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その男、鬼副長

【市村鉄之助の見解】


漸く慣れてきた洋式混じりな生活で、朝の一番にする事が習慣になったガラス窓を覆うカーテンなる布を開けば、本日は雪も降らない清々しい晴天

「うー、寒ィ…」

白い蒸気が口から出る。
残念ながら北国の朝冷えにはまだまだ慣れない。
注ぐ日差しを入れても中々の広さがある屋敷の冷えきった空気には堪らず、上着ごと自分の肩を抱いた

この屋敷は港に聳える山の梺にある。
港町の有数な貿易商の別宅だから海が近い訳で。
波風が山に当たって、海からも山からも来る寒さがここで渦巻いているのかもしれない

只でさえこの日の本一番の寒い場所とか聞いた事あるし、それはそれは半端無いけれど。
いつまでも寒さに負けてはいられない。
いや、この新選組隊士ともあろう男が、寒さに負ける訳にはいかない。

えー…と確か、心頭滅却すれば火もまた涼し。って、やつ?

その言葉を教えてくれた人こそが、この屋敷の主であり、俺のお仕えする人。
無論、屋敷の主と言っても貿易商などでは無い。

聞きしに勝る新選組鬼の副長こと土方先生。

この屋敷の持ち主である豪商の主人は、予てより先生の名声に大層惚れ込んでいたとか。
そして、屋敷一軒丸ごと使って欲しいと名乗り出て。総裁の特別配偶(独断と偏見)もあり借りた休息所…丁サだ。

そりゃ先生は超がつく程の有名人だからな。
こんな最果ての地まで名が通っているのかと、俺にはなんだか誇らしい話し。

しかし京の頃も休息所はあったけど、ほとんど屯所の部屋に籠っていた先生は、この国に来てからも相変わらず。
本営の奉行所へ泊まる事の方が遥かに多く。
屯所に近い立地だからと先生は了承して借りたせっかくのこの屋敷も、屯所に易々と来られないため滅多に戻られる事がない。

今や先生は陸軍奉行並市中取締役…(長いから忘れたが)で、新選組副長と一言で言えないお立場だし。
目を回すほど忙しいのだろうけどな。
それより俺としては、簡単に寝食まで疎かにするのはどうかと思う…。
只でさえ食事の量が少ないのに回数まで減らすわ。気付くと不眠不休で陣屋を巡り机に座ってるわで、
先生は心配を通り越し軽く哀れんでしまいそうなくらいの、仕事バカだ。


しかし、その先生が昨日は久々に台場へ顔を出し。そのままこの屋敷で休んでいる。
だから俺もここで気合いを入れて朝を迎えたわけ。

昨夜の台場は、流石に宴会は無かったが、それはもうちょっとしたお祭りさながらの騒ぎだった。
と言うか、誰もが有頂天だ

頻繁に会う事が出来ないと言う理由だけで、そんなに盛り上るのでは無く。
軍神だとか猛将だとか一心に崇拝され尊敬される先生は、
組にとってはある意味、
総裁や徳川家よりも重んじられている。(と、先生が聞けば黙っていないだろうけど。限り無い事実だ)

そんな先生の身の周りを仰せ付けられている俺は責任重大。
組の中では指折りの過酷で手厳しい激務かもしれない

毎朝この極寒の寒さに堪えるのも、実は他でも無く先生のため。
屋敷に附属された火鉢などの火元は現在、片っ端から先生の寝室に配備している真っ最中

勿論、先生が風邪でもひいたら一大事だし。
先生の為であれば、一向に慣れない朝の寒さなんか俺にとっては些細な苦だ。
それと同時に、自分の安眠を守るための防衛手段でもある。
心頭滅却すれば〜…と、言う先生こそが寒さに弱く。
先生は少し人より体温が低いらしい。
寝てても一向に自分の体温で暖まらない布団に痺れを切らし、
以前、夜中に『寒くて寝れねぇ』と半ギレ気味に叩き起こされた事があった。
それを俺にどうしろってンだろうな。
その時は取り合えず少量の熱燗で難を凌いでもらったが

冷え込みが強い夜は寝付きも機嫌も最悪で。只でさえ、寝起きの悪さはピカ一の御方だ。
正気を取り戻すのに時間を要するらしく。
下手な起こし方をすると、その日の午前中はほぼ上手く機能してくれず。
それが先生の場合は周囲に尋常じゃない威圧感を及ぼすとかで、
失敗した日に、野村さんから泣きながら励まされた


