」

伊庭は満面の笑みで最後にそう言い残し、榎本には、んじゃ、と手を振ると部屋を後にして行った。
土方はこれから賑やかになる。と喉を鳴らしていたが
フと、その側からなんだか穏やかじゃない気配が漂って来ているのに気付き。
見ると、榎本がムスッと唇を尖らせている。
もう、一目で機嫌が悪い。どころか、自分が伊庭に構いっきりで放っとかれていたことにご立腹だ、とまで土方は瞬時に悟った。
さっき伊庭に強く当たっていたのもきっとその所為だろう。
伊庭はそれを気にするような奴でも無く。榎本の刺々しい態度に気付いた様子すら無かったが。
仮にも企業の社長の身分な榎本は、かなり人当たりがいい。それが、これじゃあ形無しだろう。と思うと、土方の相好が崩れてしまう

「なに拗ねてんだよ」

決まって、拗ねてない。と間髪入れずに切り返されると思ったが、今日は相当ご機嫌が優れないらしいヴァンパイァは、明後日を向いたまま無言だった。
目も合わせてくれない程に、焦れているようだ。
それは、いま彼の中で渦巻いているのだろう伊庭に対する嫉妬の念からか、意地っ張りな彼はそれに苛まれている自分が面白くないのか。
どちらにせよ、土方から丸見えなそのふっくら脹れている頬を指で突つき倒してみたいが、そんな事をするとますます彼の機嫌が悪くなることは火を見るより明らかで。
なにより、今夜のせっかくの楽しみが、殺戮と化しては洒落にならない。
土方は自分の身の安全に、可愛くないと思うところが可愛いいと思ってしまうから焦れったいヴァンパイァの気性を宥めるため、顎を指で捉え、
自分のほうへ向かせると、彼が驚くより早くその額に口吻を落とした。
そこに決めたのはここが外で会社だから、なるべく彼のお叱りを受けない為だ。

「アンタ、夜は来れないんだろ?今日は満月だ」


そう、今宵は満月。異種の力が倍増する夜を迎える。
この日の月夜にどうしても緋色に変わる瞳を隠すのにカラーコンタクトで誤魔化しつつ、榎本は餓えを凌ぐため女に声を掛けていた。それも仕方無くだ。
この日は外部からの面会を謝絶したり、会議以外には一人になれる執務室に籠りきり、堪えきれず夜に漸く脱け出してそれをおこなう程度だった。
食餌を済ませれば女の記憶は消してしまえるけども。餓えで浅ましく人の血臭に過敏なこの日は、やはり人と会うのは最低限に控えたいし、出歩こうとは思わない。
それについてはちょっと伊庭の度胸に感心する。コンタクトに頼ると成長しない、と過去に説教した思い出も榎本は忘れられないが。
既に伊庭には別な日に一杯奢ると断りを入れた。
今、榎本には土方が居る。
自分が外に出たくなくても、土方が居てくれるのだから榎本はそれに素直に甘えることにしている。
土方に伝えると、寧ろそうしてくれ。と言われたほどだ。出歩いて理性の無い所を誰かに襲われたらどうする。とも言われた。
いや、こっちが襲うほうだから。と際どい突っ込みを入れるべきかどうか榎本は悩まされたが。


「早めに帰る。おとなしくベットで待ってろ」

と、恥ずかし気もなくさらりと言ってしまえるのは、この男の一種の才能だろう。
そう言い残しただけで部屋を後にするのも策略か、と榎本の頭では疑うのに、
体はまんまと策略に嵌まり、機能していない筈の右奥の辺りが跳ねた気がするのだから、どうしようもない。

伊庭が土方と既に知り合いだった事に少なからず自分は動揺した上に、ああも仲睦まじいところを見せられては穏やかじゃいられなかったのも確かで、
それを全て見透かしたからこその土方のその科白にも、さっさと丸め込まれてる自分自身も面白くない。
そんな、詰まらない感情の全部が今日は異形を惑わす月夜の所為だと、何もかも榎本は満月の所業にした。





そして、今宵も見事に丸い月は闇に姿を現した。


「…た、ただいま・・・」

なし崩しに榎本と一緒に住み始めていくつかの季節を過ごした部屋に帰り、土方は一応家主である人物に、そう報告した。
変な間を開けてしまったのは、榎本との約束を破ったからでは無い。
そもそも、門限など定められていない。けども土方は満月が姿を現してから闇が更ける前には、ちゃんと帰って来たつもりだ。

