土榎r-novel

□親愛なる君へ弔いを
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確かに哀しいはず。
なのに、本当にもう涙は枯れ果てたのだろうか。
自分じゃ気付かない間に止まっていた

それでも悲しみだけは一向に消えなくて、

だから、また泣けばいい

再び少し渇いているこの眼から、また滴を落とせばいいだけのこと

たったそれだけなのに
そんなことも、今は出来ない自分が憎い…


―――ここは江差にある回船問屋街の片隅

あの事件から一日。
間借りした狭いだけの何も無い部屋は薄暗く
明るいモノは足元に転がった双眼鏡、ただそれだけ

膝を抱えて泣きじゃくって、泣き疲れた頃に寝て、
起きてもまだ涙が出て、また疲れるまで流しているの繰り返し。
どれだけの時間を過ごしたかなんて定かじゃない

目元から感じる焼けたように熱い痛みしか分からない頭は、靄が立ち込めているみたいだった



まだ、その目元には水気を感じない

悔しい…。
どうしてだろう?
いっそ泣けない悔しさで、悔し涙を流してしまいたい



その時、ドアが二回ノックされた。
黙って寝睡中を装うかと思うにも、そのノックは止まない

「誰?」

声は少し低めに、扉を睨みつける

「俺だ」

向こうからも静かな低い声が返って来た

声の主はそれだけで分かる。
今は、“仲間”皆が満身創痍で、他人に構っていられる状況じゃないし

あの後…―、開陽が、海に眠りについた後、
自分がこの部屋に帰ってから、誰も此処には来ていない。
と言うより、戻って来た時の記憶すら曖昧だった


人前で泣くには大人過ぎる。
来ないで欲しいと言った覚えは無いけど、
気付けばそっとしておかれたらしくて。
それに少し安堵していた

きっと自分が、自らこの部屋を出るまで独りだと思ったのに

違ったみたいだ


「何か用事?」

それを聞いたところで、直ぐに対処が出来るよう身構えている訳じゃない

「陸軍で事が足りる用件なら、君に一任するよ」

況してや、一件の事さえ手付かずのままで
流石に頼みっぱなしにしていられない。
今はそれに関しても、自分にも、時間が必要だ






「ドアを開けろ。ここじゃ寒い」

冗談じゃない。
これから泣くのに、
他人を入れられる訳が無い

「独りにして。寒いなら戻ればいい」

言わないと分かってくれないのかな。
冷たく吐き捨て、そして耳を鬱いで精一杯に拒絶した。
なのに、彼の声が入ってくる


「アンタ、泣いてンのか?」

うるさいな…。
それは此からの予定



「3つだ…、数える間に開けねぇなら、扉を壊す」


「は?」

思わず手が耳から離れた。

彼の場合は只の脅しじゃない。本当にやるに決まってる。
これ貸家なんだけどな…。と、考えている間にカウントが始まった


「…―1、…―2…、」


「分かった」

折れたのは、借りてる問屋に申し訳なかったからだね




錠を外して直ぐに外から開かれる。
ひとり佇んでいた彼は、黒い羅紗の服と闇色の髪が今にも暗い外と溶け込みそうで
それとは相対的過ぎる白い肌が余計に目立って、泣き腫らした眼に眩しくすら思えた

「なんだよ。もう泣いてねぇじゃねぇか」

わざわざソレを確認しに来たの?
だからソレは、此からだったのに…

黙って見上げると、彼の深い漆黒の眼も自分を見据えていた。
僅かに、口端まで吊り上げながら



彼は足で雑に扉を閉めて。
部屋に踏み込んで来て早々に、上着を脱ぎ。
壁際の片隅に置かれただけの寝台へ腰掛けた

「来い」

声と一緒に伸ばされる腕

「ヤダ」

言った途端に眉間に皺が刻まれる

「いいから来い」

更にキツい口調。
きっとこのまま無視し続ければ、次こそ強引にされるかもしれない

不満ながら寝台に近き、小さく溜め息を吐く彼の前に立つ

普段ある身体差は逆転。
彼を見下ろした

「打ったのは頭だけか?」

頭に巻かれた包帯を軽く触れられる。
暴風に曝された甲板で転んだ拍子に、マストに打ち付けた場所。
それと、右の横腹も、船内でモノが当たって痣になった

「もう平気」

左の腕でソコを掴む。
さらしで庇い、手当はちゃんとしてある

「見せてみろ」

「服を脱げってこと?」

「そうだ」

「ただの怪我だよ。大丈夫」

「俺、他人の大丈夫は信用しねぇ事にしてる」

自分を見上げる目付きがまた厳しくなる

やっぱり不満は盛大にあるけれど
抵抗は諦めて、シャツの釦に指を掛けた。
力じゃ敵わないし、
もうこれ以上、痛い思いするのは嫌だし…

「さらしも取れよ」

釦を解き終わる前に言われて、
シャツの前を全て開いた後、そのまま腰を隙間無く覆っていたさらしも外す

右の横腹は大きく一部が赤紫に変色しているけど、船医によれば心配ないらしい。

頭も腹も、痛みを感じたのは最初だけ
その後は、怪我を気にしている余裕も無かったから



「酷ェ忘れ形見だな」

「っ―…」

血の滲んだ箇所を指先が準り、思わず息が詰まった

「冷たい手で、触らないでくれる?」

「感じたかよ」

「わ…っ!」

手を払いのけようとした掌が逆に捕らわれた次の瞬間、
ボンッと、寝台に引きずり込まれた

「つ、…なにす―…」

文句を言う間も無く口は塞がれる

衝撃で怪我した場所に鈍い痛みが走り。
一瞬で、それだけで手一杯になった身体に
追い討ちを掛けて貪られる咥内

「っ、…ん!ンぅ!」

抵抗に、手も足も、痛い頭も懸命に振るう。
それをまるで物ともせず、彼の躯が自分にピッタリ覆い被さって、完全に抑え込まれた

あまり丈夫じゃなさそうな寝台は、動いて揺らす度に大きな音を立てる。
その木材の軋む激しい物音が、どうしても、昨日と重なって聴こえる気がして

ついに、自分から動くのを止めた




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