長篇:箱館 novel

□いざ、蝦夷へ!-余談-
1ページ/2ページ

愛の巣…!


蝦夷箱館政権の樹立から程無く幹部の面子も揃い。
箱館中心部から木古内や、松前、江差、森など各所に部隊の派遣、駐屯陣営の配置が着々と遂行されているとある日

榎本と土方は、街の中心にある木板造りの洋館の一室に居た。

そこは、箱館を商いの中心として財を成す佐藤専左衛門の萬屋と言う海鮮問屋。
豊かな特産物の海外貿易によりその膨大な富は街でも一、二を争う程。
政府樹立に賛同し多額の融資を約束した当地豪商の一人だ。

流石に豪奢な居間には丁度馴染むよう調度品が並び。一面には絨毯が敷かれ。
その中央に置かれる応接用の長椅子に、土方は長い脚を前に伸ばし。
背凭れに大腕を掛けながら深く凭れていた


「…もう交渉は昨日で済んだンじゃねぇのか?」

「まぁね。そこで君の話が出て、一目どうしても会いたいって」

隣に座る榎本は、榎本後ろの背凭れまでだらしなく伸びている土方の腕をピシッと叩く。

「行儀良くしてよ」

「うるせぇな…」

「コラ、タイを緩めない」

榎本の眼が光ったため土方は頸元から手を外し。数本目元に垂れ下がる前髪を舌打ち混じりに指先で弄る。

朝早く榎本から公務の御供を持ち掛けられた土方は、
頸元には普段は窮屈で鬱陶しく一度写真撮影をした時くらいに装着した程度のスカーフを巻かされ。
いつも振り乱す黒髪も、そのままだろうと何も支障は無いのだが、今日はオールバックにビシッとセットが義務付けられた。

既に髪は多少乱れた…と言うか乱した感じだが、
その様すらも壮麗さを醸す男の地位と名声は、
勿論この最果ての蝦夷までしっかり罷り通っている。

泣く子も黙る新選組鬼副長と一躍名を馳せる剣豪。
この蝦夷では先にあった松前遠征の軍神と高名に削ぐわぬ采配ぶりも知れ渡り。
遥々ここ箱館に降り立ったとあれば、その有名人を一目でも拝謁したいと四方から声が掛かる。

しかし、当然ながら土方は乗り気じゃない。
表立つのは己より役職的には大鳥だろうと思うし。建前上の社交を本音を言えば毛嫌いしているくらいだ。
今回は相手が街を牛耳る豪商だから身形を整え、
ただ付いて来いと聞いただけで。榎本に騙されたと言ってもいい

「俺は見世物でもねぇし、看板でもねぇ…」

「分かってる。それでも、君の顔一つで皆が助かるんだから。此も立派な仕事の内だと思ってさ」

「ったく─…」

「元は君も商人なんだし。こんな席だって京から手慣れたもんでしょ。期待してるよ」

榎本の笑みに深く溜め息を吐き出すのと、部屋の隅に置かれるストーブの薪火が小さくパチッと鳴ったのが重なった。

「期待すんのは勝手だが、次は無いと思え」

「はいはい。今回だけだから、我慢しようね」

駄々を言い始めた土方を、榎本は軽くあしらう程度。
土方は「後で覚えてろよ」と内心に思った。
その時、扉が静かに開かれ中腰の中年男性が顔を出し。途端に、明らめた声をあげた

「これは榎本様、御待たせ致し忝ない!昨日はご苦労様でした」

「いいや滅相も無い。便宜を図って頂き本当に助かりました」

真っ先にまずは握手を交わすところが両者共に日常から異国に精通している所為か。
社交辞令もそこそこにして、次に佐藤は榎本の背後に立つ土方に眼を止め。
目尻に皺を浮かべながら、顔を綻ばせ瞳を目映くキラつかせた

「貴方様が土方先生ですかっ。噂には伺っており。御逢い出来て光栄です!」

グッと出された掌に、土方も答え右手を出す。
同じ国同士の人間相手にまで御辞儀を交すより、この異国渡来の挨拶をするのには多少の違和感があるが、
行為自体には周囲のお陰で今はもうすっかり慣れてしまった。

