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□らしゃめん【第3説 偽善】
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その日は、嫌に雨だった。


第3説 偽善


さあさあ、
ざあざあざあ、

雨が音を持って、窓硝子を叩く。
耳障りのよい、心地よい音色。

普段から気味悪い程の静寂を讃えたこの館が、雨の潤う音に満たされたことに調子づき、指揮者さながら右手指を振った。

いち、に、
そして撥ねる。

幾度か繰り返し、ようやく下界の煩わしさが耳から追い出されかけたそのとき、盛大な音を立て、巨大な迎賓室の扉が開いた。

主は来客中だったのだ。

「だから、何度言ったら分かるのです。我が方では、そのような依頼は受けかねます」

聞こえてきたのは、腐れ縁。
女主人は、呆れ半分、

「我々は、恋愛相談所でもなければ、恋愛仲介人でもない」

「そこをなんとか……っ!」

聞き慣れぬ男の声が、執拗に食い下がる。

耳障りだなぁ、俺は雨を楽しみに来たのに。

「彼女、傷心みたいで家から全く出てこないんです。
元華族だし、僕なんかは話すどころか入ることすらできませんし。
出入りしてる人間に聞いたら、離れで家人すら寄せ付けないらしくて……。
心配なんです。
ただでさえ出戻って肩身は狭いだろうし、傷心だろうに……」

地面から上半身だけを起こし、まくし立てた。

主は、うっすら瞳を細める。
俺と同じことを考えたのだろう、皮肉に口角を引き上げて、子供を諭すような猫撫で声で身を乗り出す。

「偽善、犠牲、自己献身。
己に対する過大評価。
恋は盲目ね、相手がどう思っているかすら考えていない。
身分違い?
元華族?
詭弁。貴方はただその状況に酔いたいだけ。
自分で状況変える努力すらしていないのに、他人にばかり期待するなんて。
本心を教えてあげましょうか。
貴方はその人と面識がない。
ぜーんぶ外部から眺めた結果だ。
美しい、はかない、可哀相可哀相かわいそう!
それはね、哀れんでる自分を可愛がってるの。
まあ、貴方自身は哀れんでるなんて意識ないのかもしれないけど。
それでいて、そんな彼女を救えるのは自分しかいないと断じている。
絶大的な自己愛と、プライドの膨大。
なのに、己では何等アクションを起こさないとは何事か?
致命的な劣等感すら持ってるみたいね。
それでいて、意味のないプライドを満たすために、状況は手に入れたい。
自分ではできないが。
悲劇嘆いてシェークスピア気取りたいのなら、他を当たって。
どんな大根役者のロミオだって、ジュリエットに会うために、家の塀くらい乗り越えるわ」

喝采を上げた。
あの頃と同じだ。
なんら変わりない。

地に這った青年は、小さくビクリとこちらを振り向き、俺の目当てである女は、呆れ半分嗚呼居たのと呟いた。

「いいねいいね、久々に見たよ。お方様が怒鳴るとこ。
しかしなぁ、御令嬢。
俺にはこのひょろっこい、馬鹿みたいな男が一概に悪くは思えんのだ。
愚かしくは才能だよ?」

「馬鹿が。
愚かしくあれば、食いつぶされる。
待つのは惨めな死のみだ」

「あらら?
まぁ、そうなんだけどサ。
世の中は変わるよ。
こんな馬鹿どもでも生きていける世の中になるやもしれんじゃあないか。
老兵はただ、駆逐されるのみよ」

少年、
俺が紡ぐ。
傍らに立つと、痛々しいばかりの不安顔。

「俺が手を貸してやろう。
想い人と結び付ければよいのだろう?」

青年が、ぱっと華やいだ。

「八次……!」

女が、失望したとばかりに髪をかきあげる。

「お前は、私に用があって来たのではなかったのか。
それをまぁ……」

「単なる世間話だよゥ。
お方様の予想は、外れたことがないからね。
我社(ウチ)としても、ネタに困ることはないし」

新聞記者の特質かなぁ、呟いて、青年を立ち上がらせる。

「それに、世界には貴女みたいなリアリストも必要だが、ベタベタなハッピーエンドもときにはいいと思うよ」

背を向ける。
青年が、一瞬たじろいだ気配がしたが、すぐさま後に、足音が続く。

「馬鹿が」

呟かれた女の声は、気にしないことにした。

  *  *  *

「お方様」

背後から、使用人の声がする。
雨車、応じて深くため息をついた。

「よいのですか?」

「何、気にすることはない。今は戦時でもないのだし」

心配はなかろう、言いかけて雨車が言葉を詰まらせた。

「そうでは、」

嗚呼、手駒の勝手を許すのか。

「あの子はね、まだ良心を捨て切れていないの」

馬鹿ね、と呟いて、私は踵を返した。
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