本日は、普段はツンツン澄ましてるような彼が、餓えて淫らなまでに自分から欲望のまま求めてくるような素敵な月夜なのだ。遅刻なんてしたら、月の出ている限られた時間が勿体無い。
なのに、玄関で仁王立ちするその彼は、中に入れてくれそうな様子が無い。
その気持ちは、充分に土方もわかっているのだが。


「ソレ、どう言う事…?」

榎本は、待ちきれずに喜色満面土方に飛びつこうとしていた表情を、苦虫を噛み潰したような顔に変えて、口を開いた。
ソレ、と言って指した指先には、土方の肩に支えられ、引き摺られているようにぐったりとした伊庭がいる

「なんで持って帰ってくんの、早く捨てて来なよっ」

せめて戻して来いって言え。と反論しようとしたけども、
土方も怒りたい榎本の気持ちはわかっているから何も言わず、自分の肩に乗っかる伊庭の腕を引っ張り抱え直した。
だってもうコレは仕方無いのだ。
そして、土方は自分は何も悪くないと自負しているし、榎本が伊庭をただの酔っ払いか何かと勘違いしているようなので、
土方は溜め息を吐き出し、廊下を進むことで榎本の制止を振り切りる。

「目ェ覚まさないうちに早く捨てちゃいなって」

「駄目だ」

「何で!」

「目ェ覚まさないんじゃなくて、気絶してんだコレ」

「は…?」

「貧血だ、貧血。」



伊庭の歓迎会とやらに出席した土方は、普通に居酒屋で大勢と呑んで騒いでいた。もちろん、主役の伊庭は元より賑やかであり中でも楽しそうに食ったり呑んだり騒ぎに騒いでいた。
人間の食べ物は異形には、只の嗜好品と言うが、伊庭は昔から色んな人間の食べ物を好んで食べる節があるのだ。
ただ本日は満月だ。伊庭は本能で血に飢えたりしないのだろうかと土方は思ったが、伊庭には特に変わった様子が見られず。
同じ吸血鬼でもそりゃ特性は違うだろう。榎本が敏感なのかもしれないと土方は気にせず片付けた矢先に、
伊庭は、クラリと目の前で倒れたのだ。
土方は慌てた。ソレを取り敢えず酔っ払ったと仲間を誤魔化し、二人になれる店のトイレに連れ込んだ。
こうなるまで宴会をしたかったのか、本能より食欲が勝るのかと、土方は呆気に取られた。しかし、トイレの洗面台に項垂れる伊庭がかなり苦しそうで、
もちろんソレを土方が見放す事など出来ようも無く。
この伊庭は土方に負けず劣らず人気を泊し女性関係は派手だと知っているから、満月の今夜も当然女と約束でもしているかと、店まで迎えに来させることを提案した土方に、伊庭は、とんでもない事実を告げた。


「はぁ…?今日が、満月?…マジでか。なんか、食欲ねぇし、調子がおかしいと思ったんだよなァ…」

アレだけ食べておいて食欲が無いことはないだろう。
と今まで伊庭の暴飲暴食を見ていた土方は突っ込みが喉まで出掛かったが、
それよりも、


「オメェ、まさか…」

「忘れてた…」

ハハハ、と乾いた苦笑を浮かべながら元から色の悪い顔色を普段より数段悪くした伊庭は、さすがに自分の失態を反省してるようだ。
ああ、どこまで痛々しい奴だ。と土方は頭を抱えたくなった。
それより吸血鬼がソレでいいのかと言うと、
今の人間は月が満ちようが欠けようが気にしねぇ奴が多いからいけねぇ合わせていたらこの様だと、笑った後に伊庭は力尽きた。
土方から血を与えようにも意識が無くては仕方無く。
気絶しているのを放置するわけも無く、土方は伊庭を連れて帰って来た。




「と、言う訳だ。恨むならこのバカを恨め」

簡単にあらましを伝えれば、榎本はやっぱり苦虫を噛み潰したような顔をした。
榎本は満月の日に限り眼を隠す為カラーコンタクトを付けるが、
それを伊庭は毎日の習慣にしているそうだから、月の気配をうっかり見落としたのか。
やっぱりコンタクトは考えものだと、榎本は思った。

それよりも、コレはかなり面倒な事になった。と言うのは何も榎本だけが感じているわけじゃなさそうで、土方も思ってるようだ。
伊庭を中に運びリビングのソファーに寝かせたところで、煙草に火を点ける顔の眉間に深く皺を刻んでいるのだ。
そんな仕種一つをいちいち榎本は目で追ってしまう。今までおあずけ状態だった為に自分も伊庭と同様そろそろ限界なのだ。
どうするの?と聞くよりも先に、榎本の喉に生唾が通り軽く動いてしまった。



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