□桃源郷
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そういえば兄さんは?

僕は部屋に一つしかないベッドにそわそわして、改めてここはどこなんだろうと思った。でも答えはすぐに出た。ノックもなしにドアが静かに開いて、マスタング大佐が部屋に入ってきた。ここは大佐の家、なのかもしれない。

慌ててベッドから降りてお辞儀した僕に大佐は少し驚いたように笑った後、ドアを開け放したまま近づいてきて…僕をベッドに押し戻して、確か、気が付いてよかった、とか、体を取り戻すことが出来てよかったな、みたいなことを言っていた。それからしばらく喋って…大佐は何か真剣な表情で話を…していたんだけど、どうしてか内容が思い出せない。(まじめな話を聞くには、きっとまだ頭の方がぼんやりしていたんだ)その後、開きっぱなしのドアからひょっこり兄さんが入ってきて僕に笑いかけた。兄さんは生身の右腕と、左足を僕に見せた。…僕は安堵感で胸がいっぱいになるのを感じた。よかった。兄さんもちゃんと元に戻れたんだ。




…でもそれから間もなく、僕は兄さんが声を失った事を知った。




多分、よく覚えていない大佐の真剣な話の内容はこのことだったのだろう。




驚愕する僕に兄さんは何の事もないと笑った。そして、間違ってもこの事をどうにかしようなどとは考えないようにと念を押された。兄さんは医者へ行くのも拒んだ。兄さんいわくこれでいいのだと言う。

…でも、兄さんの異変は声だけじゃなかった。…それは、食事。

兄さんは例えでなく、本当に、いやむしろ…小鳥よりも食べなくなった。とにかく食べない。

心配する僕を余所に、大佐は何と酷い事に、食事の時兄さんの分の食事を用意してくれなかった。いくら兄さんが食事を拒否しているとは言え…それに、お世話になってる身分でこんな事言うのはちょっとあれだけどこれはさすがに酷いと思った。兄さんは水だけでいいとかなんとか言っていたけど僕は無理矢理兄さんに僕の分の食事をすすめた。(大佐にねだるのは何だか気が引けた為)

兄さんは苦笑いしながら困ったように、少しだけつまんでは口に入れた。

それも本当に食べているのか怪しかった。…そして不思議な事に大佐は僕に、それすらやめさせたがった。けど、でも、ご飯をあげなきゃ兄さんが死んじゃうよ。兄さんは特別体を悪くしているようでもなければ栄養剤などの薬を飲んでいる様子もない。…僕が何か言わなければ本当に何も口にしない。…僕は一旦やめたフリをして、やめなかった。

僕は昔、兄さんの目を盗んでは拾った捨て猫をお腹に入れて飼っていた時にやっていたように、大佐の目を盗んでは兄さんに、自分の分の食事をこっそりと与え続けた。




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