「此方こそ、此度のご尽力聞き及びまして。深く痛み入ります」

ついさっき不貞腐れていたのを拭い去り、
誠実さアピールに微笑を浮かべれば、佐藤は土方の手に左手まで重ね喜んで握手を硬く結んだ

「先立ての松前での御活躍、お見事でございましたな。その敏腕を発揮なされ、正に鬼神の如きお働きだとか。この蝦夷では負け知らずだそうで」

「たまたま運が良かっただけの事。それも単に、組士達の日頃の鍛練による成果と滅私の功労です。とても私の力では…」

極めつけの営業スマイル。
背後に花が凛と浮かぶ幻覚まで見えた気に、ほぅ、と思わず感心を示す佐藤。

「いやいや、そうご謙遜なされるな…」

惚ける佐藤のその見ていない横では上々の首尾にグッと拳に親指を立て満足そうな満面笑顔の榎本。
土方もヤる時は完璧なのだ

「榎本様、たった今こちらの支度が整いましてございます。さっそくご案内致しましょう」

「本当ですか!?有り難うございます」

榎本の顔に明るみが増し、土方は何事か理解出来ないまま、佐藤に付いて案内されたのは、
表の問屋と同じ敷地内に有りながら最奥に佇む一軒の屋敷だった。

離れと言っても繋がっている訳では無く、独立して建ち並び。
こっちの屋敷も木板で調えられた造りに、内装も和と洋が上手く調和している。
その屋号を丁サと言った。

「流石は萬屋さんっ、感服しました!」

榎本はグルッと居間を見渡してから佐藤の手を再び握り締めキャッキャッと喜んでいる。
そして佐藤は逆さ三日月の目で土方を見た

「如何でしょうか土方先生。この屋敷をどうぞ御自由に御使い下さい」

「…はい?…ココを?」

「なに、此は先生に惚れ込んでの私からの好意だと思って何もお気に為さらずに。私に出来る事など、この程度の物ですが」

「……はぁ、」

「いや申し分ありませんよ!あ、カヘルまであるんですねー」

「えぇ。流石は榎本様も御目が高い。以前プロシアから輸入した品にございます」

達磨型のストーブを観察中の榎本に腰を低くしながら盛り上る佐藤。
土方だけが未だ話を掴めていない。
軽くこめかみがピクッと動いた。しかし、対面の為ここで笑みは崩さない

「榎本総裁…?」

「御好意だよ?有り難く受け取ろうよ」

背中をポンっと叩く上機嫌な榎本。
先程から、どうやら感激はしているが驚いていないから既にこれを知っていたのだろう。
そして、知っていて敢えて黙っていたらしい。
今日、呼ばれた本当の理由をいま漸く土方は確信した



「先生は日々に腕を研かれ、兵法の御勉強に余念が無いと伺ごうております。ここでなら、一人静かに励む事も出来ましょう」

言ったのは榎本か…。土方は悟ったが、
一度も榎本に刀を素振りしている所を見られた覚えも無く。
土方は独学…と言うより、天性の勘の赴くままに配を振るっているのだから、
兵法の勉強と言えど落ち着いてまだ間も無くで時間が取れず、勉強らしい勉強をした覚えも無い。


「しかし、常に本営に務める身なれば些か距離が…。せっかくの御話しですが…」

「でも台場の屯所とは距離も無いし。君は市中の見廻りも担う訳だから、此処の方が都合が良い。それに、赴きも重責の君には打ってつけの広さだし」

自棄に乗り気な榎本。
確かに港にある此所は五稜郭とは離れていても弁天台場とは目と鼻の先にある。
広さも一人で使うには余りある部屋数と広さだ。

「此方の屋敷には出入口に南蛮の丈夫な鍵も取り付けて有るので、万が一の時にも御安心を」

鬼だの修羅だの言われる土方の立場を考慮して佐藤は言っているらしいが、
万が一に敵が屋敷へ押し寄せて来ようモノなら、行儀よく玄関から入るより硝子窓をぶち破るくらいするだろうと思う土方。

しかしこれ以上何かを言う前に、こうなっては歯が立たないと諦めた。
確かに好意を受け取るには申し分がない条件で、榎本の許可がある訳だ。
それこそ、此から勉強でも何でも出来るだろうと、
土方はこの丁サを、休憩所として借りる事にした。


「では、御言葉に甘えて」

「此方が屋敷の鍵に御座います」

予備を含めた二本の鍵が、チャリンと音を立てて掌に落とされた。
次へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