土榎r-novel

□愛染九十九折
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 ※…拘束/異物使用



俺は何気無く通り掛かった廊下で足を止め、
己の眼を疑った。

その目線の前方は大広間。
何十畳もの広い部屋に襖は無く、ソコは官僚だろうが、どの組や隊だろうが一兵誰もが出入り自由な空間だ。
だから、いつでも人が居て騒がしいと言えば騒がしいのだが、
今日は一段と賑やかで、
酒宴でもしてんのかと思う程ワイワイ盛上がっていた


遠巻きに伺うと、カッターシャツだったりベスト姿と言う軽装の男達の輪が出来ていて、
名前を知っているような見覚えある兵士は居ないと思ったら

見間違う筈も無い男が一人居た。
しかも輪のド真ん中に居やがるし

そして誰よりも楽し気かつ大声で咲笑いを響かせている


俺としては、此れは何かの間違いだと思いたい。
有り得る筈が無いだろう。
輪の中心で愛嬌の椀飯振舞をしているその男は、
現君主、榎本武揚だと言う事が





現役の一国一城(稜郭)の主もとい総裁と言えば、
下っ端がおいそれと口を聞ける訳も無い。
況してや軽装で顔向け出来るモノでも無い。

しかし本人が言うには、此処に集う者は皆一様に対等らしい。
それが民主国だの、あの入れ札の意味で
自分は代表であり大名じゃ無いと、人に頭を下げさせるのを躊躇う理由も漸く理解出来てきた。

それでも、常に隣には松平や秘書なんかも控えさせ。
仕事も仕事なだけに普段ならば、易々と近付ける機会は滅多に無いだろう



それに、僅でも暇な時が出来たら、
たまたま居合わせた奴等を捕まえ軽い談笑くらいは俺もする。
する事にした。
ただし俺は、組の連中や他の隊でも名前と顔が一致する奴に限ってだが

あの人の場合は違うらしい。
外向性ってのが優れてンのか、ただ危機感ってモノを知らないのか分からないが、
どっかの軍服を着ているだけで名前も知らない奴に愛嬌を振り撒いて、
気付いたら随分と打ち解けている事がある。

それはまぁ近藤さんだってしていた事だが、


じゃあ、アレは許される事なのか?
と思えば、当然ながら否だろう



総裁の名と顔を知らぬ者はこの何千人の中探そうが居ない筈だ。
それでも、俺だって海軍や陸軍ですら隊も名前も知らない奴が当たり前のように居る訳で、あの人の知らない奴もごまんと居る

そんな事はお構い無しに、惜し気も無く瀟洒な愛想を撒き散らして屈託なく一声でも掛けりゃ、
当然、掛けられた方は嬉しくない訳が無い。
いや、嬉しいどころの騒ぎじゃない。

その証拠に、群がる興奮気味な野郎共の顔は一丸に軽く涙目で紅潮までしている。
明らかに尊敬や憧憬を通り越し、如何わしくねぇか?

あの人自身が、
偉ぶるのが嫌いで、誰とでも分け隔て無く接し、好きな時に好きなように暇潰ししてようが、
俺にとっちゃそれら全てはどうでもいい。
寧ろあの人のそんな、頭良いクセに堅苦しくも無く取っ付き易いってンのが、
人を惹き付けているのかもしれない



だがしかし、
俺が頭を痛めているのは、
それから近付けたのをいい事に、更に頭に乗ろうと蔓延る狼藉者どもだ。

只でさえ、海軍の連中を含むあの人の同期とやらが、わんさか我が物顔で周囲を蠢く官職内に加え、

その仕事で会うどっかの国の領事だか商人だかの中にも援助だ何だとぬかし、
どうにかあの人へ取り入ろうと必死な輩も居るって訳で、

この上無く虫酸が走る。


いま僅かな時でも、
此所でのあの人の頼りは、
あの人自身のその知性と、俺の自慢の手腕だけがいい

例えそれが叶わなくても、
せめて、あの人に触れていいのは、俺だけでいたい。



生憎、榎本さんを取り囲み広間に輪になって座り込んでいる連中は、
上着を着ていないお陰で何処の隊だか腕章も無く見当が付かない。
奉行所に居る大抵が陸軍だからまぁいい。
いま顔だけはしかと覚えておき、演習で見掛けた暁には、俺が直々に扱いてやる事にしよう。


