月夜草子
□たとえば、そんなスタートは?
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「この予算、計算が間違っています。今すぐやり直して下さい」
「あっ、はい!すみません!」
忙しげに目と腕を動かし、次々と書類が振り分けられ、積み重なっていく。
「クラインさん!社長がお呼びです」
「……今、参ります」
重い溜め息を落とした後、名を呼ばれた彼女は束ねていた桜色の髪をほどき、カツカツとヒールの音を立てて社長室へと向かった。
彼女が通り過ぎると、甘い甘い残り香が、僕の体を熱くさせた。
僕は、キラ・ヤマト。
憧れの会社に念願叶って入社し、早3ヶ月。
配属された部署は、社内でも重要な場所で、責任感も覚える事も多く、空回りしつつも忙しい充実した毎日を送っていた。
早く戦力になるよう、周りの無言のプレッシャーも強かったが、何より早く一人前になりたいと思うのには、最大の理由があった。
「ヤマト君。来週、出張が入りました。先方には私から連絡しますので、貴方はその他諸々の手配をお願いします」
「あっ、はい!えっと……、クラインさんお一人分ですね」
自分の世界に浸っていると、ふいに後ろから声がかかり、いつの間にか戻って来ていた彼女の声に驚いてしまう。
「私と貴方の2人分ですわ」
「へっ?!ぼ、僕もですかっ!?」
し、しかもクラインさんと??!!
「何かと付き合いのある会社ですし、貴方にもそろそろ担当を任せたいと思っていますの」
「担当を……」
「出来ませんか?」
「いっ、いいえ!やらせて下さい!!」
彼女は満足そうに微笑み、簡単な事務説明と必要書類を渡し、再び自分の席で忙しげに仕事を再開させた。
僕が早く一人前になりたいと思う、最大の理由――――……
それは彼女、ラクス・クラインに認められたいから―――
彼女は僕より5歳しか違わないのに、この重要な部署の責任者であり、社長の信頼も厚かった。
仕事の正確さは元より、そのスピードやその人に合った仕事の内容配分、部下の士気をあげる巧みな精神分析――――……
まさに男顔負けの敏腕さだ。
それに、彼女のその容姿。
白い肌に、すっと伸びた鼻先、ぷるんと赤く実った唇に、桜色のふわふわな生糸のような髪に――――蒼い宝石なような瞳。
美しいその姿と確かな実力に、男女年齢問わず、彼女は憧れの的だった。
僕もその大勢の一人に過ぎなかったが、 今回大きなチャンスを手に入れた………。