長篇:箱館 novel

□いざ、蝦夷へ!-第1幕-D
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傷の真相


一悶着ありながら合流を果たした星や他の幹部が宿泊しているのは、仙台で御蔵米を管理する石巻の豪商宅である。
しかし海軍などはほぼ不眠不休で船内に詰めていて
土方が夜に戻ると、やはり二階の部屋には幹部の姿も疎らだ。

「やぁ、お帰り」

この忙しさを微塵も感じさせない陽気な面構えで出迎えたのは大鳥。
物凄い脱力感と疲れを一瞬にして土方は実感した

もう何ヵ月の付き合いになるが、どうして顔を見ただけで疲れる事が出来るのだろうか理解不能だ。
理不尽ながら殴り掛かってみたい気もするが、
そんな戦意も大鳥は失せさせてしまう

「榎本さんは…?」

ただいまの挨拶など言ってやらない代わり程度に一応だが聞いてみる

「勿論、船内だが。何か用でもあるのか?」

「別に、聞いてみただけだ」

予測通りだ。寧ろ、船から降りて来たと聞いた方が驚くだろう

「会いに行っても構わないよ」

「行くなんて言ってねぇ」

「一応、忠告しておくが、早く行かないと危ないぞ」

「何が?」

「夜の海は真っ暗じゃないか。夜這いは危険だからね」

ヘラヘラと能天気丸出しの大鳥に土方は盛大な溜め息を吐き出す。
突っ込む気力も無い程に体力が消耗している

「少し寝る。後は頼むな」

土方が貸せられた自室の襖を開いた瞬間、
奥の部屋から星が顔を出して廊下に居た二人に笑みを見せた

「榎本さん、帰って来ましたよ」

「え?何かあったのかな?」

直ぐに大鳥が階段から下を覗き込むと、
玄関口には榎本が居た。
しかし、様子がただ事じゃない

「そんなに濡れて、どうした?」

まるで海に落ちたかのように頭の先からずぶ濡れである

「うるさい。風呂入りに来ただけだよ」

手漕ぎボートで最新鋭軍艦に勝てる筈もなく、
キレた沢は榎本にも止められないのだから海軍が制止出来る訳がなかった。
そして榎本は敢えなく海に落とされたのだ

榎本も敵わないとなれば、この三千人いる中で最も最強なのが沢かもしれない。
そんな沢の武勇伝が、また一つ海軍に広まり。
物凄く榎本の機嫌が悪い。
大鳥は苦笑いを浮かべたままそれ以上は触れなかった

フと榎本が階段上を見上げると、そこに居る土方と目がかち合う

「海に落ちたのか。昆布、頭の上に乗ってるぜ」

「落とされたの!!」

ケラケラと笑う土方に榎本は自棄気味に、頭の上に垂れ下がっていた昆布をペシッと地面に投げ捨てた

「誰のお陰で、こんな目に合ったとっ―…」

舌打ち混じりに呟いた愚痴は、二階の土方まで聞こえていない。

その時、玄関口に立っていた榎本を
ドンっと押し避けて飛び込んで来た者が居た

「土方ぁ」

少し間延びした声。
押されて体制を崩した榎本が振り返った場所には、
本日二回目に見る顔がある

「定敬様。どうしてまた此所に…」

「宴会をする。門出の祝いに与の奢りだ」

「それはまた気前が良い事ですね」

直ぐにノリに乗っかったのが大鳥だ。
大鳥も定敬には免疫があったらしく動じる事無く笑みを浮かべている

「殿が自ら呼びに来なくても」

「それだと土方なら断ると思って出向いた。直ぐ近くだからな」

ただ単純に純粋なのだろう。
だから性質が悪い。
とは思っても口に出せない土方だ

しかし、そこで意義を唱えたのは榎本だった

「越中守様。万が一の事があれば大変です。町中で騒ぎを起こすような事は避けて下さい!」

「陸軍が集まっておるだけだ。幹部が来れば、手出しも出来まい。榎本も来るか?」

榎本が身勝手に敵視しているだけだから全く定敬に敵意など無い。
竹を割ったような態度の明るさと無邪気さだ

「せっかくですが私は結構です。まだ仕事があるんでね。くれぐれも、軍務に支障を来さぬよう心掛けて頂きたい」

それだけを言い残すと奥に消えて行った。
最後に、階段上に居る土方を睨む事も忘れない

しっかりとそれを見ていた大鳥が土方の横で笑いを必至に堪えている

「怒られてしまった」

「榎本さんは多忙ですからね。先に行ってて下さい、我々も向かいますから」

しょぼんと顔を沈める定敬に土方が微笑んだ。
それに満面で喜びを露にして戻って出て行く。
相変わらず土方だけに心を許している若君。
然り気無く榎本のフォローも怠らない土方だ

定敬が出て行った瞬間、
大鳥の手が土方の肩にポンと掛かった。
その顔は、今にも爆笑を吹き出しそうだ

「心中察するよ。でもさ、榎本さんの機嫌を損ねては苦労するぞ」

大鳥は嘗て榎本と一緒の塾に通っていた中だ。
そこで様々な事があったのだろう。
言葉に妙な説得力を含んでいる

しかし、その瞬間
ガンッ!と大鳥の横にあった柱に刀の刃が突き刺さった

「黙れ。ちょっと軽く斬られてくれねぇか?」

「待て待て、軽く斬られて堪るかっ!!」

白刃を曝け出す土方の眼は
限り無く本気だ。
榎本に八つ当たりされた土方の八つ当たり場所は
大鳥の他ならない

「ちょっ、土方さん落ち着いて!刀しまって!!!!」

「止めるンじゃねぇ!」

「今はまだ大鳥さん斬っちゃ困ります!蝦夷まで我慢して下さい!!」

必至で土方を羽交い締めにする星だが、
止めるのに必至で思わず本音が口から漏れている

「土方くん!間借りしてるんだから暴れては迷惑っ…榎本さん止めてくれぇええぇぇえええ!!!!!榎本さぁぁあアアアん!!!!!!」

榎本なら止められるだろう大鳥の考えは間違いじゃ無いかもしれないが。
上の散々な事態を気にする余裕も無く、
入浴中の榎本は拗ねていた

今も現存している宿泊していた石巻旧商家二階の柱に、土方が斬り付けたと言われている刀傷が残っているらしい


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