Catants
□六
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「(久しぶりに、夢見た…)」
ここしばらくは、眠りにつくことさえなかった。
身体を起こし、瞳を飾る雫を静かにぬぐう。
日光がまぶしい。
時間は朝の七時といったところで、少々肌寒かった。
白い光の中、弟を想う。
妹を。
妹は――黒はいったいどうなってしまったのか。
無事に逃げることは出来たのか。
それだけが気がかりで。
ぼーっとしていたのか。
近付いてくる足音に気付いたのは、その足音がカーテンを引く数秒前だった。
カーテンを引いたのは、老人で。
入ってきて開口一番。
とんでもないことを言い出した。
「という訳でお主に名前を付けようと思う。」
いきなり何を言い出すんだこのご老体は。
青年はそう思わずにはいられなかった。
だって。
名前は一番短い呪で…。
名前はその人の一生を縛って、拘束して。
「こちらには魔法省というものが存在してな。お主を説明するのにやはり名前は必要じゃ。うむ。以上の理由により、君に名付けよう。」
大切な人から貰った名前は、無くすことのない宝物、に。
なるのに。
「そうじゃなー何が良いかのー。」
ちょっと待て!
老人は頭を悩ませた様子で、腕をくむ。
そんなにホイホイと名付けられたものではない。
青年は老人の腕をがしっと掴んだ。
『止めろ!』
「? なんじゃ?」
老人はホッホッと笑う。
こちらは笑い事ではない。
青年は必死だった。
必至ではなく、必死だった。
『止めろと言っている!』
今日この日まで言葉が通じないことに不自由を感じたことはない。
しかし青年の必死さが伝わったようで。
「……止めろ、と言いたいのかのう?」
なんとか老人は理解してくれたようだ。
しかし、次の課題が残っていた。
「ではお主をなんと呼べば良い?」
『………。』
言葉につまる青年。
青年は老人を信用していなかった。
ただ傷が癒えるまでの、一時の場だと。
そんなところにいる人間に、名前など、言えたものじゃない。
しかし言わなければ名付けるという。
そのような不名誉、受けたいハズがない。
青年は迷い、苦しみ。
言った。
『ラキ。』
仲間に、みなに呼ばれた名。
親愛の証。
それを、言った。
「(だって、この人は…真名を、教えた。)」
だから信用する、という訳ではなく。
いざという時は優位にたてるという、考え方からだった。
しかし。
この老人、いまいちわかっていないのか、まったく動こうとしない。
青年は驚愕し、苛立ち、老人の膝に手をおいた。
『アルバス。』
以前聞いた、彼の名。
その名を呼び。
今度はその手を自身の胸の上においた。
『ラキ。』
それを何度か繰り返すと、老人はやっと合点がいったようだった。
「ラキ…ラキか!」
コクリと頷けば、老人の顔に笑顔が浮かんだ。
心からの笑みだった。
「そうか、ラキ、ラキか…。」
そのまま呟いていたかと思うと、老人らしからぬ俊敏さで立ち上がり。
「ではラキ、また明日じゃ。」
覚えたての単語を、何度も口にする子供のように。
老人は嬉しそうに帰っていった。
青年はその後ろ姿を、少しひいた表情で見ていた。