「うわっスゲェ総裁ッ!」

「何でこの数の中で一度しか見てねぇのに、場所覚えられンっすか?!」

「如何様じゃないよ。神経衰弱なんて、記憶力さえ有れば簡単に出来るって」

「あ〜〜っ俺もう分かんねーっ!!」

「だから、ソレはこっち。ホラね」


「うぉ〜〜〜〜っ!!スゲェ!さすが総裁!次も、次も当てて下さいよ総裁!!」

よりいっそう増して感喚が上がり、それは更にあの人を上機嫌にさせる。

胡座の格好で畳に座る榎本さんの前には西洋のトランプなるモノが散らばっており。無我夢中で遊びに興じているが、
野郎共は鼻息粗く、明らかに視線は畳の上では無く。その遊びに興奮してる訳じゃねぇの丸分かりだ


「じゃあ、もっかい交ぜて最初っからね!」

恐ろしい程に無邪気かつ能天気なこの国一の人気者の声。
危機感も概念も何もあの人は持っちゃいない。


不埒な奴等は身を乗り出し、囲む輪が徐々に狭まくなって身体が密着し始め。

こーなると、遂に危険だ。

まず、あの人の斜め背後から顔を覗かせている奴、
下には見向きもせず、
明るい射し込む陽で少し赤み掛かる髪の匂いを嗅ごうと、首を不自然に伸ばそうとしてやがる

そして更によく見りゃ、
背中を丸め前のめりに屈むあの人は上着もベストもリボンタイすら外し、
シャツの鈕を三つ解いているモンだから正面の絶好な位置に居る奴も、
少しづつ、
次第に微妙な体勢を……

当然、見ようとしているのはあの人の手元ではなく、シャツの合間から覗く胸元


あのバカ…。


自分の頭の片隅でブチッと音がしたのを聞いた




「はい、2枚捲って―…」

バァン!!バァン―…!



五稜郭に響き渡る銃声。

一発目は榎本さんの前に居て此方に背中を向ける奴が座る畳へ命中。
二発目は、榎本さんの背後に居る奴の頭上後ろに立つ柱へ弾丸がめり込んだ。


「すまねぇ、手入れしてたら引き金引いちまってよ。流れ弾が飛んで来なかったか?」

とか何とか適当に、なにくわぬ顔で廊下から俺が部屋へ顔を出した途端、

ズサササッと畳を擦り、
榎本さんを中心に脱兎の早さで輪が拡がった

以前なら、総裁の御前でふしだら極まりないなどと、切腹だとか怒鳴っていただろうが、
一応、俺も丸くなったっつーわけだ。
発砲はしたが、名も知らない諸隊組士を射殺しようとは思わなかった



「ひひひ、ひひ土方総督ッお、ぉおお疲れ様です!」

「そそそれでは自分たち持ち場に戻りますので!失礼致しますっっ!!」

「おぅ、ご苦労」

至極、穏やかに言ったつもりが、
次の瞬間には広間から蜘蛛の子を散らしたよう顔色を変えた人が飛び出して行き

残ったのは、座り込んだままの榎本さん。
札を持ったままポカンとしていたかと思えば、上着をグッとひっ掴まれた

「いま撃ったの君?!射撃なら外でしてよ!」

「手入れしてた拍子の手違いだって、謝っただろ」

「実弾入れたまま手入れしない!!危ないじゃんっ」

危なっかしいのはテメェの方だろ。
そもそも俺が廊下でピストルの手入れなんざするかよ

とは言わないが、人の気を知りもしねぇで、
頬袋をふっくら膨らませ拗ね始める


「あ〜あ、せっかく気晴らしにトランプしてたのにさ。皆いなくなっちゃった」


そう尖る唇に噛み付いてやりてぇ…、


と、そんな衝動だったつもりが、
どうやら俺の意思より体の方が一足早く。
瞬間的に出ていた拳が榎本さんの鳩尾に当たって、

気を飛ばし崩れたその体を、俺は反射的に掴んでいた
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