先生は、時に頭が痛くなるほど横暴で理不尽な大人だ


この過酷な仕事のどれよりも、朝の瞬間こそがもっとも勇気と根性が必要の正念場と言ってもいい。

朝食の支度を整い終えれば、いざ先生の寝室へ向かう時が訪れ。
俺は頭から鍋を被り、右手にまな板を握り締める。
この防具は、対枕の必需品だ。
時には、柔い枕も豪速球になれば人を立派に気絶させられる凶器になると教えられた。

稀に俺が部屋へ近付く気配や、扉を開いた音で起きてくれる事もあるけれど…。
油断は大敵。
毎朝、思わず息を飲んでしまいながら俺はノックをしている。
コレで上手く起きてくれさえすれば、と一分の望みを賭けるからだ


「先生、おはようございます…」

今日はどうだろう。
返事が無く仕方無しに俺が静かに扉を開けると、
どうやら先生は、とっくに眼が覚めていたらしい。

寝間着は無造作に寝台の上に放りっぱなし。
あ、布団もグチャグチャ。
今日は天気が良いから台場へ行く前に後で干しておこう。
先生は、けして不器用な人じゃないけど、こんな所は以外と無頓着だ。

既にベストまで着込んで、右手でもう片方の袖口を整えながら俺を見た先生は、
おぅ。と軽返事をしただけだが、
煙草を食わえ込む口頭が吊り上がっているから、機嫌も悪そうには見えず。
俺は心の底から安堵した


「…なんだお前、鍋なんか被って。食器を玩具にするな」

「いや、コレは…ごめんなさい。」

先生は俺の葛藤など知る筈も無い。どうせ毎朝の攻防なんか寝惚けて覚えて無いんだろうし。
ここで事情やら経緯を話したところで分かってくれそうも無く、口答えするなと一喝されるだろうから素直に謝るのが得策だ。

頭を下げ俯いたところに、
毛先がボソボソになって胴体が二つに折られてる筆を見っけた。
何か苛々したのか?
だからって部屋の隅にぶん投げておかなくてもなぁ…



朝の正念場を越えると、
一応、俺の仕事は一段落する。後は島田さんや相馬さん頭取、隊長の出番。


先生は、日本中どこ探してもその名を知らない人は居ないような御方で。
確かに仕事バカで器用なクセに無頓着でたまに理不尽だけど、

ちょっとビックリするくらい容姿が良い。
道を歩けば行き交う人間は十中八九まず振り向くし。
軽く二度見されてるのも、後ろに居る俺からは丸見えだ。

先生ような事を、才色兼備…とか言うらしい。
地位と強さを我が物にし。
オマケに容姿も類希無い。
先生が崇拝される理由は、そんな所にも訳があるとか。勿論、俺も納得する

漆黒の羅裟を翻し羽織り。島田さんが背後から少し肩筋を整えた後、愛刀を洋帯に差し込めば、
端整な顔がまた一段と変わって、誰もが謙遜し敬う軍神様の赴きに。


「おはようございます」

玄関先で相馬さんが出迎え。その先には馬が用意され、それを中心に添役の列があり。
それを前に先生は、煙草を燻らせる口許を俄に緩める



「出迎えご苦労。待たせたな」


屈強な周囲の中では、その整った立ち振舞いも尚更に際立ち冴えるのだ。

今日は軽く市中を歩いてから関門奥の本営へ行かれるらしく。
台場附の人も交じり、それを身に纏い率いる様は
浅葱ダンダラでは無いけれど、一目で敵味方無く大衆を圧巻させてしまえる。


まぁその中で、屋敷の部屋の布団が目茶苦茶だったり、寝間着が放置されっぱなしだったり。
筆一本の毛先を駄目にして、むしゃくしゃしたのか、真っ二つにへし折られたのが床に叩き付けられていたり。
朝は無い食欲が微塵も無いのか二口のご飯と、探して旨いと御墨付きをもらって得意先になった店の沢庵一本とか、寧ろ沢庵が主食になった食卓の様を知る人は、
添役ですらも限られた人しか居ないわけだ。


さて、取り敢えず布団を干して洗濯を済ませ。台場へ行く前に筆を買って。勿論、いつもの沢庵も調達し。

今日はどうやって銀と稽古しよっかなー。







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