長篇:箱館 novel

□いざ、蝦夷へ!-第1幕-G
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目指すは蝦夷地


遂に仙台、石巻から蝦夷へ向けて出航が目前と迫った榎本艦隊。
その旗艦である開陽丸は最大を誇るが、
幾度か脚を運んでいる土方は迷わず長官室に駆け込んだ

勿論、唖然としたままの榎本を引き摺った腕は放さない

「痛い。痛いってっ…」

完全に部屋へ引き摺り込まれてしまった時、掴まれていた手を半ば強引に榎本は振りほどく。
土方ほど刀を振り回していた訳じゃないから土方の力加減では痕が残ったと思ったが、擦って見てみると赤くもなっていない。
痕が残らない程度の気遣いはしてくれたのだがら、本気で怒っている訳でも無いだろう

「アンタが、アイツを好きだとは知らなかった。今まで気付かなくて悪かったな」

「何の話し…?」

そう惚けてみたが、キリッと榎本は思い切り睨み付けられてしまった
確実に先程の甲板での会話の続きだ。
アイツとは小杉の事で間違い無い。
怒っている様子では無いが、拗ねているようにも見える。

「惚けンじゃねぇよ。ハッキリと言い切ったじゃねぇかっ─…」

「うん。確かに言ったけどさ…同じ船に乗る者として、家族も同然って意味だよ」

土方が気にする程の事だろうか。
そして、強引な扱いを受ける所以は無いのだ

「用件はその確認だけ?君は陸軍で呑みに行ったんじゃなかったの」

「大鳥さんだけ置いて出て来たから構わない」

「ふぅん─…」

どこまでも不機嫌丸出しな土方はふてぶてしくムッと眉を寄せたまま。
本音は機関室の後始末に戻りたい榎本だが、
土方をこのまま無下にも出来ない

近くの壁に凭れながら榎本は障りの無いよう宥めに取り掛かる

「また、あの若君が煩いんじゃない?さっさと戻ってご機嫌取って来なよ」


最後の一言は間違った…。
当たり障り無く宥めるどころか、皮肉にしか聞こえない発言だ

「テメェ…。昼間のこと、根に持ってンのか?」

正しく的を得た事である。
口走ってから否定しようにも、言い訳すら思い浮かばない

少しの沈黙と微妙な空気が漂い始め、
口を濁す榎本より土方が先に一つ深い溜め息を吐き出した

「別に、アンタと睨み合う為に出向いて来た訳じゃねぇ」

不服そうに根気で折れたよう口火を切った土方へ榎本は視線だけを向ける

「定敬様がこーなっちまった事は、少なからず俺に不敏がある。寧ろ、怨まれて同然に此処まで来たが、それでも頼られる限り無下に出来ない。これは俺の身勝手な義だ」

応援要請の名目で落城寸前の会津から流れ、更に蝦夷行きを決めた土方。
恭順派と決裂したいま手の施しようが無いと言えども、
到着が遅れ仙台の説得も力及ばず、
少なからず会津を見棄てる形になってしまった責は榎本も同じく承知だ

それなら未だしも、
容保と肉親の定敬や恩義のある土方の断腸の想いは計り知れない。
榎本は視線を伏せた

「…─分かってるよ。これでも旗本だから、見くびらないで欲しいね」

ただし、嫉妬など口が裂けても言えないのは榎本の些細な男気だ

「なら話しは早い。向こうに着いたら、隊士と言えども公に従わせようと思う」

「え…?」

それが本題なのだろうか。
榎本は言い捨てた土方に眼を点にしてしまった

「…でもさ、それ軍隊としてどうかな?」

「なんだよ、文句あンのか?邪険にされて嫉妬してンだろ?丁度良いじゃねぇか、家臣が身近に居れば好き勝手も出来るめぇ」

「冗談じゃないっ!嫉妬なんてしてないしッ…!」

確かに願ってもない事だが榎本としても譲れない部分がある。
見透かしたような土方に必至で反論するも、
土方は片方だけ口端を吊り上げ微笑は止めない

「この際だから言うけど。反が合わないからって船員と、さっきみたいな揉め事は控えてよ。いくら君と言えども、海兵の規律を乱されちゃ困るんだからね」

苦楽を共にする船員は、
海と言う戦場を駈ける同士であり、一隻の船と言う箱で生活する家族だ。
しかし、そんな榎本のモットーなど土方は到底、真に理解出来ない

況してや榎本がどうであれ、あの小杉が榎本の事を苦楽を共にする兄弟や家族などと思っているとは考えられない

「テメェの手下から仕掛けて来たンだ。まぁ、ハナッからあんな糞ガキ相手にしてねぇけど」

ハンッと見得を切るが明らかに顔が引き吊っている。
堂々と目の前で他人を好きだと言い張った榎本を見て気が立ったのは間違いない

「怒ってんじゃん。さっき無理矢理に乱暴しようとした!」

「してねぇよっ」

榎本が凭れる真横の壁へバンッ!と手を当て距離を摘める。
直ぐ間近に迫った土方を、榎本は軽く眼を見開いて見上げた

「…なに?」

「なにって?その自慢の良く冴える頭で考えろよ」

徐に頬へ伸びてきた土方の掌は、榎本の手を手袋の上から握っていた所為で少しだけ油が付着している。
その匂いが鼻を掠めるなか鼻先が触れそうなほど近く、
榎本は壁との間で微動出来ない

「乱暴はしねぇ。俺が話をする為だけに来たと思ってンのか?港から出ちまえば何ヵ月と忙しいだろ。行ってからでも良いと思ってたが、害虫が多くて気が変わった」

「待っ─…」



「榎本さぁーんっ!!お話終わりましたかー?」

正に唇が触れる瞬間のタイミングを図っていたとばかりに
扉が荒く開かれた場所には小杉が立っていた

「余りに遅いから心配しちゃって。こんな危険人物と長時間二人っきりで居るなんて駄目ですよー。ちゃんと点検も終わらせて無いでしょ?」

「ぁ、うん。ごめんね…」

「土方さん。そう言う事なので、今日はもうボート出すの危ないし、空いてる部屋で休んで下さい。それとも、機関室までご一緒しますか?物凄く五月蝿いですけど…」

「結構だっ!」

啖呵を浴びせて土方は派手な足音を鳴らし出て行ってしまった

「小杉くん。助かったけど、礼は言わないよ…」

然り気無く最後に榎本は一人でごちた


こうして仙台最後の夜は更けてゆく。
目指すは日本のどんずまり蝦夷地。
いざ行かん安息を求めて


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